四方宏明の“音楽世界旅行”〜Around the world

世界中のテクノポップ〜ニューウェイヴ系音楽を紹介。

『共産テクノ 東欧編』で扱った4ヶ国の中で最も開かれた共産主義国家は、ハンガリーでした。ニュートン・ファミリーという名前を聞いて、聞き覚えがあるそこそこの年配の人もいるのではないでしょうか? 本国ハンガリー以外で特に成功したのは日本と当時まだハンガリーとは国交がなかった韓国でした。 ニュートン・ファミリーについては課外活動の方が面白いのですが、メンバーのEva Csepregiはゴルバチョフを褒めまくる『O.K. Gorbacsov(Clap Your Hands For Michael Gorbatsjov)』を1988年に発表します。ちょっとThe Art Of Noiseっぽい。
O.K. Gorbacsov


O.K. Gorbacsov [MP3 ダウンロード]



彼女は、あのミュンヘンディスコのDschinghis Khanのメンバー、Leslie MandokiとEva And Leslieとしてコラボレーションを行いました。実は、Leslieは1975 年にミュンヘンに渡ったハンガリー人です。1988年のソウルオリンピック記念シングルとして『KOREA』(1987年)を発表しました。 韓国民謡の「アリラン」から始まるイタロディスコ的サウンドとなっています。
Korea


Korea (Hungarian Version) [feat. Leslie Mandoki] [Song for the Olympic Games '88 in Seoul] [MP3 ダウンロード]



この曲を知っている人、もしかすると、少女隊のファンもしくはかなりのアイドル通かもしれません。少女隊は「KOREA」のカヴァーを日本と韓国でリリースしています。「少女隊は韓国のテレビ放送で初めて日本の歌を歌った歌手であり、韓国でも人気があった」とのことです。
Korea


KOREA (日本語バージョン) [MP3 ダウンロード]


ハンガリーでPanta Rheiというバンドが1974年に結成されました。クラシック風味もあるプログレ系に分類できますが、ジャズロック的な要素も強く、シングルとしてリリースされた「Mandarin」という曲は、テクノ、ファンクそしてフュージョンが混ざったような初期のテクノポップ的な風合いが感じられます。こちらは、彼らの1979年にテレビでの演奏。



このPanta Rhei、1983年に突然、P.R. Computerと改名し、さらにテクノポップ化を推し進めます。デビュー作となった『P.R. Computer』は8万枚程度のヒット作となりました。

P.R.Computer



このアルバムは単なるリリースではなく、メンバーの一人、物理学者でもあるAndras Szalayが開発した「Muzix 81」をデモンストレーションするための広告塔でもありました。流石、理数系に強いハンガリーです。「Muzix 81」は、正確にはホームコンピュータ「Sinclair ZX81」に繋がれたシークエンサー、エフェクトプロセッサー、サンプラーを兼ね備えたシステムです。約300台が生産され、彼ら以外の楽曲制作にも使用された。Boney Mが使うという話もあったらしい。

版元ドットコムでも本の内容のアナウンスを昨日よりしていますが、本日より『共産テクノ 東欧編』がAmazonで予約できるようになりました。ちなみにカバーは東ドイツのホーネッカー書記長、ポーランドのmuselというシンセ、スロバキアのスロバキア放送ビルで構成されています。ハンガリーも入れたかったのですが、これだと思えるのが無く、断念しました。ハンガリーの皆さん、ごめんなさい。

共産テクノ 東欧編


今日のテーマはエル・ムージカ(El-Muzyka)。ポーランド語で「Electronic Music」つまり「電子音楽」を指します。このような名称が存在していたこと自体、知りませんでしたが、ポーランドでは一つのジャンルとなっていたことが窺えます。幸運にもポーランドに滞在中、二人のエル・ムージカの先駆者、Marek BilińskiとWładysław Komendarekに取材することができました。先ずは、Bilińskiを紹介します。ワルシャワ郊外にある彼のスタジオ兼自宅に伺いましたが、僕よりも少し年上の彼は、ハンサムで温厚な紳士!

BilińskiはBankというアートロック系のバンドのキーボード奏者として活動後、1982年エル・ムージカに専念すべく、ソロとして現在まで活躍をしています。彼は、70年代に冨田勲、Jean-Michel Jarre、Tangerine Dream... に出会い、電子音楽に魅了されていきます。電子音楽家として冷戦時代の共通の悩みは、いかにしてシンセサイザーなどの電子楽器を西側から手に入れるかです。東ドイツやポーランドには国産のシンセサイザーが80年代中盤あたりから出始めるのですが、まだ完成度が低かったようです。そこで活躍したのが、ポロニアと呼ばれる米国に移民したポーランド人です。Bilińskiもポロニアのコネクションにより西側製シンセサイザーを入手したのです。

こちらは、彼の作品の中ではニューウェイヴ色が強い「Ucieczka Z Tropiku (Escape from the Tropics)」 です。



こちらは、2012年に作られたドラムンベース仕様リミックス。



Amazonでもアナログ盤『Best Of The Best』が購入できます。

Best Of The Best

Best Of The Best [Analog] [LP Record]

『共産テクノ ソ連編』での一つの発見は、スポーツとテクノの親密な関係です。表現の自由が制限される中、80年代のエアロビクスやブレイクダンスのブームに便乗する形で、スポーツという大義名分のもと、電子音楽が作ろうとした人たちがいました。東欧でも、スポーツをテーマにしたテクノポップが存在します。そんな楽曲たちを僕は「スポーツテクノ」と呼ぶことにしました。

共産主婦はスポーツテクノでエアロビクス!

スポーツの祭典、オリンピックは、国家の威信をかけたイベントとして特に共産陣営では重要視されました。特に東ドイツはその先鋒として、1976年のモントリオールから1988年のソウル・オリンピックまで、メダル獲得数で米国を抜き、ソ連に続く第2位のポジションにいたのです。同時に東西ドイツ統一後、東ドイツの栄光の陰に潜む闇の部分として、国家によるドーピング・ システムに対する告発もなされましたが、最近になって、オリンピック選手強化のための電子音楽が存在したとの情報が明らかにされました。

映画スタジオ、DEFA (Deutsche Film- Aktiengesellschaft)でサウンドエディターとして働いていたMartin Zeichneteと言う東ドイツ人がいました。Kraftwerk、Cluster、Neu! などのクラウトロックのファン、そしてアマチュアのランナーでもあったZeichneteは、ウォークマンの前駆体となるStereobeltに着想を得て、クラウトロックをランナーのトレーニングに活用することを思いつきました。ある日、彼は政府に拉致され、オリンピック選手強化のための音楽を作るという極秘任務を言い渡されました。彼が製作したカセットテープは、約30年の年月を経て、Kosmischer Läufer として陽の目を見ることとなりました。現在まで『The Secret Cosmic Music Of The East German Olympic Program』としてVolume 1から3まで発表されています。

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The Secret Cosmic Music of the East German Olympic Program 1972-83, Vol. 1 [MP3 ダウンロード]



これらは虚構ではないかと疑うふしもありますが、こんな合法的ドーピングがあればなんて素晴らしいのでしょう。

Kosmischer Laufer


チェコスロバキアでの最大のヒット曲と言われるのが、Stanislav Hložek & Petr Kotvald のアイドル的男性デュオによる「Holky z naši školky(幼稚園か らの少女たち)」(1983 年) です。

Holky z naši školky



その編曲を手がけたのが、Jindřich Parmaです。1988 年に Parma は自らがリーダーとなる Hipodrom を結成し、デビュー・アルバム『Pražský Haus(プラハ・ハウス)』を1990年にリリース。これは、チェコスロバキアで最初のハウスとされています。

Pražsky Haus



Parma、女性ボーカリスト、振付師、そして3人のダンサーからなります。ハウスと言っても、シカゴハウスとかではなく、ちょっと下世話なユーロハウスと言うべきでしょうが… その後もParmaはヒップホップ、ハードコアテクノと先取りの精神で邁進していきます。

Parmaに は、2歳 年 上 の 兄、 Eduard Parma Jr.がいます。兄の Parma Jr. は、ニューウェイヴ全盛期の1982 年 に シ ン グ ル『King Kong In Hong Kong』を英国でリリースしています。これは僕のお気に入り! 中華風メロディーで始まるニューウェイヴ味もある隠れたテクノポップ名曲なんです。

King Kong In Hong Kong

2016年の『共産テクノ ソ連編』に続き、約2年をかけて、第二弾となる『共産テクノ 東欧編』を出版します。これを機に、「共産テクノ部」も再開し、書籍と連動する形で動画や音源を紹介していきます。

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『ソ連編』でもテクノポップの ルーツとされる Gershon Kingsley(又は Hot Butter)の「Popcorn」のカヴァー曲を紹介しましたが、東欧でもカヴァーは発表されました。東ドイツの国営レーベルのAmigaよりHot Butter と同じ1972 年に、Orchester Volkmar Schmidtが早くも発表しています。意外と流行には敏感なんです。



チェコスロバキアも結構早い。Skupina Aleše Sigmunda(Aleše Sigmundのグループ)が1973年にカヴァーに挑戦しています。





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変わり種は、Olympic のベーシスト兼リードボーカルあった Jiří Kornのカヴァー。1973年に新たに歌詞が加えられ、「Jako Mandle Pražené(ロースト アーモンドとして)」として発表されています。オリジナルでは無いけど、この曲に合わせて踊っている変な動画がありました。



このJiří Kornという人、80年代になってエレクトロポップ化し、「Karel Nese Asi Čaj(カレルはお 茶を持ち歩く)」(1985年)は過剰なアレンジのエレクトロ歌謡となっています。



もう一つは、1989年の「Miss Moskva」。これは、ミス・モスクワの審査員になった奇妙な夢についての曲ですが、登場するミス・モスクワが多少なりともビッチっぽいのは気のせいだろうか?

このところ、共産テクノ系ネタばかり書いていたのですが、たまには趣向を変えます。今回はRetrowave!

Satellite YoungがSXSW 2017で海外公演を果たし、満を持してデビューアルバム『Satellite Young』を4月5日にドロップしました。

satelliteyoung

SATELLITE YOUNG
SATELLITE YOUNG
2017-04-05



Satellite Youngのメンバー(草野絵美ちゃん、ベルメゾン関根さん)には、2015年7月にAll Aboutでインタビューをしています。現在は、自称サイボーグのテレヒデオさんが加入し、トリオとなっています。

80年代をギークにするサテライトヤング (All About)

「歌謡エレクトロ」といった形容もされるSatellite Youngですが、彼らはRetrowaveの正当なる継承者であり、日本においてはその第一人者とも言えます。彼らの魅力を理解してもらうために、まず「Retrowaveとは何か?」について解説させてください。

2000年代初期、80年代のエレクトロポップやニューウェイヴに影響を受けたエレクトロクラッシュというムーヴメントがNYCを中心に起こり、イギリス、ドイツ、フランスなどにも広がっていきました。エレクトロクラッシュはディスコパンクへと繋がったり、その後のエレクトロ勃興の前兆であったとも言えます。

エレクトロクラッシュとは? (All About)

これらの動きが一息ついた2000年代終盤に、VARELIEというエレクトロ集団が現れました。彼らはフランスを拠点としています(カルフォルニアにも支部がある)。当時、Kitsune、Ed Bangerなどのレーベルがフランスにありましたが、VALERIEはBLOG、イベントから派生したフランス西部に位置するナント発のカルチャー集団だったのです。レトロフューチャーなビジュアル、溢れる80年代への愛…前述のレーベルのようなオシャレ感とは一線を画す、80年代的ダサかっこよさが魅力! 代表的なバンドは、Anoraak、College、Minitel Roseなど。VALERIEからのコンピ集『Valerie and Friends』(2009年)にリリースされています。彼らは当時The New 80’sとも呼ばれていました。

VALERIE〜フレンチエレクトロ集団 (All About)
VALERIE〜THE NEW 80’S (All About)

この辺りが起点となって、Retrowave(Synthwaveという呼称もよく使われる)が誕生し、現在も脈々と続いています。二つの映画を紹介しましょう。

2011年に公開された映画『Drive』は、Retrowave度が高いサウンドトラックになっており、Collegeなども参加しています。主演男優は、映画『La La Land』で注目を浴びたRyan Gosling。

College feat. Electric Youth - A Real Hero


もう一つは、奇想天外SF痛快アクション映画『Kung Fury』! カンフー達人の警察官である主人公は、ナチス軍団を率いるヒットラーを撲滅するために時空の旅に出ます。テレヒデオさんのような人も登場します。サウンドトラックはテロップでいちいち丁寧に解説されており、スウェーデンのRetrowaveアーティスト、Mitch Murderが手がけたもの。映画はフルでYouTubeで観れます!

KUNG FURY Official Movie


Satellite YoungはそのMitchとコラボをしているんです。やはり通じるものがあるのでしょう。

Satellite Young & Mitch Murder - Sniper Rouge


アルバム『Satellite Young』から改めて感じるのは、彼らは音楽集団でありつつも、カルチャー集団なのだと。それらはサウンドでだけでなく、歌詞、ビジュアル、コスチューム、全ての世界観から来るものです。それらが全て繋がって、Retrowaveであり、The New 80’sなんだと。同時に80年代には存在しなかったテクノロジーが彼らの表現を支えています。その代表例がディープラーニングを生かした「Dividual Heart」のPVでしょう。

Dividual Heart


最後に僕のお気に入りは、愛車でのドライブデートに最適な「フェイクメモリー」と「AI Threnody」です。


リアルでSatellite Youngを体験したい方、5月14日(日)、阿佐ヶ谷ロフトAにてトーク&ライヴがあります!

Satellite Young
 TalkGIG

Satellite Young Official Site

1週間ほど前の話ですが、クリスマス(12月25日)に「ソ連ナイト〜ソ連にクリスマスは存在しない2〜 」を新しく渋谷に移転した「東京カルチャーカルチャー」で開催しました。おかげさまで、満員御礼となり、ご来場および共演の方々、誠にありがとうございました。

イベントの様子はTogetterでまとめられています。

「共産テクノ」としては三回目のトークをしましたが、今回は「疑惑の共産テクノとX’MAS編」となりました。「疑惑の共産テクノ」については「共産テクノ番外編:ソ連のパクリ疑惑黒歴史」をご参照ください。

さて、2016年に共産テクノ的に一つ記念となる曲を選びたいと思います。『共産テクノ ソ連編』の出版前にこの曲がリリースされていたら、インリン・オブ・ジョイトイとともに番外編として紹介したかった曲です。

上坂すみれの「恋する図形 (cubic futurismo)」であります!
共産テクノ的にコンセプト、タイトル、サウンド、歌詞、コスチューム、全ての角度からアヴァンギャルドに完璧です。「共産テクノ」のテーマ曲にしたいほどです。






楽曲提供をしたのは、YMOの遺伝子を引き継いだTECHNOBOYS PULCRAFT GREEN-FUND。10年ほど前にAll Aboutでインタヴューをしました。

この曲は最初「cubic futurismo」というタイトルのみでしたが、上坂が戸川純の「図形の恋」へのオマージュとして、「恋する図形」が加わったのです。 Ураааааааа(万歳)!!!

「ソ連カルカル7」にご来場の方々、ありがとうございました。

2回目となる「共産テクノ」では、「共産歌姫」について語ります。テクノな視点で女帝からアイドルまで、ロシア、ウクライナ、そして火星まで!

…こんな紹介文で6組の共産歌姫を紹介ました。

1. ソ連の最高権力歌姫・・・アーラ ・ プガチョワ(Алла Пугачёва)

2. ウクライナには美魔女な歌姫・・・ソフィーヤ・ロタール(София Ротару)

3. ウズベクにはファンキー歌姫・・・ナタリヤ・ヌルムハメドヴァ(Наталья Нурмухамедова)

4. ソ連領火星のエキセントリック歌姫・・・ジャンナ・アグザラワ(Жанна Агузарова)

5. 共産フレンチウィスパー歌姫・・・オリガ・ヴァスカニヤーン(Ольга Восконьян)
*この曲におそろし庵のカーチャが反応してくれて、自動車を擬人化した歌詞を解説してくれました。

6. ウクライナのアイドル&エロス歌姫姉妹・・ルーシャ(Руся)&ナターシャ・カラリョーヴァ(Наташа Королёва)

ほとんどの歌姫たちについてはすでに書いていますが、ウクライナの歌姫姉妹についてはまだなので書きましょう。

まずは姉のルーシャ。「Русалонька(人形姫)」では民族衣装が似合う隣のお姉さんタイプ。



デビュー曲「Жёлтые тюльпаны(黄色いチューリップ)」では妹のナターシャはまだ初々しさが残りますが、エロスの将来性がすでに垣間見れます。



2013年にはウクライナとロシアという二つの国で生きることになった姉妹は、「Рейс Киiв - Москва(キエフ=モスクワ便)」という曲を発表しました。この後、皮肉にも姉妹それぞれの国は泥沼の紛争になってしまいました。

Москва


遅ればせながら、7月9日の「『共産テクノ』出版記念 トークイベント〜フォノテーク講座第一回」にご来場の方々ありがとうございました。

「スポーツテクノ」を中心に講座を行ったのですが、その中で一番の反響があったのが、Franek Kimono(フラネク・キモノ)です。このジャケット、めちゃインパクトあります、というかあり過ぎ。

Franek Kimono


見た目はオッサンです。でも、音楽的にはテクノディスコ系ニューウェイヴ。白塗りなのは、ニューロマンティックスに感化されたのでしょうか? グループの名前はFranek Kimonoですが、オッサンの名前はPiotr Fronczewskiで演劇系の俳優らしい。他に3人のメンバーがいます。空手着をまとい、「Kimono」からしても日本文化も大好きと勝手に想像しています。1983年にBruce Leeをこよなく愛する彼は、中華テクノディスコ「King Bruce Lee Karate Mistrz(ブルース・リーは空手マスター)」で注目を浴びました(どのくらいかは知らないけど)。



そして翌年の1984年に放ったエアロビクス曲は、「Gimnastyka Aerobic(エアロビクス体操)」。意外と、オッサンは、スポーツテクノを極める肉体派なんです。しかも、オッサンはダンディズムがわかる男。



鉄のカーテンの向こう側にこんなオッサンがいたとは、驚きです!

来週から『共産テクノ』の続編のため、取材と称して、ドイツ(気分的には東ドイツ)とポーランドに行ってきます。このオッサンにもなんとか会いたったのですが、公式サイトらしきところからの情報でも、コンタクトするのは難しい模様・・・残念! ポーランドに行ったら、ポーランド人にFranek Kimonoについて尋ねてみよう。

昨日は「ソ連カルチャーカルチャー6〜共産テクノとソ連戦車とおそロシ庵!」に出演しました。ご来場していてただいた方々、大変ありがとうございました。会場は満員御礼となり、Twitterトレンド入りもして、こんなニッチなテーマでも話題になるんだなぁと感心してしまいました。また、お喋りした方の中には、DOMMUNEや荻上チキ・セッション22で共産テクノ特集を聴いていただいたと言ってくださった方もいて、とても嬉しかったです。今回は、開演前と終演後のBGMも共産テクノ縛りで選曲させていただきました。

テーマは、「スペースディスコ」と「スポーツテクノ」でしたが、オープニングに使ったのは、「Плюс электрификация(電化を進めよ)」という1972年のソ連アニメです。
共産主義とはソビエト権力に全国的電化を加えたものである
というレーニンの言葉を引用でフィナーレを飾ります。プロパガンダの目的で作られたものですが、電化政策と電子楽器は初期のソ連では結びついており、そこで描かれる近未来の世界は共産テクノにも通じるものがあるから、選びました。すでに歴史が証明しているように、別に、共産主義を礼賛する意図はありません。



こちらの動画は、僕が確認した限りにおいて最も初期となるソ連製スペースディスコです。でも、誰が作った何という曲かが不明です。1978年という情報が正しければ、フランスのSpaceやアメリカのMecoの翌年となり比較的早くブームはソ連に伝播したと言えます。



会場から反響があったのが、アルゼンチンからのスペースディスコの継承者、El Club de la Computadora(コンピュータ・クラブ)です。ちょうど、当日の朝、メンバーのNicolas MarinoとFacundo BarreraからFacebookでコンタクトがあり、この話をしたらとても喜んでくれました。みなさん、アルゼンチンのスポーツテクノを応援してください!

El Club de la Computadora


元国営レーベルも認めたアルゼンチンよりスポーツテクノの継承者現る!

なお、「ソ連カルカル6」の様子はTogetterでまとめられています。

ソ連では、フランス産のスペースディスコ・バンド、Spaceが人気を博し、その影響下で、スペースディスコ系バンドが少し遅れて80年代に現れました。ラトビアののゾディアック(Зодиак)と並び、ソ連でのスペースディスコの先駆者と言えるのが、リトアニアのArgoです。

彼らの1980年のデビュー作『Discophonia(ディスコフォニア)』は、手を抜いたのではないでしょうが、A1、A2…B1、B2…と全く素っ気のない曲名となっています。しかしながら、その内容は侮れません。フュージョンが変異したような独自のディスコグルーヴ感に溢れています。「A1」をDOMMUNEの「共産テクノ特集」でかけた時も宇川さんがえらく反応してくれました。

Discophonia




Argoは3枚のアルバムを残しましたが、3枚目の『Žemė L(ランドL)』(1986年)では、ディスコ路線から、電子民謡路線へとシフトしています。ジャケットには、リトアニアが生み出したシンセサイザー、「Vilnius-5」と思われる写真が写っています。

Žemė L




さらに一つ補足を。リトアニアの作家・詩人、ヴィンタス・クレヴェ(Vincas Krėvė)がリリースした2曲入りアルバム『Milžinkapis(古墳)』(1982年) でも、楽曲部分はArgoが演奏しており、実質、Argoのアルバムと数えてもいいでしょう。

Milžinkapis


テイスティス・マカチナス(Teisutis Makačinas)は、リトアニア音楽院(現在はリトアニア音楽演劇アカデミー)を卒業後、音楽理論と作曲を教える教授となりました。1972 年にリリースされた『T. Makačino Estradiniai Kūriniai (T. マカチナスの色々な作品)』のジャケットからは、いかにも教授という風貌が窺えます。

T. Makačino Estradiniai Kūriniai


クラッシック畑の彼が1982年に突然放った共産テクノ・アルバムが、『Disko Muzika(ディスコミュージック)』オープンリールをモチーフにしたジャケットも、メカニカルでかっこいい。多分、ラトビアのZodiac(Зодиак )にインスパイアされた(実際に彼のインタヴューでそのことにも触れています)スペースディスコ。

Disko Muzika




彼は現在77歳でご健在のようで、2015年の取材記事で『Disko Muzika』への再評価に対し「若者たちが私の音楽に興味を持ってくれて、嬉しい」と答えています。

前回紹介したDzPこと、ゼルテニエ・パストニエキ(Dzeltenie Pastnieki)には、ロベルツ・ゴブジンシュ(Roberts Gobziņš)というラトビア、そしてソ連初のラッパーがいました。彼はソロに転向後、西ドイツのWestBam にあやかり、EastBam名義で1990 年に『Aka Aka』をWestBam のLow Spiritからリリースしました。

Aka Aka




EastBamは、ソ連におけるDJ ならぬTJ(テープ・ジョッキーを意味する)の第一人者でもありました。
最近、カセットテープが見直されているようですが(梅田ロフトで『大ラジカセ展』開催中)、TJ の機材はオープンリールのテープレコーダー(Ross Markが定番)が使われ、なんとスクラッチなどもできました。こちらで、ラトビアでのTJについて解説がされています。



さすが地下出版としてのテープ文化が花開いたソ連ですね!

今回、『共産テクノ』を執筆するにあたって、色々な人たちに情報を提供していただきました。その中でもヤロスラフ・ゴドィナ(Ярослав Годына)さんというウクライナの雑誌編集者の方には、アーティストの発掘に多大な助言をしてもらいました。今日は、彼に教えてもらった共産テクノの真打とも言えるバンドを紹介します。

ソ連には国営レーベル「メロディヤ」から作品を発表したメジャーな人たちとテープアルバムを中心に地下出版を続けたアンダーグラウンドな人たちがいます。アンダーグラウンド・シーンにおいての共産テクノの開拓者とも言えるのが、ラトビアのゼルテニエ・パストニエキ(Dzeltenie Pastnieki)。長くて、覚えにくいので、略称、DzPで呼びます。

彼らのデビュー作『Bolderājas dzelzceļš(ボルデラーヤス鉄道)』は、テープアルバムとして1981年に地下出版されました。2作目は『Man ļoti patīk jaunais vilnis(僕はニューウェイヴが大好き)』(1982 年)では、タイトルからもニューウェイヴへの憧憬が伝わります。僕の一押しは、4作目のアルバム『Vienmēr klusi(常に静かに)』(1984年)収録の物憂げさに溢れる「Milžu cīņa(巨人は戦う)」。TBSラジオでも流した曲です。

Vienmēr klusi




DzPのリーダーのイングス・バウシュケニエクス(Ingus Baušķenieks)の奥さんとなるのが、エディーテ・バウシュケニエセ(Edīte Baušķeniece)。彼女はDzPの曲「Mana kafejnīca ir salauzta(私のカフェはやっていない)」をカヴァーして、PVまで作っています。こちらも80年代的アンニュイさに溢れています。

Klusais okeāns


現在のベラルーシは、僕が世界地理を勉強していた頃はソ連内の白ロシアとして習いました。ヴェラスィ(Верасы)は、白ロシアを代表する、ヴィア(ВИА)と呼ばれる歌謡楽団。彼らは80年代初期にディスコ歌謡的な方向に行きましたが、1987年に発表された『Музыка для всех(すべてのための音楽)』が変な作品なのです。アコギと写ったジャケを見る限り、到底共産テクノには見えません。15曲入りのこのアルバム、9曲まではごく普通のヴィア的な内容。しかし、残りが突然変異を起こしています。まるで反乱のようです。

Музыка для всех


11曲目の「Полет(飛行)」は、テクノポップと言っても遜色がありません。



続く、「Аэробика(エアロビクス)」では、共産テクノのサブジャンルとも呼べるスポーツテクノとなっています。



こういう意外かつ健気な努力を見つけると、嬉しいものです。

ソ連ではスペースディスコ系バンドが多いですが、ウクライナにもいます。彼らの名は、ディスプレイ(Дисплей)。スペースディスコとロックが折衷のようなサウンドで、バンド形態でしたが、最後は夫婦にのみが残りました。

彼らの「Робот - суперчеловек(ロボット=スーパーマン)」をソ連初のテクノポップと呼ぶ人もいます。デビュー・アルバム『Волна перемен(変化の波)』に収録されているのが、これです。コンセプトもKraftwerk然としたロボ声もテクノポップと呼んでもいいでしょう。しかし、この作品は1985年なので、ソ連初というのはちょっと言い過ぎかなと。しかし、よく調べてみると、この曲は1982年にAPCという名前だった頃、演奏されていたのです(VKで聴けます)。ただ、この時点のアレンジは、テクノポップというよりもディスコポップ。

Волна перемен




2枚目の『Дисплей(ディスプレイ)』からの「Динамо(ディナモ)」は、ウクライナのサッカーチーム、FCディナモ・キエフのアンセムソングです。それほどテクノではないですが、ちょっとレゲエっぽいリズム。

Дисплей




サッカーもスポーツ、そしてエアロビクスもソ連では重要な体力増強のためのスポーツでした。ディスプレイはエアロビクスのためのスポーツテクノも手がけていますが、これはまた今度、特集します。

後で説明しますが、オリガ・ヴァスカニヤーンです。
Автомобили



ソ連の共産テクノを考察していると、Kraftwerkからの影響が窺える人たちが多いですが、もう一つがDepeche Mode。ちなみにDepeche Modeのロシア語表記は、「Дереш Мод」。1986年にモスクワで結成されたビオコンストルクトル (Биоконструктор)もそんなバンドの一つ。バンド名は、「生物のデザイナー」を意味しますが、バンド名をタイトルにした曲を聞いてみれば、やっぱりDepeche Mode好きが伝わります。



ビオコンストルクトルは、ビオ(БИО)とテフノロギヤ(Технология)という二つのバンドに分裂しました。ビオだけだと、なんだかヨーグルトみたいです。テフノロギアの「Нажми на кнопку(ボタンを押す)」は、さらにDepeche Mode度がアップします。ジャケットもそうでしょ! ちなみにテフノロギアは90年代以降もロシアで人気を博しました。

Нажми на кнопку




意外なる発見は、ビオコンストルクトルの中心メンバーのたアレクサンドル・ヤコヴレフ
(Александр Яковлев)の奥さんになったオリガ・ヴァスカニヤーン(Ольга Восконьян)。彼女はビオのメンバーとしても活動しましたが、「Автомобили(自動車)」というフレンチ・ウィスパーいやロシアン・ウィスパーと呼びたいテクノポップを残しています。なんだか共産主義の終焉を感じるクリップです。

先ずは、このジャケットを見て欲しい。これぞ、スポーツテクノ!

Pulse 4


アルゼンチンのEl Club de la Computadora(コンピュータ・クラブ)による『Pulse 4』というアルバム。2014年にリリースされ、Bandcampでなんとフリーダウンロードできます



モスクワで取材できたアンドレイ・ラジオノフ&ボリス・チハミロフ(Андрей Родионов и Борис Тихомиров)のお二人が、スポーツテクノの元祖です。

共産主婦はスポーツテクノでエアロビクス!

この「スポーツ&ミュージック」シリーズが好きすぎると思われる人たち(Nicolas Marino, Facundo Barrera & Luciana Sayanes)による謎のプロジェクトです。オマージュ具合が凄まじい。

ソ連の元国営レーベル、メロディヤ(Мелодия)は現在も存在していますが、Facebookではメロディヤ自身によって、今までの「スポーツ&ミュージック」シリーズに加え、この『Pulse 4』が並べられています。

Sports & Music


是非、今後もスポーツテクノを極めて欲しいものです。

今日は、エストニアの苦労人バンド、マハヴォック(Mahavok)です。シングルデビューを1984年にしたものの、エストニアでは人気のあった女性ボーカリスト、マリュー・リャニク(Marju Lanik)のバックバンド的存在なり、1986年にアルバム『Südame laul(心の歌)』を発表。

Südame laul




リャニクに代わって、加入したのは、カレ・カウクス(Kare Kauks)。彼女の加入でエレクトロ度もアップします。ハチマキが似合う女性と言えば、「Physical」時代のOlivia Newton John、そして日本ならスターボーですが、エストニアなら、カウクスです。アルバム『Mahavok(マハヴォック)』は1988年ですから、かなり遅れてきたハチマキ女子ですが…

Mahavok




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