四方宏明の“音楽世界旅行”〜Around the world

世界中のテクノポップ〜ニューウェイヴ系音楽を紹介。

2023年11月にロス近郊のハンティントン・ビーチで開催されたDarker Wave Festivalに行った際、最後に現れたのは、Roland OrzabalとCurt SmithからなるTears For Fearsでした。彼らの代表曲「Everybody Wants to Rule the World」「Shout」を含んだ2ndアルバム『Songs From The Big Chair』(1985年)は、全世界でヒットし、米国1位、英国1位、日本でさえ13位にまでチャートインしました。また、当時はRoland、CurtにIan Stanley、Manny Eliasが加わった4人組でした。ニューウェイヴというよりも内省的だけどメインストリームなエレクトロポップというのが、当時のイメージでした。

RolandとCurtは1978年にGraduateというモッズ系バンドを彼らの地元バースで結成します。バンド名の由来は、デビュー前に映画『卒業(The Graduate)』で使われたSimon and Garfunkelの「Mrs. Robinson」のカヴァーでライヴを始めていたことからです。ジャケ写を見ていただくと納得がいくと思いますが、髪型も服装もモッズでキメています。見た目はThe Jamに近いですが、Rolandが楽曲を手掛けていることから、パワーポップ的なモッズです。こちらは彼らの唯一のアルバムのタイトルにもなっている「Acting My Age」です。
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Graduate - Acting My Age


Graduateは2トーンでもスカ系バンドでもありませんが、この「Elvis Should Play Ska」はタイトルが示すようにスカです。モッズ+パワーポップ+スカ的要素が見事に調和しており、彼らにとっては最大のヒット曲(英国82位、スペイン10位)となりました。Elvis Costello好きにもうけそうです。他にもスカ要素がある「Dancing Night」など、1980年は、The Specialsなどの2トーンにまだ勢いもあり、その影響もあったのでしょう。
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Graduate - Elvis Should Play Ska


Apple MusicでGraduateの全楽曲を収録した『Acting My Age』が聴けます。


Graduateを抜けたRolandとCurtは、Pete ByrneとRob FIsherが結成した同郷のバンド、Neonに加入します。1980年にシングル『Making Waves』、1981年に『Communication Without Sound』をリリースしましたが、その後RolandとCurtとTears For Fears、PeteとRobはNaked Eyesとしてそれぞれ大成功を収めました。Neon時代のシングル曲は、Naked Eyesのレアトラックを集めたCD『Everything And More』に後に収録されています。ジャケ写は『Making Waves』ですが、4曲の中では『Communication Without Sound』のB面「Remote Control」がお勧めです。また、ここではTony Mansfieldのミックスの「Always Something There To Remind Me」「Promises, Promises」も収録されています。Apple Musicでも聴けます。
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Neon - Remote Control (YouTube)


では、次のヒント。
ジャマイカでレゲエヒットを飛ばした最初の白人アーティスト。


最後のヒントはこれ。
最も多くの放送禁止処分(合計11回)をBBCにくらったギネス記録保持者。例えが古くてわからない人もいるかもしれませんが、英国のつボイノリオ(代表作「金太の大冒険」)のような立ち位置です。

答えは、Judge Dreadです。「え、それ、誰?」という人もいるかと思います。諸説あるのは事実ですが、彼が1998年に亡くなった際、「Rolling Stone」誌は以下のように報じました。
Judge Dreadは25年以上のキャリアを通じて数百万枚のアルバムを売り上げ、1970年代の英国におけるレゲエの売り上げではBob Marleyに次いで2位であった。


彼の本名はAlexander Hughes。1945年に生まれの彼は10代の頃、ジャマイカからの移民も多い南ロンドンに位置するブリクストンで育ち、スカ・ロックステディの洗礼を受けました。巨漢の彼は、プロレスラー、ボディーガード、The Rolling Stonesのローディーとしても働いていました。

Judge Dreadという名前は、「ブルービートの王」の異名を持つPrince Busterの曲名から取られています。ちなみにMadnessのバンド名もPrince Buster由来で、Prince Busterの「One Step Beyond」はMadnessの代表曲にもなっています。ジャマイカ音楽の先駆者であるPrince Buster、Laurel Aitken、Derrick MorganなどはBlue Beat Recordsからリリースをした背景から、スカと呼ばれる前から、60年代初頭のジャマイカ音楽は英国でブルービートと呼ばれていました。Prince Busterは1970年に英国で「Big Five」(ジャケ写は1971年発売のアルバム『Big Five』)という際どい下ネタ歌詞のロックステディ曲をリリースします(ジャマイカでは1969年の可能性あり)。
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Prince Buster - Big Five (YouTube)


1972年にJudge Dreadはその続編と言わんばかりのシングル『Big Six』(ジャケ写は顔写真があるベルギー盤)でデビューを果たし、英国シングルチャート11位に食い込みました。その後、「Big Seven」「Big Eight」…と「Big Five」譲りの下ネタ路線で突っ走ります。結果、70年代に11枚のチャートヒットを送り込んだのです。
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Judge Dread - Big Six (YouTube) ※年齢制限あり


「Big」シリーズ以外にも合計で19枚のシングルをリリースしており、中にはかなり酷い歌詞であることが推測できるタイトルもあったりしますが、1979年にリリースした2トーンなジャケのシングル『Ska Fever / Lover's Rock』(順序が逆の表記のものある)では、両面とも「Ska fever……..」「Lover’s rock……」とヤケクソ気味にただ連呼する、でもなんか癖になるナンセンス・ソングになっています。
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Judge Dread - Ska Fever / Lover's Rock (YouTube)


また横道に逸れたスカ〜ロック・ステディ〜レゲエ記事となりましたが、Judge Dreadはレゲエ史、英国音楽史に3つの爪痕を残しました。6月4日(火)の川崎レジデンツさん主催の『Reggae & SKA MUSIC TIME』@頭バーでも、Judge Dreadを回したいと思います。

スカ歌謡の続きです。スカ歌謡の定義は、ジャマイカ産のスカを取り込んだ日本の歌謡曲です。歌謡曲の定義が厄介です。広義では全ての日本の大衆音楽となりますが、今回は芸能界的なシステムのアイドル歌謡に絞ります。また、以前All Aboutで行った山本ニューさんとのレゲエ歌謡対談では、スカ歌謡も含めたレゲエ歌謡について語り合いましたが、今回はスカに絞ります。スカの方がテンポが速く(BPM120を超えるものが多い)、リズムはタイトで(対してレゲエはリラックスした感じで残響感がある)、ホーンセクションが多用される傾向がありますが、あくまでも傾向で、判別が微妙な曲もあり、中間体的なロックステディまで入れるとグレーゾーンの世界です。この辺りを判断基準にスカ歌謡を選びましたが、スカが歌謡曲に移植され、ニューウェイヴ的文脈でツイスト、サーフ、ロカビリーなどとも合体する場合もあり、かなり感覚的な判断になってしまうことをご了承ください。

前回、本場のジャマイカでスカが流行っていた60年代におけるスカ歌謡を紹介しました。その後スカは下火となり、70年代終盤にスカはジャマイカ移民も多い英国でパンク〜ニューウェイヴ的視点で再発見され、The Specialsなどのレーベル名でもある2トーンと呼ばれるムーブメントとなります。また、共産圏も含めて英国以外でも、スカを取り入れたニューウェイヴ的な楽曲がこの時期に生まれました。こんな流れの中、80年代スカ歌謡は復興しました。では、具体的にアイドルが歌った80年代スカ歌謡を紹介します。

比較的時期的に早いものとしては、1982年にリリースされたこの2曲です。速水陽子の「やっぱり」です。速水陽子は7代目パンチガールといく記述があり、調べてみました。「平凡パンチ」がスポンサーだった「ザ・パンチ・パンチ・パンチ」というニッポン放送のラジオ番組があり、そのパーソナリティだったということ。初代には「夢で逢えたら」のシリア・ポール、同じ7代目には松田聖子もいました。当時は本名の初田順子で活動をしていましたが、池田満寿夫の命名により速水陽子となり、歌手・女優デビューを果たします。キャラとしては本人もファンだった「女ジュリー」と呼ばれていました。『やっぱり』は初シングル『い・か・が』(後藤次利がアレンジしたニューウェイヴなロカビリー歌謡)に続き、Moonridersの白井良明がアレンジしたニューウェイヴなスカ歌謡となっています。キャラとの相性もいい隠れた名曲です。ちなみに白井良明は、1990年発売のスカ歌謡、Cottonの「ラビットの玉子たち」も編曲しています。
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速水陽子 - やっぱり (YouTube)


もう一つは嵯峨聖子の2枚目のシングル『シーサイド慕情』のB面となる「恋めぐり」。両面とも後藤次利がいいアレンジ仕事をしており、「シーサイド慕情」はサーフ系(ちなみに作詞作曲は庄野真代・小泉まさみ夫妻)、わかりやすく言うと遅れてきたベンチャーズ歌謡、「恋めぐり」はサーフ風味もあるスカ歌謡となっています。残念ながら「恋めぐり」の動画音源はなく、聴く方法は彼女の7インチ・シングルまたはCD『アイドル・ミラクルバイブルシリーズ 808182 Girls』だけです。「シーサイド慕情」のテレビ収録の動画から、嵯峨聖子はぎりぎりアイドル枠と思われます。日本テレビ音楽院のザ・バーズの出身で、ソロとして2枚のシングルを出した後、1983年にシルヴィアに代わりロス・インディオスにフローレスとして加入し、1986年まで活動しました。
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嵯峨聖子 - シーサイド慕情 (YouTube)


多少間が開きますが、1986年には早見優が「キッスは殺しのサイン」でスカ歌謡に挑みます。脱歌謡曲的作家陣を迎えた全曲新曲からなるアルバム『Shadows Of The Knight』の収録曲ですが、なぜ知っていたかというとCD『テクノ歌謡 ポリドール編』に収録されていたからです。「キッスは殺しのサイン」は、作詞・小西康陽、作曲・高浪慶太郎、アレンジ・鴨宮諒と完全に裏Pizzicato V作品となっています。テクノ歌謡、スパイ歌謡、ピチカート歌謡とも言えますが、これはスカ歌謡認定したいです。
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早見優 - キッスは殺しのサイン (YouTube)


翌年の1987年にはおニャン子クラブにいたゆうゆ(岩井由紀子) が3枚目のシングルとして『25セントの満月』をリリースします。チェッカーズの鶴久政治が作曲し、Exoticsで沢田研二のニューウェイヴ化を支えた西平彰が編曲した、スカ純度が高いスカ歌謡です。オリコン6位まで行っているので、今回紹介した中では一番売れたスカ歌謡と言えるでしょう。
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ゆうゆ(岩井由紀子) - 25セントの満月 (YouTube)


80年代スカ歌謡アイドル編のラストを締めくくるのは、1988年にリリースされた本田理沙の「Lesson 2」です。作曲・編曲をしたのは、元TPOの岩崎工・福永柏コンビです。岩崎工はTPOの前は日本のBugglesと言われたFilmsのメンバー、TAKUMI名義でのソロ活動もしています。Aメロはツイスト調で、Bメロでスカ調になるランデブー型構成です。
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本田理沙 - Lesson 2 (YouTube)


アイドル歌謡のアルバムなんかにまだスカ歌謡が隠れている可能性がありますが、ニューウェイヴ系などを除いてアイドル歌謡と呼べそうな80年代スカ歌謡、知っている限り紹介しました。

最後にまたイベントの宣伝です。6月4日(火)の川崎レジデンツさん主催の『Reggae & SKA MUSIC TIME』@頭バーに参加します。ルーツ・ロック・レゲエから2トーン、レゲエ歌謡まで、幅広くスカ〜レゲエを網羅しています。僕はニューウェイヴ・レゲエとレゲエ・スカ歌謡担当します。
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今日は6月4日にイベントを控えていることもあり、スカ歌謡について書きます。歌謡スカ、和モノスカと呼ぶ人もいますが、どれも浸透しているジャンル名とは言い難いです。レゲエ歌謡の兄とも言えますが、レゲエ歌謡以上にその希少性は高いです。

小国ながらジャマイカは、スカ、ロックステディ、レゲエといったジャンルを産み出してきました。大体ですが、スカは60年代前半、ロックステディは60年代後半に流行期を迎え、60年代終盤以降はレゲエが主流となります。スカはレゲエのルーツと言えますが、両者の共通点はオフビート、裏打ちビートです。一般的にレゲエの方がテンポは遅くオフビートがより強調され、スカの方がよりストレートなリズムです。また、スカではトランペット、トロンボーン、サクソフォンなどの金管楽器が使われ、レゲエではメロディカ(鍵盤ハーモニカ)が使われる傾向があります。

Bob Marleyの自伝的映画『ONE LOVE』でもThe Wailersが「Simmer Down」を演奏するシーンがありますが、これは1964年にリリースされたスカ曲です。また、映画のタイトルとなった「One Love」も元々はスカでした。
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Bob Marley & The Wailers - Simmer Down (YouTube)


スカを世界に知らしめた曲として有名なのが、1964年のMillie Smallの「My Boy Lollipop」です。原曲はドゥーワップ系のThe CadillacsのRobert Spencerが書き、1956年に米国のBarbie Gayeが「My Boy Lollypop」としてリリースしましたが、Millieのカヴァーは米国・英国で2位など世界中でヒットとなりました。
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Millie Small - My Boy Lollipop (YouTube)


僕はまだ小さすぎたので当時聴いた覚えはありませんが、海外の流行ジャンルを歌謡曲に取り込むという、リズム歌謡の流れにあった日本でも、同年、伊東ゆかり、中尾ミエ、梅木マリがカヴァーしています。伊東ゆかり版は「ロリポップ」ではなく、「ラリポップ」と書かれています。彼女は1958年に「Lollipop」を「ラリパップ(誰かと誰かが)」という邦題でカヴァーしたので、その流れで少しだけ修正してラリポップで押し切ったのだと思います。
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伊東ゆかり - マイ・ボーイ・ラリポップ (YouTube)


同じ年にリリースされたのは、寺内タケシとブルー・ジーンズの『レッツ・ゴー・クリスマス』に収録の「ブルー・クリスマス(スカ)」。ご丁寧にも「スカ」であると表示されていますが、よーく聴かないとわからない微妙なスカ・アレンジで、エレキなラウンジ曲に聴こえます。
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寺内タケシとブルージーンズ - ブルー・クリスマス (YouTube)


オリジナルのスカ歌謡として孤高の存在感を誇るのが、中川ゆきの「東京スカ娘」です。カップリングは、黒田ゆかりの「スカで踊ろう」でスカ推しが激しいです。
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中川ゆき – 東京スカ娘 / 黒田ゆかり - スカで踊ろう (YouTube)


中川ゆきは社交ダンスの父と呼ばれる中川三郎の三女です。中川三郎は、タップダンス界の祖、日本のディスコの産みの親とも表され、1965年には日本初のディスコとされる「中川三郎ディスコティック」を恵比寿に開業させました。ディスコのオーナーでもあったのは中川ゆきで、彼女もタップダンサーであり、女優・歌手として活躍をしました。朝ドラ『ブギウギ』に出演していたタップダンサー役の中山史郎のモデルは中川三郎です。

また、中川三郎ダンス・オーケストラとしてリリースした『さあ踊りましょう<第三集> 青春のステップ -ラテン・アメリカン特集』(1965年)は、当時流行のダンスナンバー集となっており、「マイ・ボーイ・ロリポップ」も収録されています。残念ながら、チャチャのアレンジのようです。ジャケットに写っているのは、中川三郎と中川ゆきでしょう。
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ここまでが60年代のスカ歌謡の動向となります。70年代になり、ジャマイカではレゲエに移行し、1979年に2トーンのムーヴメントが起こるまでスカ自体は盛り上がることもなく、70年代において日本でもスカを取り入れた楽曲はほぼありません(レゲエはそこそこありました)。ということで、続編は80年代となります。

最後にイベントの宣伝です。6月4日(火)の川崎レジデンツさん主催の『Reggae & SKA MUSIC TIME』@頭バーに参加します。ルーツ・ロック・レゲエから2トーン、レゲエ歌謡まで、幅広くスカ〜レゲエを網羅しています。僕はニューウェイヴ・レゲエとレゲエ・スカ歌謡担当します。
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去年の12月8日にControlled Voltageの発掘音源3枚について「Controlled Voltageの発掘音源」というタイトルで書きました。予告通り、残り3枚も出来上がりました。こちらは、今回の発掘活動に向けてのチラシとなります。なぜか、「#終活」とのタグが入っております。
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今回、新たに発表された3作品の紹介に加えて、稲見淳さんご本人にも確認をし、これまで発表された作品を時系列に並べて、Controlled Voltageの軌跡を辿ってみました。

Controlled Voltage『USED UP AND EMPTY』
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カセットテープでリリースしたライヴ音源5曲(1993年)にPCで観れる動画を加えたもの。動画は「USED UP AND EMPTY」というタイトルで、バンド的なControlled Voltageのサウンドとは方向性は違い、後半はアシッドハウス的な指向が見えます。

当時、Controlled Voltageはブラウン管のテレビ6台とかを持ち込んで、映像を投影してライヴをしていました。映像担当の野間靖さんがAmigaを使ってリアルタイムであらかじめ仕込んだ映像にエフェクトをかけたものなどを流していました。新曲をを作る際、稲見さんはデモ前のスケッチ的な音源を渡し、杉本敦さんがMacで画を描き、野間さんが映像を考えるという共同作業をやっていました。その過程で作られた楽曲や映像としてボツになったものが編集されたのが、「USED UP AND EMPTY」です。

しかし、ここからその後楽曲として完成したものもあり、冒頭のMacの画面のところは「LABYRINTH」、その次の花が開くようなCG(「USED UP AND EMPTY」のジャケに使っているもの)の曲は「4GATSU」に、ビデオ最後の、ゆがんだギアが流れていくようなCGの部分は「FREE WHEELS」という曲になりました。メンバー全員が80年代からCabaret Voltaireのファンだったこともあり、インダストリアル要素を好んでいましたが、ハウス路線もカッコいいということとなり、アシッドハウス的な要素が入っていきます。

Controlled Voltage『LOST AND FORGOTTEN+』
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「+」がない『LOST AND FORGOTTEN』という過去スタジオ音源を編集した作品が2002年にC.U.E. Recordsからリリースされています。ここからの12曲中の8曲が今回の『LOST AND FORGOTTEN+』が収録されています。また、その元となったのは、XD FirstClass Networkからリリースされた『XD-Submit Vol.1』(1994年)〜『XD-Submit Vol.3』(1995年)です。

この8曲には、Controlled Voltageの音源に加えて、稲見さんの「X-DAY」、MASAさんの「SPOROPHYTE」、OBIさんの「EDEN」からなるソロ名義作品が含まれています。これらのソロ名義作品は、Controlled Voltageとして活動しながらも、メンバーの個性や趣向の違いを表現する意図もあったようです。

これら8曲のスタジオ音源に加えて、1994年のライヴ音源3曲、Controlled Voltage結成前の貴重な音源(最後の3曲)を加えて出来上がったのが、『LOST AND FORGOTTEN+』となります。ライヴ音源「O.F.-2」を含んだ最後の3曲は1987年頃で、まだControlled Voltageが結成されておらず、稲見野間ユニットという仮名義で不定期で録音とかをしていた時期です。ちなみに「O.F.-2」で野間さんは自作のエフェクター、リングモジュレーターを使ってギターでノイズを出し、稲見さんは、仕込んだ8トラック・オープンデッキのミックスと、2トラック・オープンデッキにテープを擦ってスクラッチ的なことをやっています。野間さんは実質的にはマルチメディアとしてのControlled Voltageのメンバーだったと言えるでしょう。

7曲目の「SEEK」はUltravox的疾走感があります。8曲目の「SPOROPHYTE」は、ドラマーのMASAさんのクレジットがあり、教授曲をイメージさせるインストルメンタル曲となっています。

Controlled Voltage『DIFFUSION』
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こちらは、稲見淳さんの一人ユニットとしての再始動したCV。偶然なのかもしれませんが、CVはCabaret Voltaire(スイスにあったキャバレーの名前にちなんでいる)の頭文字でもあります。稲見さんに確認したとろ、偶然ではなく、Cabaret Voltaireへのオマージュとのこと。以下、稲見さんからの回答です。

そもそも、Voltage Controlledとか、Controlled Voltageというのは、昔からのアナログシンセの使い方で初歩から使う言葉なんですが、僕らは電圧制御されているんだ(Kraftwerkのロボットなイメージ)とか、シンセ機材すごいぞ的なメディア操作も狙っていますが、Cabaret Voltaireからのオマージュです。まずはバンド名を決めないと、カセット作っても営業も出来ないので、シンセ使いの自分としても、もう、これでいこうと思ったと思います。あんまり深く考えず、他の名前とかも候補はなかったんですが、今頃になっても憶えてくれている人たちがいてびっくりしています。


晩年に一人でCabaret Voltaireとしても活動していたRichard H. Kirkは、Muteから2020年にアルバム『Shadow Of Fear』、2021年に最終作となるドローン系の長尺曲『Dekadrone』『BN9Drone』を発表後、 同年9月に他界しました。稲見さんは彼への追悼も意味も込めて、このアルバムを一人で作ったとのことです。

さて、これまでの作品を録音時期を考慮して、時系列に追ってControlled Voltageの軌跡を整理してみましょう。

1987年〜1991年:CV結成前夜
Controlled Voltageはまだ結成されていませんが、稲見さんと映像担当の野間さんの二人で録音、ライヴを行っていました。『LOST AND FORGOTTEN+』の最後の3曲は1987年頃の活動の足跡となります。

1991年〜1992年:黎明期→4人体制
稲見さんは、ヴォーカルが必要ということで、まずは杉本さんと活動を始める。これを黎明期と考えると、『DUST TO DIGITAL』がこの時期の音源と考えられます。その後、ライヴ中心のバンドをやりたいということから、旧知のドラマー、MASAさんが加入します。

バンドは3人ではなく4人と考えていたところ、雑誌のメンバー募集でシンセオタクの福間さんの加入で4人となります。『UN OFFICIAL LIVE TAPES』に収録の1992年の動画「LIVE ELECTRONICS」や『USED UP AND EMPTY』のライヴ音源(「MICRO KERNEL」「INFORMAL」〜事情により杉本さんはライヴ欠席)では4人バンド体制となっています。

1993年〜1995年:4人体制→3人体制→4人体制 
1993年のライヴ音源が収録された『MIND ACCELERATOR』では4人の名前がクレジットされています。

CVの「closed eyes view」が収録された、加藤賢崇さんがプロデュースしたオムニバス・アルバム『トロイの木馬』が1993年に発売。福間さん繋がりで進んだ企画でしたが、CVには未発表音源が無かったので、納品〆切の都合で、稲見さんが歌ったとのこと。

Controlled Voltage - closed eyes view (YouTube)


しかし、『トロイの木馬』リリース記念ライヴを最後に福間さんは脱退し、1994年にP-MODELに加入となります。3人体制となったControlled Voltageの音源は、『USED UP AND EMPTY』のライヴ音源1〜3曲(「MAMBO」「GRAYOUT」「4GATSU」)、『UN OFFICIAL LIVE TAPES』の頃です。MASAさんはスタンディングではなく、座ってドラムセットで叩くようになり、スネアは生ドラム、キックとタムのみシモンズ、そしてロートタムという複雑でPAミキサー泣かせのドラムセットを、同期バンドでクリック無しで叩く女性ドラマーはなかなかいなかったとのこと。かなり、研ぎすまされたというか、逆に精神的にもキツくなっていった時期との稲見さんの弁があります。

1994年に3人体制+映像担当の野間さんから、OBIさんが加わり、4人体制に戻ります。『USED UP AND EMPTY』ライヴ音源、『LOST AND FORGOTTEN+』のCVスタジオ音源+ライヴ音源(「O.F.-2」を除く)などで、この第2期4人体制のCVとなり、1995年まで活動をしました。

2024年:一人CV再始動
稲見さんが発掘音源のリリースに加えて、一人CVとして『DIFFUSION』で再始動を果たします。

彼らの作品から、CVは関西のニューウェイヴ・シーンで異彩を放っただけでなく、90年代に現れたインダストリアル・テクノ・ハウスなどの要素を吸収しながらも、英国的耽美系のニューウェイヴとして稀有な日本のバンドだったことが感じ取れます。

興味を持っていただいた方は、CAVE Studioを訪れてみてください。

川崎レジデンツさんが主催する2月8日のStrange Lounge〈エレポップ特集〉で2曲目にかけたのが、JULLANの12インチ・シングル『Rouge Train Express』(1985年)に収録された「Rouge Train Express」。僕の選曲はイギリス勢中心でしたが、和製エレポップの代表としてJULLANをかけました。Kraftwerkの「Autobahn」ネタをぶっ込んでいる9分を超える超大作です。幸い、小暮秀夫さんが「これは気分が上がった!」「自分もイベントでしつこくJULLANをかけてきた」「JULLANはエレポップだよね〜」と言ってくれて、JULLANのおかげで意気投合しました。

JULLAN - Rouge Train Express (1985年)


そんなJULLANですが、Wikipediaにもちゃんとしたページはなく、ネット上にも限られた情報しか存在せず、この場でできる限り、JULLANの謎を解き明かしたいと思います(人物名については敬称略)。
jullan

JULLANとはいったい誰なのか?
アルバムや雑誌でも全て大文字になっており、Jullanではなく、JULLANと表記します。僕の世代だと、「ウルトラQ」に出てきた吸血巨大植物ジュラン(ジュラン属という植物の属名があります)を思い浮かべますが、こちらの英語のスペルは「Juran」なので、ちょっと違いますね。雑誌の取材記事から察するに、聴きやすく、覚えやすいグループを選んだだけで、深い意味はないそうです。

メンバーは当時はまだ大学生だったHiroshi(1960年生まれ)とAtsushi(1962年生まれ)。二人は一橋大学軽音楽部で出会い、JULLANを結成。POP ACADEMYをやっていた頃に、メンバーの一人と同級生だったという人からメールをもらい、「一橋大学に進学して、在学中にユニットを組んで、コーセーのCMでJULLANの曲が流れたので同級生の間でも話題になった」との情報をいただきました。取材でもAtsushiは「ミュージシャンやりながらも僕達は大学だけは出ておきたい」と答えています。

彼らについてはデモテープに纏わる逸話があります。一つは、メロディーメーカー誌にデモテープを送ったところ、いい反応を得たということ。彼らの1stアルバムの『Imaginary Doll』(1984年)の帯にも「英国の音楽誌“メロディーメーカー”も絶賛」と書かれています。また、彼らが英国を訪れたとき会ったBoy Georgeが「JULLANこそが日本から世界に飛び立つグループだ」と賛辞を送ったという話もあります。

もう一つは、1983年11月8日の坂本龍一の「サウンドストリート」内のデモテープ特集で、「Electric Day」のデモ版が紹介され、「Rolandの機材を完璧に使いこなしているって感じで、それなりにアレンジもできていますしね。コーラスでサビで厚みをつけるとことか…多重録音もSN比がなかなか良くて。機材を与えれば、LPなんか作れちゃうわけで。レコード会社がトレードしたらいいじゃないですか」と、高評価を得ました。また、この時点ではバンド形態するためメンバー募集をしていました。

JULLAN - Electric Day〈サウンドストリートDemo Version〉 (1983年)


メロディーメーカー誌へのデモテープの反響が実際にどの程度であったかは推測の域を超えませんが、JULLANはBlush Recordsという英国のインディー・レーベルのニューウェイヴ系コンピレーション『Blush On Black』に収録され、海外での爪痕を残しています。ほとんどはマイナーなアーティストですが、高橋幸宏とも親交があったニュージーランド出身のZaine Griffやオーストラリア出身のDuffoも参加しています。Soundcloudに日本で発表されたアレンジとは違う「Imaginary Doll」の音源があります。
blushonblack

Imaginary Doll (Soundcloud)

二人の多重録音から始まったユニットということから、スタジオ中心の活動でしたが、1984年9月から全国5ヶ所初ライブを行っています。一風堂で活動してきた見岳章(Key.)、藤井章司(Dr.)に加えて小池ヒロミチ(Bass)となかなか豪華なミュージシャンのサポートでした。ちなみに初めの二人は2ndアルバム『Electromance』からサポートをしています。このライブを観た人はいるのかなと思ったら、YouTubeにライブ音源が上がっていました。1984年9月26日に九段会館で行われたライブと推測されます。

JULLAN - Imaginary Doll〈Live〉 (1984年)


JULLANはエレポップなのか?
取材記事における彼らの発言からも、彼らがエレクトロポップ指向であったことが窺えます。「“テクノ”というよりも“エレクトロサウンド”の方ではないかな(Hiroshi)」「テクノっていうと音楽的には機械的な音を中心にもってきたという感じがしますよね。…それよりも、メロディ中心の曲を今風の音で包み込んだという感じですね(Atsushi)」とテクノポップとは一定の距離をとっています。また、多くの楽曲は英語で歌われており、「日本的とか、東洋的なということではなくて海外のバンドと同次元での評価が得られたことで、やっていけるという自信ができたというか。まあ、Depeche Modeなんかにも負けていないじゃなだろうかみたいな(笑)(Hiroshi)」といった海外、特に英国指向と取れる発言もあります。こちらは2ndアルバム『Electromance』のB1の収録の「To Be Or Not To Be」ですが、明らかにFrankie Goes To Holllywoodの「Relax」を意識したサウンドとなっています。

JULLAN - To Be Or Not To Be (1984年)


JULLANの幻のシングル
しかしながら、3rdシングル『Rouge Train』(1985年)のリリース時には、Atsushiは学業に専念するために脱退し、代わりにTadashiが加わります。クレジットがないのですが、7インチシングルのジャケに写っているのは、Tadashi(左)とHiroshi(右)だと思われます。これは2ndシングル『Because Of Love』に続く、コーセー化粧品のCMタイアップ曲で、春のキャンペーンなので発売は1985年の春と考えられ、その後、3rdアルバム『Pulse』(1985年)が最後の作品となりました。サンプラーを多用し、哀愁のエレクトロポップ路線からThe Art Of Noiseの影響も窺えるリズム重視の意欲作となっています。和製Art Of Noiseと呼ぶ人もいる3dl (San-Decilitre)が登場するのが1987年ですから、JULLANは2年早かったのです。きっと「Pulse(衝撃波)」という名前にもこのサウンドの進化に対する意味が込められているのでしょう。

冒頭で書いた12インチの『Rouge Train Express』のB面、アルバム『Pulse』にも収録されている「Love Somebody」という曲がありますが、当時のリリース情報としてシングル『Love Somebody』のリリースの告知もあったようです。しかし、実物を持っている人、見たことがある人はおらず、実際にリリースされたかは怪しいです。また、すでに12インチとアルバムに収録されていることからも、その価値も微妙です。

解散後のJULLAN
宗次郎によるNHK特集「大黄河」のサントラ・アルバム『大黄河』(1986年)の共同作編曲にHiroshiと思われる人がクレジットされています。リリース元はJULLANと同じSound Design Recordsなのでほぼ間違いないでしょう。しかしながら、それ以上の情報は見つかりませんでした。ちなみにSound Design Recordsからは、他にも元Filmsの岩崎工(Takumi名義)や喜多郎がリリースされていました。

Hiroshiのその後については情報がありませんが、Atsushiは、国際政治学者の道を歩み、現在は某大学の大学副学長として活躍されています。音楽とアカデミアでの両方の才能を持たれていたんですね。

謎の『The Very Best of JULLAN』
鳴り物入りでデビューし、CMタイアップ曲も発表したJULLANですが、シングルはオリコンで100位以内に入らない結果となってしまいました。チャートインできなかったものの、JULLANの果敢なチャレンジには敬意を払いたいと思います。JULLANのディスコグラフィは以下となります。

Albums:
Imaginary Doll (1984年)
Electromance (1984年)
Pulse (1985年)

Singles:
Imaginary Doll (1984年)
Because Of Love (1984年) オリコン143位、コーセー秋のキャンペーン・BE・イメージソング
Because Of Love (Long & English Version-Because Mix!) (1984年) 12”シングル、50000枚限定
Rouge Train (1985年) オリコン147位、コーセー化粧品春のキャンペーン・BE紅・イメージソング
Rouge Train Express (Long & English Version Of Rouge Train) (1985年) 12"シングル
Love Somebody (1985年) 告知後、未発売になったと推測

Jullanの再発は今までされたことがないと思っていました。しかしながら、Discogsでチェックしてみると、2018年と2022年に『The Very Best of JULLAN』というCDが香港のAvex Asiaから何とリリースされているではないですか!?所有している人はいるようですが、「このリリースはDiscogsでの販売がブロックされています。マーケットプレイスでの販売は禁止されています」という注意書きがあります。なぜ香港でリリースがされて、Discogsで販売が禁止されているのか、謎です。Avex Asiaという会社は確かに存在しますが、実際の発売元かも怪しく、ブートレグの疑惑もあります。配信音源もない中、CD化自体はいいのですが、「The Very Best」という割には3rdアルバム『Pulse』の曲と「Because Of Love」「Rouge Train」といったシングル収録曲は含まれておらず、やっつけ仕事的な選曲をしており、「僕に選曲させてよ」と言いたくなる内容ではあります。中途半端なCDはいいから、配信して欲しいです。もし中古レコード屋でJULLANを見つけたら、この記事を思い出して、手に取って下さい。

JULLAN - The Very Best of JULLAN (Discogs)

All Aboutでは”テクノポップ”のガイドというのをやっていましたが(新しい記事はないですが、現在も一応やっています)、僕がやっていたサイト、POP ACADEMYの正式名称は、“techno-electro-synth POP ACADEMY”でした。シンプルにTECHNO POP ACADEMYでもよかったのですが、国や個人によってテクノポップ、エレクトロポップ、シンセポップというジャンル名は多少使われ方が違うこともあり、全部ひっくるめたわけです。

2月8日の川崎レジデンツさん主催のStrange Loungeにて11月に行ったDAKER WAVES FESのレポートをさせていただく機会をいただきました。Strange Loungeは川崎レジデンツさんが各回ごとにテーマを作られており、今回はエレポップ(エレクトロポップの略、エレクトリックポップだという人もたまにいますが…)ということもあり、その際に以下のような一枚のスライドを差し込みました。絶対的な正解がある類いものではありませんが、自分なりにテクノポップ、エレクトロポップ、シンセポップの違いとその他のジャンルとの関係性について考えてみました。
techno-electro-synthpop.001

以下、要点となります。
  • テクノポップ、エレクトロポップ、シンセポップはかなり重複します。あえて言えば、テクノポップとシンセポップはより電子楽器寄り、エレクトロポップは生や電気増幅装置を使用した楽器の比重が増える傾向があります。また、3つジャンルの中では、テクノポップはより諧謔的(ユーモラス)で未来的な志向が強いコンセプトの作品が多いです。Kraftwerk、YMO、Bugglesはそういう点ではテクノポップで、諧謔的という点ではDevoも入れたくなるのです。

  • これら3つのジャンル、特にエレクトロポップはニューウェイヴに含まれるものも多いです。でもエレクトロポップやテクノポップの要素が希薄なニューウェイヴもかなりあるので、ニューウェイヴ=エレクトロポップではありません。

  • 例外的に電子楽器を多用するパンクもありますが、パンクはニューウェイヴに移行する段階で電子楽器の比率が高くなり、叛逆性が減少する傾向があります。Blondieなんかは初期はパンク、そしてニューウェイブに移行し、Giorigio Moroderと組んでエレクトロポップとかなり横断したケースです。ポストパンクという言葉もあり、僕の中でパンクとニューウェイヴが交差している部分ですが議論の余地はあるでしょう。

  • グラムロックの精神と装飾を受け継いだニューロマンティックはニューウェイヴにかなりの部分が包括されて、エレクトロポップとの被る部分も多いです。

  • 最後にダークウェイヴはゴシック色が強く、80年代以降も地道に存在感があります。Depeche Modeの存在感は大きいです。ポジティヴパンク、コールドウェイヴ、ドリームポップなどのサブジャンルとも被っており、判別が難しいケースも多々あります。


音楽のジャンルは非常に主観的であり、解釈に幅があるため、ここでの説明はあくまでも一つの観点です。二つの軸だけで分類すること自体が難しいですが、平面的に表現したためにこんな感じになってしまいましたが、大体のニュアンスを感じていただければ、嬉しいです。

Honma Expressについて書きます。きっかけはつい先日、高畠由加里さんからいただいたメッセージです。高畠さんの夫である本間柑治(片柳譲陽)さんが2020年4月22日に逝去されたことを知りました。

所属事務所より大切なお知らせ (DS i Love You)

生前の本間さんのメッセージ動画や作品情報が掲載されています。ページの末尾には高畠さんが撮影した写真があり、2015年8月に赤城忠治さんと本間柑治さんが歩いている後ろ姿が映っています(赤城さんの家の近くだと思われます)。赤城さんも2023年7月に亡くなりましたが、Filmsに関わったお二人の逝去は非常に残念です。

以前、POP ACADEMYの別館としてFilmsに関する情報を集めたアーカイブHPを運営していました。現在は閉鎖されていますが、こちらがそのページのスクリーンショットです。
films

Filmsに限らず、関係者の情報も掲載しており、本間柑治さんについても書いていました。Filmsの唯一のアルバム『Misprint』では、MC-8、Moog、System700などの電子楽器を担当し、共同プロデューサーとしても名を連ねています。

『Misprint』は1980年にリリースされましたが、同年、本間柑治さんはHonma Express名義で『You See I…』というアルバムをリリースしました。
HonmaExpress

A1. Unit Cohesion Index
A2. What The Magic Is To Try
A3. Casaba
A4. Fata Morgana(蜃気楼)
B1. Spasmodical
B2. Crazy Dream
B3. Child Of Fortune(運命の寵児)
B4. Idle Curiosity(無用の好奇心)



Discogsで確認すると、ブラジル盤も存在するようです。帯には「テクノ・ポップ」と記されていますが、シンセサイザーと生音、ポップと実験が融合したエクレクティックな音楽です。B1「Spasmodical」では、終盤で急に回転数を落とすなど、あちらこちらに音のユーモアが感じられます。ライナーノーツでは、林潤一というシンセサイザー研究者との対談が掲載されており、本間さんの答えはちょっとシニカルなユーモアに溢れています。アルバムには、Yamaha CS-80、Yamaha SS-30、Moog System 15 & Minimoog、Roland System 700 & System 100、Roland VP-330、Roland MC-8、Sennheiser VSM-201などの電子楽器がクレジットされていますが、対談では本間さんは自身を「エレクトロニクスの専門家ではない」と答えています(実はそんなことないと思います)。

Honma Expressとしては、このアルバムとシングル『What The Magic Is To Try(ワット・ザ・マジック)』(アルバムA2収録曲)のみですが、本間さんが片柳譲陽名義でプロデューサとして参加したTPOにもその影響が見られます。その後、活動をCM音楽制作にシフトされましたが、CM曲「アパルトマン」にまつわるストーリーについては以下の記事で紹介されています。ぜひお読みください。最後に、本間さんのご冥福をお祈りします。

F1中継で何度も聞いた「マンションCM曲」天才作曲家の数奇な人生 (withnews)

友利昴さんが書いた『エセ商標権事件簿』を読み終えました。前作『エセ著作権事件簿』の続編となる過激権利主張ケーススタディーズ Vol. 2となります。500ページ近くの分厚い本ですが、前作同様に面白くていっきに読めました。
ese-shohyoken



商標権の範囲は国によって異なるようですが、言葉以外にもロゴ、シンボル、デザイン、色彩、モーションマークなどの視覚的なもの、サウンドや触感に対しても認められるケースがあります。本書においてもさまざまな業界での事例が紹介されています。僕自身、割とニュースとか見ている方だと思うのですが、知らなかった事例がほとんどです。顛末も含めて、ちゃんと報道されないケースも多いので、こういう形でまとめられていることには、商標権の理解を深めたり、理不尽な訴えを牽制するためにも意義があると思います。

音楽業界に関わるものだけをとっても以下のようなものが挙げられています(権利を訴えた側→訴えられた側)。

矢沢永吉パチンコ店事件:矢沢永吉→平和、パチンコ店経営会社23社
クリスタルキング事件:ムッシュ吉崎→田中昌之
ピンク・レディーdeダイエット事件:ピンク・レディー→光文社
MISIA事件:MISIA→タカラトミー
ELLEGARDEN事件:ELLE→ELLEGARDEN
グッチ裕三事件:グッチ・ジャパン・ホールディングス→小学館
ペンパイナッポーアッポーペン事件:アップル→エイベックス、ピコ太郎
ザ・ローリング・ストーンズ ベロマーク事件:The Rolling Stones→Acid Black Cherry
ミッキーマウス事件:ディズニー・エンタープライゼズ→deadmau5

明らかに金銭目的の悪巧みから、ブランド価値を守るため、感情的になってしまったなどその動機はさまざまですが、市場の健全な発展を支え、消費者と事業者双方に利益をもたらすという商標権の目的から逸脱している主張も見られ、人間が持つ「独占欲」には気をつけないといけないなと再認識させられました。また、不幸にも訴えられる側になった場合、商標権に対する正しい理解をもとに非がないのであれば、毅然とした対応をすることも大事ですね。

Shock解散後の話をします。Shockの中心メンバーだったパントマイマーのTim DryとSean Crawfordは、Tik & Tokと名乗り、Survival Recordsから1stシングル『Summer In The City』をリリースします。こちらは、Tik & Tok名義で唯一の日本盤シングル。「Angel Face」と同様にこちらもカヴァー曲(オリジナルはThe Lovin' Spoonful)です。プロデューサーは、Peter Godwin。彼のバンド、Metroの「Criminal World」はDavid Bowieもカヴァーしました。

Tik & Tok - Summer In The City(1982年)
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2ndシングル『Cool Running』後にリリースされたのが、『Screen Me I'm Yours』。YouTubeではShock名義でShockのもう一人のパントマイマーだったBarbie Wildeがその動画をアップロードしていることから、Richard Burgessが書いたこの曲はShock時代からの持ち曲だったようです。作風もShockです。このシングルのアートワークは、日本盤の『Summer In The City』とほぼ同じなので、間違えないように。

Tik & Tok - Screen Me I'm Yours(1984年)
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この3rd、4th「Everything Will Change」、5th「Higher Ground」を収録したアルバムが『Intolerance』。ShockのメンバーだったBarbieもバックボーカルで参加しているので、仲違いをしたようではないみたいですね。特筆すべきは、Garyのツアーサポートもしていた縁で、Gary NumanがA3「Show Me Something Real」とB4「A Child With The Ghost」でシンセサイザーで参加し、B4はGaryの提供曲です。また、Garyと縁の深いRussell Bell(Dramatis)も参加しています。歌舞伎風のアートワークといい、B1「Intolerance」では薬師如来というクレジットの琴演奏者によるインストルメンタル曲といい、日本の影響が窺えます。

Tik & Tok - Intolerance(1984年)
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ちなみにRusselはXでのGaryたちが映ったツィート画像にコメントしています。

Carole Caplin, Gary, Jane Kahn and Sean from Tik & Tok (X)

TikことTim Dryは90年代終盤に僕のサイト、POP ACADEMYを見つけて、以下のメールをくれました。当時にBlitzシーンの様子、YMO、日本文化への興味などを語ってくれました。1982年は来日もしており、ニューロマンティックな装いの日本人が案内をしてくれたそうです。一体誰だったのか、とても気になります。

ロンドンでは1979年から1980年にかけてRusty Eganが始めたBlitzシーンがありました。彼は、初期のDavid BowieやRoxy Music、Kraftwerkなどを流すクラブを運営していました。徐々にこのクラブに訪れる人たちが増え始めました。なぜなら、そこで流れる音楽は、他の場所で流れるものとは全く異なっていたからです。Rustyは、Steve Strangeと名乗る若者をドアマンとして雇い、彼は珍しい格好や華やかな格好をした人々だけをクラブに入れるようにしていました。

約1年後、クラブの人気が高まったため、もっと大きなクラブを探さなければならなくなりました(人々は、たとえ一晩だけでも、退屈で平凡な日常から逃れる必要があるのです!)。新しいクラブは、コベント・ガーデンにあるワインバーで、Blitzと名付けられました。美しい女性のような見た目をした若者が、クローク係として働いていました。彼はBoy Georgeでした!

このシーンは小さく、この時点でロンドンにしかなかったので、みんながお互いを知っていました。ShockはBlitzで演奏し、UltravoxのMidge UreとBilly Currie、間もなくSpandau Balletとなる少年たちなど、多くの人々の前でパフォーマンスをしました。この時、Tik & TokはまだShockの一部で、Ultravoxのために1つのビデオを制作しました。また、Simon Le Bonの彼女だったJane Kahnが私たちの服を作っていたため、Duran Duranとも知り合いでした!

音楽を作る人々は、ヨーロッパの音楽に大きな影響を受けていました。なぜなら、それはより堕落してロマンチックな時代を反映しているように思えたからです。ShockはCabaret Voltaire、Fad Gadget、Talking Heads、自分たち独自のものと同様にYellow Magic Orchestraを自分たちの曲の一部に使っていました。

Shockが解散した後、Tik & Tokはますます日本の文化に興味を持ち始め、1982年には、東京で大規模なヘアエキシビションのパフォーマンスと振り付けを行うために来日しました。私たちは、古い文化、侍の伝統、そして同時に存在する非常にハイテクで未来的な社会という、興奮するような文化の混在を愛しました。私たちは、人々の礼儀正しさ、優雅さ、そしてエレガンスに感銘を受けました。それは、未来を訪れるようなものでした!

私たちは、衣装やステージショーに日本の影響を多く取り入れて帰国しました。私たちは、能や歌舞伎の要素を使用し、山海塾という素晴らしい舞踏団を見て感銘を受けました。また、私たちはオープニングのパフォーマンスをロボットのスタイルから忍者に変更しました。さらに、私たちは感激のローランドSH 101シンセも持ち帰りました。若い日本人が西洋のポップ音楽や文化を取り入れながら、自国の文化にも誇りを持ち、意識していることを見るのは非常に興味深いことでした。

Tik & Tokが東京にいた時、私たちを案内してくれる日本人の友人がいました。彼は、黒い1960年代のロンドンタクシーで私たちを運転し、Jane Kahnのニューロマンティックな服を着ていました!もちろんYMOが好きでしたが、何よりも坂本龍一のソロが気に入りました。そしてSandii & The Sansetzも! 彼女は非常にセクシーで魅力的でした!

そして、日本食や美しい女性たちも素晴らしかったです!


Tikが書いたオリジナルの英語の文章は、POP ACADEMYに掲載後、Tik & Tokの公式サイトに今も掲載されています。

The Blitz And Japan (Tik And Tok)

Discogsでも関連付けられていないのですが、TikはTony Lewis(Aphroditeというパンク・バンドにいたBeki Bondageをプロデュース)と組んで、The Wang Bros.名義でThe Beatlesの「While My Guitar Gently Weeps」をニューウェイヴ風カヴァーしています。残念ながら、プロモーションされずに鳴かず飛ばずだったと、YouTubeでTikはぼやいています。

The Wang Bros. - While My Guitar Gently Weeps(1985年)
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Tik & Tokのリリース元、Survival Recordsは他にもマイナー系エレクトロポップ・アーティストの宝庫となっているので、Rare Waveとしてさらに掘っていきます。

昨年から長らく放置状態だったアナログ盤を聴き直したり、新たに買い集めたりしています。色々調べ直してみると面白い発見もあったりするので、ここで比較的レアなアーティストや楽曲を中心に順次紹介していきます。第1回はShock。アルバムも出さず、日本盤も出ないままに、消滅したので、日本での知名度は低いですが、ニューロマンティックのエッセンスが詰まったパフォーマンス集団です。

こちら、彼らの1stシングル『Angel Face』のジャケです(所有しているのはアートワークなしの12"シングルで、こちらは7"シングル)。

Shock - Angel Face (1980年)
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左から、LA Richards、Robert Pereno、Tim Dry(ピエロみたいな人)、Barbie Wilde、Sean Crawford、Karen Sparksです。PVを見るとわかってもらえると思いますが、男女ともいい意味でケバい。彼らの衣装はDuran Duranなどの衣装を手掛けたKahn & Bellによるもの。3人のパントマイマーと3人のディスコダンス・チャンピオンがやっているのでビジュアル的にも映えます。サウンドは、ニューロマンティックの仕掛け人的存在のRichard Burgess(Landscape)とRusty Egan(Rich Kids、Visage)が手掛けているだけあって、スピード感にあふれています。



これがカヴァーだと気づく人は相当のグラムロック・マニア。「Angel Face」のオリジナルは、グラムロックのあだ花的存在のThe Glitter Band。70年代サウンドが80年代サウンドになるとどう変わるかが感じ取れます。現在79歳のGary Glitterは性犯罪者指定刑務所にて8年間の服役を経て、昨年仮釈放となりましたが、制約を守らなかったため今も服役中。

The Glitter Band - Angel Face(1974年)
R-1661534-1235246017



カップリングの「R.E.R.B.」はかっこいいインストルメンタルですが、タイトルは曲を書いたRusty EaganとRichard Burgessの頭文字。Shockの作品というよりも二人の作品ですね。

最後の作品となった2ndシングル『Dynamo Beat』では、RobertとKarenが抜け、Carole Caplinが加わって、ドラキュラ伯爵とロボット男、中世風ゴシック嬢が入り乱れるホラー映画の様相となっています。ちなみにAdam Antとも浮名を流したCaroleは、後にTony Blair首相のフィットネス・アドバイザー、Cherie Blair夫人のスタイル・アドバイザーとなります。

Shock - Dynamo Beat(1981年)
R-197107-1265645697



デジタル音源があるかと探してみると、Rusty Eganが手掛けた『Blitzed』というニューロマンティックの舞台となったクラブ、Blitzを描いたSky Artsのドキュメンタリー用に作られたコンピレーションにShockの「Angel Face」「R.E.R.B.」「Dream Games」(「Dynamo Beat」のB面)が収録されています。Apple MusicやSpotify、Amazon Musicでも聴けます。

Rusty Egan Presents; Blitzed(2022年)
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ドキュメンタリーのトレイラーは見れますが、日本でフルで見ることはできないのが、残念です。

Blitzed Trailer


RUSTY EGAN: The Blitzed Interview (ELECTRICITY CLUB)

Shock解散後のメンバーの動向については続編で!

2005年に稲見淳さんにAll Aboutでインタビュー記事を書きました。90年代初期にControlled Voltageというバンドで活動し、加藤賢崇さんがプロデュースしたオムニバス『トロイの木馬』(1993年)にも「Closed Eyes View」という曲で参加しています。元P-MODELの福間創さんもメンバーで、参加のきっかけについて以下のようなお話がありました。福間さんにもSoyuz Projectとしてインタビューさせてもらいましたが、残念なことに2022年に他界されました。

Controlled Voltageのライヴに 加藤賢崇さんがいらして、ライヴ後声をかけてくださったんです。「あのMemorymoogいくら?」って(笑)それがきっかけです。『トロイの木馬』発売記念ライブを最後に僕は Controlled Voltageを脱退しました。確か21〜22才の頃です。


稲見さんにインタビューした時に、Controlled Voltage結成のきっかけについてもお話しいただきました。

あのバンドは電子音楽だけどライヴ中心のバンドがやりたかったので、そういった編成(生ドラムがいるとかボーカリストがいるとか)を条件に結成しました。録音は一人ででも出来るし、それまで録音ならではのテープ編集やコラージュ的な作品を作っていましたが、とにかくバンドという形態でのエレクトロニックなものをやりたかったので、それがControlled Voltageとなりました。また、そのバンド以前の眠っている音源とかも何らかの形で発表できればと思っています。15年くらい前の音源ですが今聴くと結構おもしろいんですよね。


サウンドデザイナー稲見淳さん (All Aboutテクノポップ)
トロイの木馬 (Discogs)

2005年のインタビュー後、18年経ちましたが、ついにControlled Voltageの発掘音源がリリースとなり、今回、新たにリリースされた音源を聴く機会がありました。11月29日から通販を開始した3タイトルは以下となります。それぞれ192枚限定(デジタル配信はありません)となります。

Controlled Voltage『Mind Accelerator』
CV1

1993年にリリースされたカセットテープのスタジオ録音盤をリマスター。
クレジットされているメンバーは:
杉本敦
稲見淳
福間創
MASA
YMOで言うなら『BGM』あたり、Japan、Ultravoxにも繋がる英国の耽美的なニューウェイヴ的サウンド。稲見さんらしい緻密なシンセ音で構成されています。歌詞はすべて英語で、8曲目の「The End of 125」が刺さりました。ちなみにドラマーのMASAさんは、エレクトロポップのサイト「すきすきエレポ」を運営していたかっこいい女性です。

Controlled Voltage『Dust To Digital』
CV2

時期的には『Mind Accelerator』前の音源となりますが、カセットテープのデモ音源をリマスター。こちらの方がダンサブルかつインダストリアル色が強いです。

Controlled Voltage『Un Official Live Tapes』
CV3

古いハードディスクから発掘された1993年〜1994年にかけての音源と1992年のライヴ動画。

こちらから購入できます。

稲見さんによると、今回収録できなかった過去音源がまだあるらしく、過去音源2枚と稲見さん一人でのControlled Voltage名義の新譜のリリースも予定されています。

稲見さんとのインタビューにも出てきますが、2004年と2005年には今はなき上屋劇場(現在はハーバースタジオ)でKobe Underground Festivalが行われました。2005年にはAUTO-MOD with 稲見淳としての出演もありました。ゴシック色が強いが多彩な顔ぶれの、今も印象が残っているイベントです。もう18〜19年前のことかと思うと、時間が経つの早いなとため息混じりになります。

Kobe Underground Festival
Kobe Underground Festival 2004-2005 (Discogs)

パブリブから『ゴシックメタル・ガイドブック』が発売されました。〈世界過激音楽〉のシリーズとしてなんと19冊目! 濱崎編集長のメタル愛を感じます。とは言うものの、僕はゴシックメタルには全く詳しくないのです。紹介されているバンドの中で知っているのは、当時バカ売れしたEvanesceceくらい。そんなアウェイ感があるジャンルですが、目次の後に書かれた「ゴシックメタルの音楽的背景と血脈の探究〜ルーツと周辺ジャンル」を読み始めて、一気に親近感が湧いてきました。

gothicmetal





端的に言うと、ゴシックメタルはべヴィメタルをルーツとするものの、もう一つの重要なルーツはニューウェイヴ〜ポストパンクから派生したゴシック的なバンドにあるということです。こちらで紹介されているのは、Joy Division、Siouisie & the Banshees、Bauhaus、The Cure、The Sisiter of Mercy、The Mission、Killing Joke、Cocteau Twins、Dead Can Dance、All About Eve、Depeche Mode、The Cult、Christian Death、Fields of the Nephilim。この辺りになると、僕にも馴染み深いバンドが多く、先日参戦してきたロサンゼルスでの「DARKER WAVES FES」のラインアップともちょい被ります。New Orderとしてですが、Joy Divisionの名曲「Love Will Tear Us Apart」は聴けたし、見れなったけど、Christian Deathも出演していました。短いブームだったポジティヴパンク、ダークウェイヴ、コールドウェイヴ、ドリームポップ(耽美系)などのサブジャンルとも被ります。

著者の阿久津孝絋さんは、日本のヴジュアル系がきっかけとなり、このゴシックメタルへとのめり込んだと書かれており、巻末のコラム「ゴシックメタルとタグ付けされたヴィジュアル系バンドたち」で、ヴィジュアル系とゴシックメタルの関係についての考察をされており、面白かったです。

というわけで、ゴシックメタルの御三家のParadise Lost、Anathema、My Dying Brideあたりから聴いてみます。

2023年11月18日にDARKER WAVES FESに行ってきました。久しぶりの海外フェスということもあり、レポートをします。会場となったHuntington Beachは、ロサンゼルス空港から車で約1時間のサーファーの聖地です。

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入場は午前10時。前日に入手したリストバンド、ID(免許証がないのでパスポート)が必要。小さなバッグ以外は、バッグは透明でないとダメです。VIPチケット+ホテル+バッグがセットになったパッケージを購入したので、DARKER WAVESと書かれた透明バッグを持っていきました。持ち込み禁止のリストが数え切れないくらい書いてありましたが、意外とセキュリティチェックは緩かった印象です。

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最初のステージは12時ごろなので、それまでグッズ売り場でお買い物と野外ブースでランチ。買ったのは、DARKER WAVES FESの長袖TシャツとNew Orderの半袖Tシャツ。会場内の支払いは全てクレジットカードによるキャッシュレス。Tシャツを買う時も15%以上のチップ(何に対してかは謎)を任意ですが要求されます。ここに限ったことではありせんが、アメリカでの外食は物価高、円安、チップ加算となり、日本の2~3倍。会場での飲食も飲み物込みで、30ドル(4,500円)くらいになります。

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DARKER WAVESという名前のフェスですが、ライナップはどちらかというと、80年代ニューウェイヴおよび現在進行形のシンセウェイヴ系で、それほどダークウェイヴ色が強いわけでありません。会場を見渡すと、10代から60代まで幅広く、ティーンエイジャーを連れた親子らしきグループも見かけました。日本人らしき人には出会いませんでしたが、地域性やラインアップの影響もあり、全体に白人率が高いです(白人系>ヒスパニック系>アジア系>黒人系)。自分も含めて割と普通のおじさん・おばさんが多かったですが、比較的主張が感じられる人の構成比(重複あり)を推察すると以下のようになります。

タトゥー率:3割
ロックT率:2割(Depeche Modeは出ないのにTシャツ着てる人を散見)
ゴス率:1割(Siouxsie And The BansheesやStrawberry Switchbladeを思い浮かべてください)
原色ヘアカラー率:3%
エナジードーム率:0.1%(会場で売っていました)
スパイクヘア率:0.01%

今回の悩みどころは、観たいバンドが結構重なっていること。しかも、会場にDARKER、TIKI、WAVESの3つのステージがあり、それぞれが結構離れている。

特にこの辺りが衝突しています。
OMD vs X
The Psychedelic Furs vs Echo & The Bunnymen
The B-52’s vs The Human League

では、観た順番にレポートします。ちなみにVIPチケットは、専用のステージ観覧の入り口があり、めちゃ混んでいない限りは結構近くで見れます。

11:55-12:25 Glass Spells (DARKER)
フェスの最初の2時間くらいは、比較的新しいバンドで固めています。Glass Spellsは、サンディエゴ出身のちょっとダークなシンセウェイヴ二人組ユニット。ヒスパニック系のようで、スペイン語でも歌っていました。

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12:30-1:00 Mareux (DARKER)
地元ロサンゼルス出身のNew OrderやThe Cureに影響されたようなダークウェイブ。多少、エレクトロ的なクラブよりの音。

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1:05-1:35 Cold Cave (DARKER)
こちらもロサンゼルス出身。夫婦ユニットですが、名前から想像できるようなダークウェイヴ、コールドウェイヴ系。

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1:40-2:10 The Chameleons (DARKER)
マンチェスター出身のポストパンク系バンド。80年代に活動し、解散後再結成を2度している。Lori & The Chameleonsの方が知っているが、The Chameleonsは別バンドでほとんど聴いたことなし。ここまでは、もともと知らないバンドばかりで、1週間経ったということもありますが、それほど強い印象がありません(ごめん)。

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2:05-2:35 The English Beat (WAVES)
The Beatを観るために、ステージを移動。The English Beatは北米でのThe Beatの名前ですが、The Beatの系譜はややこしい。ここで登場したのは、The Beat starring Dave Wakeling。ツートーンのムーブメントから出てきたThe Beatは、Fine Young CannibalsとGeneral Publicに分裂。今回のThe Beatの唯一のオリジナルメンバーはDave Wakelingで、彼がいたのは、General Public。また、その後、別のメンバーはInternational BeatやSpecial Beatとしても活動。近年は、Dave Wakelingを中心にThe Beat starring Dave Wakelingとしてツアーをしていますが、別のオリジナルメンバーのRanking Rogerも2019年に亡くなるまでThe Beat with Ranking Rogerとして活動していました。Dave Wakelingはカリフォルニア在住で、現在はイギリスのバンドというよりもアメリカのバンドです。スカ系の需要は北米にもあるんでしょう。「Mirror in the Bathroom」「Save It for Later」などの往年のThe Beatのトラックが中心でしたが、General Publicの「Tenderness」もやってくれました。楽しめましたが、出だしにマイクトラブルがあったのがちょっと惜しかった。

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2:40-3:20 OMD (WAVES)
タイムテーブルが被っているXにも行きたかったのですが、移動も考慮して、OMDのWAVESステージにステイしました。OMDは2010年の復活作『History of Modern』もリリースを続けていますが、フェスということもあり、「History of Modern (Part I)」以外は80年代のヒット曲で以下10曲をやってくれました。マニアックな選曲も好きですが、やはり、身体が覚えている多くのヒット曲を持つバンドのライヴは素直に楽しめます。Andy McCluskeyが「If You Leave」を紹介する際に「次はJohn Hughes映画からの曲をやる」みたいな紹介していたのが印象的でした。同世代のアメリカ人の多くも『Pretty in Pink』などの青春コメディ映画を観ていたのでしょう。最後は日本でも有名な「エノラ・ゲイの悲劇(Enola Gay)」。当時そこまで意識してませんでしたが、この曲はキャッチーですが、広島に原爆を投下したB-29の機名「エノラ・ゲイ」を擬人化した歌詞。原爆投下に対してイギリス人らしくシニカルな批判しています。アメリカ人はどれほど歌詞の内容を理解して聴いていたのでしょうね。

Electricity
Secret
Tesla Girls
History of Modern (Part I)
(Forever) Live and Die
If You Leave
So in Love
Dreaming
Locomotion
Enola Gay

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3:25-4:05 Violent Femmes (WAVES)
本当はベラルーシのMolchat Domaの方を観たかったのですが、次はこのステージでDevoなので、居残ることに。全然予備知識がなかったバンドですが、Violent Femmesは80年代初期から活動しているフォークパンク・バンド。フォークパンクと言えば、イギリスならthe Pogues、アメリカならViolent Femmesと言われる存在らしい。

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4:10-4:55 Devo (WAVES)
このフェスの1週間ほど前にStrange LoungeというイベントでDevo三昧をしました。マニアックすぎる選曲で今回のフェスとは被りませんが、Devoに向けての高揚感が上がっていました。お待ちかねのDevoの登場です。エナジードームを被った人もちらほら見かけます。パンクの系のモヒカンでツンツンに髪を立てている人がいましたが、Devoとペイントされていました。当時のビデオも交えて、衣装も3種類(最後の衣装の写真がない!)、ビジュアル的にもDevoはステージングが楽しい。「Satisfaction」はやってくれませんでしたが(ワンマン・ライヴのフルセットではやっています)、こちらがセットリスト。

Don't Shoot (I'm a Man)
Peek-A-Boo!
Going Under
That's Good
Whip It
Planet Earth
Uncontrollable Urge
Mongoloid
Jocko Homo
Smart Patrol/Mr. DNA
Gates of Steel

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5:45-6:20 The Psychedelic Furs (DARKER)
長丁場でちょっと息切れして、Soft Cellは耳だけで、休憩後にThe Psychedelic FursのDARKERステージに移動。OMDと同じく、ほとんどの曲には聴き覚えがある。彼らの代表曲としてのイメージがあるのは、OMDのところでも書いたJohn Hughes監督の同名映画のモチーフとなった「Pretty in Pink」。原曲は1981年のアルバム『Talk Talk Talk』に収録されており、ヒットしたのは映画公開と合わせてリリースされた再録バージョンです。ボーカルのRichard Butlerは歳をとっても、貴公子然としておりました。

Heaven
Mr. Jones
The Ghost in You
Wrong Train
Pretty in Pink
Love My Way
Heartbreak Beat

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6:25-7:25 The B-52’s (DARKER)
The B-52’sは最後まで見たかったのですが、DARKERステージが遅れ気味で、Human Leagueも観たいし、New Orderにも遅れたくないという三重苦状態になり、「Cosmic Thing」まで聴いて、通り道のHuman Leagueを少し観て、New Orderを初めから観るという折衷案にしました。Cindy Wilsonの2017年のSXSWでのソロライヴは観ましたが、The B-52’sをライブで見るのは初めてです。Kate PiersonもFred Schneiderも70代とは思えないステージングで、Cindy Wilsonもシャウトしていました。ちなみにWAVESステージに移動した頃、New Orderが始まるまで、中継で終盤部分だけはモニター越しに楽しめました。

Planet Claire
Party Out of Bounds
Mesopotamia
Give Me Back My Man
Cosmic Thing
52 Girls*
Roam*
Whammy Kiss*
Dance This Mess Around
Private Idaho
Love Shack
Rock Lobster*
*聴き逃した

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6:25-7:25 The Human League (TIKI)
通りすがりなので、それほど近くで見れなかったですが、「(Keep Feeling) Fascination」と「Don't You Want Me」だけは、観れました。この辺りの曲は、合唱できる人が多い。フルのセットリストを見ると、余計に悔しくなる。

Mirror Man
Heart Like a Wheel
The Sound of the Crowd
Open Your Heart
Seconds
The Lebanon
Human
Love Action (I Believe in Love)
Tell Me When
(Keep Feeling) Fascination
Don't You Want Me
Being Boiled
(Together in) Electric Dreams

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7:25-8:40 New Order (WAVES)
本イベントのメインアクトとなるNew Orderです。2020年、2022年(振替)に予定されていたJapan Tourはコロナのせいで中止となってしましたが、やっと観れます。ベースボールキャップを被ったバーニー登場! オープニングの「Regret」で既にジーンと来てしまいます。やはりNew Orderの曲は心の琴線に触れます。「Bizarre Love Triangle」…「True Faith」…「Blue Monday」…あたりで高揚感に浸っておりました。ラストの「Love Will Tear Us Apart」は、DARKER WAVESには相応しい名曲。早く来日してほしい。

Regret
Age of Consent
Ceremony
Your Silent Face
Be a Rebel
Sub-Culture
Bizarre Love Triangle
Plastic
True Faith
Blue Monday
Temptation
Love Will Tear Us Apart

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8:45-10:00 Tears for Fears (DARKER)
本来ならDARKERステージに移動すべきなのですが、モニターで比較的前で観れるので、そのままWAVESステージに残りました。Tears for Fearsの大ファンというレベルではないですが、彼らのアルバム『Songs From The Big Chair(邦題:シャウト)』が大ヒットした1985年頃はちょうどアメリカに居たので、よく聴いた覚えがあります。アルバムも買ったはずなのですが、なぜか手元にありません。80年代いやほど流れてきた感もありますが、改めて聴いてみると、「Sowing the Seeds of Love」「Head Over Heels」あたりはグッときます。ちなみにCurt SmithとRoland Orzabalの二人はもともとGraduate(オススメ!)というスカリバイバル系バンドにいました。

No Small Thing
Everybody Wants to Rule the World
Sowing the Seeds of Love
Long, Long, Long Time
Break the Man
My Demons
Rivers of Mercy
Mad World
Memories Fade
Suffer the Children
Pale Shelter
Break It Down Again
Head Over Heels / Broken
Shout

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以上、DARKER WAVESについてのレポートでした。少しでも現地の雰囲気が伝われば幸いです。

パブリブからの新刊本、衣笠太朗さんが書かれた『旧ドイツ領全史』を紹介します。音楽系のテーマが多いパブリブですが、このような研究者によるアカデミックなテーマも得意分野です。あとがきを読んでみると、パブリブの編集者の濱崎さんからの依頼はもともと、「旧ドイツ領ガイドブック」だったらしい。出だしの「歴史観光ガイド」からガイドブック的な要素ももちろんあるのですが、帯にあるように「そこはなぜドイツになり、そしてドイツでなくなったのか?」を解き明かしている歴史本です。

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旧ドイツ領全史: 「国民史」において分断されてきた「境界地域」を読み解く (旧領土スタディーズ)

資料としても大変価値がある内容ですが、これは個人的にも興味深いテーマです。僕の娘はここ数年ベルリンに在住しており、『共産テクノ 東欧編』の執筆の際は、ドイツおよび東欧諸国を訪れる機会が幾度がありました。例えば、歴史観光ガイドでも紹介されているポーランドのポズナニを訪れた際、ここは昔ドイツ帝国の一部だったとかを知るわけですが、この本でそのぼんやりとしたものがはっきりしてくるのです。同じく造船業で栄えたグダニスクもかってはドイツ領であった。この地は、ワレサ率いる連帯の運動が始まった地としても有名です。

陸続きの国境がない日本人にとってはなかなか実感が湧かないのですが、国境特に飛び地は好奇心がそそられます。バルト三国が独立した結果、ロシアの飛地となったカリーニングラード州。ここもかってドイツ領だったわけです。多くの領土は国家の都合のいい解釈で成り立っていることが見えてきます。ちなみにプーチン大統領の元妻のリミュドラは、ここの出身です。余談ですが、カリーニングラード州には、Комитет охраны тепла(熱のための委員会)というUB40のような共産レゲエ・バンドがいます。



しばらくの間は難しいですが、この本で予習した後、バルト三国経由でカリーニングラード州を訪れたいもんです。

2018年11月4日、オリャことオリガ・ヴァスカニヤーン(Ольга Восконьян)について書きました。「新譜をリリースしたよ!」とオリャからVKを通じて連絡があり、彼女にショート・インタビューをしました。

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デビュー時のオリャ

—オリャ、お久しぶりです。お元気ですか?

オリャ:とても元気です。前回(2018年)お話をしてから、多くの変化がありました。

—この2、3ヶ月コロナウィルスは全世界に拡散されました。ロシアでは1日1万人を超える感染者が出た日もあったと聞いています。ロシアの現在の状況はどうですか? どのように日々過ごしているのですか?

オリャ:はい、ウィルスは、他の地域を同様にロシアでも猛威を奮っています。現在は、減少傾向が見えてきており、日々の感染者は1万人を割っています。ロシアではとても厳しい規制があります。外出は生活物資を買うためだけに限られ、マスクと手袋を着用しなくてはいけません。1週間に2回だけ外出できるパスがもらえます。違反した場合、7000円程度の罰金が課されます。オフィス、保育園、食料品店とレストラン以外のショップは休業しており、全てのコンサートやイベントは中止となりました。基本的にみんな、家にいるか、ダーチャのような郊外にいます。

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完全武装のオリャ

—日本もまだ緊急事態宣言が本格的に解除されていませんが、ロシアの状況も良くなることを祈ります。話は変わりますが、新譜『Color Dreams』のリリースおめでとうございます! ここには、新曲、最近リリースしたシングル曲、それらの新しいリミックスなどが収録されていますね。長い沈黙の後、この2、3年、あなたはとてもアクティブに活動をしているようですが、何がその変化をもたらしたのですか?

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Color Dreams

Apple Musicでも聴けます!
Color Dreams

オリャ:はい、新譜は私にとって素晴らしい長く待ち望んだ喜びです。きっかけは、ビオ(Био)で活動することに再度誘われて、ちょうど時間があったので、了承したからです。まずは、アルバム『Automobiles (Автомобили)』を出すことをオファーしてくれました。現在は、私自身も曲を作り、アレキサンドル・ヤコフレフがアレンジをしてくれています。その結果が今回のアルバムです。

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最近のライヴ

—アルバムの中で最も気に入ったのが、「動物の魂(Звериная душа)」。とってもキュートです。歌詞の意味は分かりませんが、タイトルがとても興味深いです。何について歌ったのですか?

オリャ:その曲は、完璧なチョイスです! 気に入ってくれて嬉しいです。現在、この曲のリミックスを制作しており、まもなく、次のシングルとして「動物の魂」をリリースする予定です。この曲は、動物と植物の世界について、地球上の美しい自然のすべてについて、どれほどそれらを愛し、慈しみ、学ぶべきかついて歌いました。銀の時代(19世紀最後から20世紀初期にかけてのロシアにおける詩の黄金時代)の二つの古典的な詩から、一節を取り出し、ミックスしました。オシップ・マンデリシュターム(Осип Мандельштам)とコンスタンチン・バリモント(Константин Бальмонт)からの引用です。これらは同じテーマを持ち、うまく組み合わせられました。

—アルバムとは別に新しいミュージックビデオ「Автомобили System Eta Future Bass Remix」もリリースされていますね。あなたのデビュー曲はFuture Bassサウンドに変身し、アニメーションとしてビジュアライズされています。ロシアでは日本のアニメも人気があると聞きます。ソ連時代に日本のアニメを見るチャンスはあったのですか? 好きな日本のアニメはありますか?

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Автомобили System Eta Future Bass Remix



オリャ:ロシアに「愛好者の狭い輪ですごく知られた」という慣用句があります。広くは知られていないけど、とても独占的な物に対して使います。多分、アニメにはこの表現が当てはまります。日本のアニメはちょうど私にとってこの状態です! 漫画、アニメ、コスプレなどこういう世界を作っていることに感銘を受けました! 人々はこう言った若者文化を気に入っているのでしょう。でも、ロシアのテレビではほとんど放映されません。素晴らしい漫画もありましたが、ごくわずかです。多くのものは完全に子供向けです。これはおかしいと思います。ホラー映画や血に飢えたファイターの支配よりもキュートな漫画やアニメを見る方がいいです。アニメはもっと幅広く受け入れられるべきです。このような状況が是正されて、System Etaのミュージックビデオの制作者がこのアニメの方向でやっていくことを真摯に望んでいます。ソ連時代、日本の漫画やアニメが紹介されることはほとんどありませんでした。唯一覚えているのは、とっても怖かった怪物の映画です。

—オリャ、ありがとう。これからの活動も楽しみにしています。あなた自身をモチーフにしたアニメを是非作ってください。

共産主義陣営からの亡命者または移住したアーティストは数多くいますが、その中でも一番成功したのは、パンクの女王、Nina Hagenでしょう。彼女は1976 年に西側(最初はイギリス)に母と共に亡命しました。

彼女の東ドイツでの足跡を辿ります。彼女の最初のレコーディング音源と思われるのは、1973年の『Solidaritat Geht Weiter(連帯は続く)』と国家主義的なタイトルのアルバムに収録されています。と言っても、Reinhard Lakomy Chor Und Orchesterの「Terra Humanitas」と曲でコーラスとして参加しているだけで、彼女の声がどれかの判別はつきません。

Solidaritat




Michael Heubachが結成したAutomobilはNina Hagen を見出し、1974 年にNina Hagen & Automobilという名義でシングル『Du Hast Den Farbfilm Vergessen(カラーフィルムを忘れたのね)』でデビューしました。いきなり東ドイツのチャート1 位となりました。2003年度の調査では、約4割の東ドイツ人がこの歌を歌えるほど国民に浸透しました。

サイケデリック風のジャケですが、軽快なポップロック。動画では、当時のあどけなさが残るNina Hagenと亡命後のパンクなNina Hagenがミックスされており、パンクの威力を感じます。個人的には前者のNina Hagenの方が好きと呟いておきます。

duhast



どこの国もニューウェイヴ歌姫のようなポジションの人がいます。ソ連の場合、自称火星人ことジャンナ・アグザラワ (Жанна Агузарова)、チェコスロバキアで言えば、Jana Kratochvílováです。日本の戸川純的ポジションと言った方がわかりやすいかもしれません。

Jana


デビューシングルは結構早い1977年の『Song』。バックビートが効いた前衛的な歌謡曲といった感じ。



1980年のシングル『Dlouhá Bílá Žhoucí Kometa(長く白い萌える彗星)』は、モーグサウンド的キラキラディスコ歌謡。



翌年にはThe Policeのカヴァー『Tvou Spásou Já Chci Být(高校教師)』をシングル・リリースしています。



Janaは1983年にはチェコスロバキアに帰国できなくなり、英国に残り、Jana Pope、Z Goddess名義でリリースをしましたが、残念ながらそれほど注目されることはありませんでした。最近もチェコスロバキアのメディアにも登場していますが、エキセントリック街道まっしぐらという感じです。


80年代からゲーム音楽とテクノポップは親密な関係にありました。古い記事ですが、YMOとゲーム音楽について書きました。

中田ヤスタカもゲーム音楽に関わったり影響されているふしがあります。

前置きが長くなりましたが、ハンガリーにもゲーム音楽とテクノポップの親密さが伺える曲があります。ハンガリーは内陸国なので、魚雷なんて関係ないはずですが、ハンガリーのテレビで「Torpedó Játék(魚雷ゲーム)」という番組がありました。日本では「海戦ゲーム」とか「軍艦ゲーム」と呼ばれているものです。マス目に複数の軍艦を配置して、二人で対戦するゲームです。昔、やった覚えがあります。それをテレビでやっていたのです。盛り上がったのだろうか、ちょっと心配です。



その番組から派生して、Kati Szabóというグループが1988年に出したシングル『Torpedó(魚雷)』です。思わせぶりにかっこいいイントロからユーロ歌謡みたいになる展開が微笑ましいです。

Torpedo




ハンガリー人に会ったら、魚雷ゲームについて訊いてみたい。

Marek i Vacek(Marek & Vacek)はMarek TomaszewskiとWacław Kisielewskiの二人のピアニストからなるデュオであります。1966年には「Tandem」というタイトルの 27分近くに及ぶ先駆的とも言えるミュージックビデオを発表していますが、こちらはそこからのベートベンの「アレグレット」の動画です。



80年代に彼らは、独自の解釈でクラシックのテクノポップ化を測ります。その代表曲とも言えるのが、「Melodia dla Zuzi(ズジのためのメロディ)」。二人とも真面目にやっていますが、どこかユーモラス。

Marek i Vacek




残念なことに1986年にKisielewskiは交通事故で他界し、デュオは活動中止となってしまいました。

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