ソ連では、フランス産のスペースディスコ・バンド、Spaceが人気を博し、その影響下で、スペースディスコ系バンドが少し遅れて80年代に現れました。ラトビアののゾディアック(Зодиак)と並び、ソ連でのスペースディスコの先駆者と言えるのが、リトアニアのArgoです。

彼らの1980年のデビュー作『Discophonia(ディスコフォニア)』は、手を抜いたのではないでしょうが、A1、A2…B1、B2…と全く素っ気のない曲名となっています。しかしながら、その内容は侮れません。フュージョンが変異したような独自のディスコグルーヴ感に溢れています。「A1」をDOMMUNEの「共産テクノ特集」でかけた時も宇川さんがえらく反応してくれました。

Discophonia




Argoは3枚のアルバムを残しましたが、3枚目の『Žemė L(ランドL)』(1986年)では、ディスコ路線から、電子民謡路線へとシフトしています。ジャケットには、リトアニアが生み出したシンセサイザー、「Vilnius-5」と思われる写真が写っています。

Žemė L




さらに一つ補足を。リトアニアの作家・詩人、ヴィンタス・クレヴェ(Vincas Krėvė)がリリースした2曲入りアルバム『Milžinkapis(古墳)』(1982年) でも、楽曲部分はArgoが演奏しており、実質、Argoのアルバムと数えてもいいでしょう。

Milžinkapis