四方宏明の“音楽世界旅行”〜Around the world

世界中のテクノポップ〜ニューウェイヴ系音楽を紹介。

カテゴリ:共産テクノ > ポーランド人民共和国

パブリブからの新刊本、衣笠太朗さんが書かれた『旧ドイツ領全史』を紹介します。音楽系のテーマが多いパブリブですが、このような研究者によるアカデミックなテーマも得意分野です。あとがきを読んでみると、パブリブの編集者の濱崎さんからの依頼はもともと、「旧ドイツ領ガイドブック」だったらしい。出だしの「歴史観光ガイド」からガイドブック的な要素ももちろんあるのですが、帯にあるように「そこはなぜドイツになり、そしてドイツでなくなったのか?」を解き明かしている歴史本です。

old germany


旧ドイツ領全史: 「国民史」において分断されてきた「境界地域」を読み解く (旧領土スタディーズ)

資料としても大変価値がある内容ですが、これは個人的にも興味深いテーマです。僕の娘はここ数年ベルリンに在住しており、『共産テクノ 東欧編』の執筆の際は、ドイツおよび東欧諸国を訪れる機会が幾度がありました。例えば、歴史観光ガイドでも紹介されているポーランドのポズナニを訪れた際、ここは昔ドイツ帝国の一部だったとかを知るわけですが、この本でそのぼんやりとしたものがはっきりしてくるのです。同じく造船業で栄えたグダニスクもかってはドイツ領であった。この地は、ワレサ率いる連帯の運動が始まった地としても有名です。

陸続きの国境がない日本人にとってはなかなか実感が湧かないのですが、国境特に飛び地は好奇心がそそられます。バルト三国が独立した結果、ロシアの飛地となったカリーニングラード州。ここもかってドイツ領だったわけです。多くの領土は国家の都合のいい解釈で成り立っていることが見えてきます。ちなみにプーチン大統領の元妻のリミュドラは、ここの出身です。余談ですが、カリーニングラード州には、Комитет охраны тепла(熱のための委員会)というUB40のような共産レゲエ・バンドがいます。



しばらくの間は難しいですが、この本で予習した後、バルト三国経由でカリーニングラード州を訪れたいもんです。

Marek i Vacek(Marek & Vacek)はMarek TomaszewskiとWacław Kisielewskiの二人のピアニストからなるデュオであります。1966年には「Tandem」というタイトルの 27分近くに及ぶ先駆的とも言えるミュージックビデオを発表していますが、こちらはそこからのベートベンの「アレグレット」の動画です。



80年代に彼らは、独自の解釈でクラシックのテクノポップ化を測ります。その代表曲とも言えるのが、「Melodia dla Zuzi(ズジのためのメロディ)」。二人とも真面目にやっていますが、どこかユーモラス。

Marek i Vacek




残念なことに1986年にKisielewskiは交通事故で他界し、デュオは活動中止となってしまいました。

共産テクノ認定をしたポーランドの作品の中で、飛び抜けてクオリティーが高いのがARP-Lifeによる『Jumbo Jet』です。リリースは1977年と、全く出遅れていません。ポーランドの国営ラジオとテレビのスタジオ機材をフルに活用するためのプロジェクトだが、3人のメンバーのうちの一人は、Franek Kimonoの黒幕でもあったAndrzej Korzyński。

ジャケットも秀逸! はい、これは現地で買い付けしました。ファンクをベースにMoogなどの電子機材を駆使しており、ちょっとモンド的イージーリスニング感もあります。スペースファンクと呼んでいる人もいます。

arp-life




続編となる『Z Bezpieczną SzybkoŚcią(安全速度)』は1978年にカセットテープのみで発売されました。こちらは2015年の再発盤ですが、「安全速度」だから、 飛行機の代わりにカタツムリというシュールなジャケットになっています。

arp-life2

こちらでテクノポップ度が高いディスコポロ、名付けて「テクノディスコポロ」を紹介しましたが、今回は正統派のディスコポロを紹介します。正統派になればなるほど、下世話でダサさが強調されるのがディスコポロの特徴です。

DOMMUNEで『ヒップホップ東欧』のナタリアさんとディスコポロ対決をしたのですが、ナタリアさんはいきなりの豪速球! 彼女がセレクトしたのは、ディスコポロのアンセムソングとも言えるMarlena Drozdowska & Marek Kondratによる「Mydełko Fa(ソープFa)」(1991年)。「Fa」はヘンケル社の石鹸ブランド名です。この曲をプロデュースした黒幕とも言えるのが、Franek KimonoのメンバーでもあるAndrzej Korzyński。彼の本流というよりも、かなり狙って作ったようです。ディスコポロのリリースのほとんどはカセットテープですが、複数のジャケットが存在します。どれも大胆というか露出度が高いのですが、比較的穏健なものを載せておきます。ちなみにお姉さんと歌い手の間には何の関係もありません。ジャケットに負けず、動画もB級エロ感に溢れています。

Mydełko Fa




対する僕のセレクトは、Toy Boysの「Jelcyn, Jelcyn(エリツィン、エリツィン)」(1993年)。別名「エリツィン・ダンス」。ロシア民謡 meets ディスコポロであります! 「エリツィ ン、エリツィン、あなたはヒーロー」と歌うエリツィン賛歌。ハンガリーには「OK ゴルバチョフ」という曲もありましたが、結果的に東欧をソ連から解放してくれたゴルバチョフとエリツィンは人気者のようです。

Jelcyn Dance




こちらの記事で、ポーランドの電子音楽、エル・ムージカ(El-Muzyka)について書きました。2016年、もう一人の重要なエル・ムージカの先駆者、Władysław Komendarekに会うためにワルシャワ中心部から車で約 1 時間かかるジェラゾヴァ・ヴォラを訪問しました。 この地は、Fryderyk Chopinの生誕地としても知られる聖地で、ショパンの博物館もあります。日本からやってきた見知らぬ男のために、彼と彼の友人たちは最大級の歓迎をしてくれました。ディスコポロについて尋ねた際、みんな口ずさんでくれました(笑)。

Komendarek, Friends


彼はもともとプログレ色が強いExodusというバンドで活動していましたが、1985年にソロの電子音楽家としてデビューします。2枚目のアルバム『Dotyk Chumu (雲のタッチ)』(1987年)からの「Halo Komputer」は、タイトルからもエル・ムージカ的世界観にあふれています。

Dotyk Chumur




ショパンの生誕地に住んでいるだけあって、2011年には『Fryderyk Chopin』というショパンに捧げるアルバムをリリースしています。クラシック、電子音楽にアートロックが融合した独自のショパンの解釈がなされています。また、彼らに会うためにジェラゾヴァ・ヴォラに行きたいです。

Fryderyk Chopin


『共産テクノ 東欧編』ではディスコポロだけのために11ページもさきました。ディスコポロとは、ポーランドで90年代初頭に一世を風靡した「田舎の結婚式やパーティーでかかるダサいディスコ」です。そんな偏見を持たれているディスコポロですが、調べてみるとその音楽性は意外と広いです。




本日紹介するのは、Mirosław Wanat。元々はInstytucjaというニューウェイヴ系バンドで活動し、ディスコポロ・グループ、 Midiとして活動するものの、プロデューサーと喧嘩して、Ex Midiとしてデビューしました(ポーランドではよくある話)。Ex Midiの「Symbole MiłoŚci (愛のシンボル)」なんかは、ディスコポロというよりもちょっと安っぽいUltravox風です。

Ex Midi




彼のテクノポップ的指向性は、ソロとしての「My Solidarni (私の連帯) 」からも読み取れます。これは、Kraftwerkの「The Model」のカヴァーです。

My Solidarni




しかし、その後WanatはDr. Albonistaとしてエロとディスコポロの融合という独自の路線を打ち出し、現在に至っています。彼の作品群のジャケットはほぼ18禁となっております。


2006年にポーランドの少女デュオ、Blog 27が来日しています。AlaとTolaの二人は2005年にポーランドでデビューし、ポストt.A.T.u.的な立ち位置で本国で人気となり、avexを通じて日本上陸となりました。楽曲的にはヒップホップ的ポップとなっています。そういう意味では、ポストt.A.T.u.というよりも同じロシアのМИН НЕТ(ミンニェット)に近いです。

こちらが、彼女たちのヒット曲「Uh La La La(ウーラララ~あなたが♡大好き)」。
LOL




Blog 27の陰で支えたのは、Tolaの父親、Jarosław Szlagowski。彼がドラマーとして在籍していたのが、ポーランドのニューウェイヴ系バンドとしても人気があったLady Pank(後にMaanam)です。ちなみにLady Pankは「Punk→Pank」という単純なスペルミスから。彼らの代表曲の一つでもある「Mniej Niż Zero (Minus Zero)」 はThe Policeなどからの影響も伺えるホワイトレゲエとなっています。
Lady Pank




今日の特集はディズニーランド。現在もロシアを含めても東欧諸国にはディズニーランドはありません。冷戦時代、ポーランドのバンドによるディズニーランドがテーマとなったテクノポップを2曲紹介します。

まず最初は、Klinczというポズナンで結成されたニューウェイヴ系バンドによる「Disneyland」(1984年)。曲の出だしから「Walt Disney presents Disneyland」とハッタリをかまします。歌詞を紐解いてみると、単純にディズニーランドへの憧れを歌ったわけでないようです。「ディズニー、ディズニー、ディズニーランド、アヘン、アヘン、アヘン、大衆のための、大衆のための」と皮肉を込めた内容となっています。

 Gorączka


Disneyland [MP3 ダウンロード]



もう一つは、Papa Danceの「Nasz Disneyland(僕たちのディズニーランド)」(1988年)。こちらは歌詞にはディズニーランドという言葉は出てこず、寓話的な歌詞の象徴として使われています。Papa Danceは、Franek Kimonoの影武者的存在だった二人のメンバーによるプロデューサーチーム(Adam Patoh)の働きかけで、ワルシャワで結成されたアイドル的ニューウェイヴ系バンド。ソ連やポーランド系米国人(ポロニア)のために米国へのツアーも行い、海外進出も果たしたポーランドの人気グループです。

Nazs Disneyland


Nasz Disneyland - Our Disneyland (Papa Dance) [MP3 ダウンロード]



単純に「ディズニーランドが大好き!」という心情ではありませんが、当時の東欧の人たちにとって、ディズニーランドは西側カルチャーの象徴的存在だったのでしょう。

版元ドットコムでも本の内容のアナウンスを昨日よりしていますが、本日より『共産テクノ 東欧編』がAmazonで予約できるようになりました。ちなみにカバーは東ドイツのホーネッカー書記長、ポーランドのmuselというシンセ、スロバキアのスロバキア放送ビルで構成されています。ハンガリーも入れたかったのですが、これだと思えるのが無く、断念しました。ハンガリーの皆さん、ごめんなさい。

共産テクノ 東欧編


今日のテーマはエル・ムージカ(El-Muzyka)。ポーランド語で「Electronic Music」つまり「電子音楽」を指します。このような名称が存在していたこと自体、知りませんでしたが、ポーランドでは一つのジャンルとなっていたことが窺えます。幸運にもポーランドに滞在中、二人のエル・ムージカの先駆者、Marek BilińskiとWładysław Komendarekに取材することができました。先ずは、Bilińskiを紹介します。ワルシャワ郊外にある彼のスタジオ兼自宅に伺いましたが、僕よりも少し年上の彼は、ハンサムで温厚な紳士!

BilińskiはBankというアートロック系のバンドのキーボード奏者として活動後、1982年エル・ムージカに専念すべく、ソロとして現在まで活躍をしています。彼は、70年代に冨田勲、Jean-Michel Jarre、Tangerine Dream... に出会い、電子音楽に魅了されていきます。電子音楽家として冷戦時代の共通の悩みは、いかにしてシンセサイザーなどの電子楽器を西側から手に入れるかです。東ドイツやポーランドには国産のシンセサイザーが80年代中盤あたりから出始めるのですが、まだ完成度が低かったようです。そこで活躍したのが、ポロニアと呼ばれる米国に移民したポーランド人です。Bilińskiもポロニアのコネクションにより西側製シンセサイザーを入手したのです。

こちらは、彼の作品の中ではニューウェイヴ色が強い「Ucieczka Z Tropiku (Escape from the Tropics)」 です。



こちらは、2012年に作られたドラムンベース仕様リミックス。



Amazonでもアナログ盤『Best Of The Best』が購入できます。

Best Of The Best

Best Of The Best [Analog] [LP Record]

遅ればせながら、7月9日の「『共産テクノ』出版記念 トークイベント〜フォノテーク講座第一回」にご来場の方々ありがとうございました。

「スポーツテクノ」を中心に講座を行ったのですが、その中で一番の反響があったのが、Franek Kimono(フラネク・キモノ)です。このジャケット、めちゃインパクトあります、というかあり過ぎ。

Franek Kimono


見た目はオッサンです。でも、音楽的にはテクノディスコ系ニューウェイヴ。白塗りなのは、ニューロマンティックスに感化されたのでしょうか? グループの名前はFranek Kimonoですが、オッサンの名前はPiotr Fronczewskiで演劇系の俳優らしい。他に3人のメンバーがいます。空手着をまとい、「Kimono」からしても日本文化も大好きと勝手に想像しています。1983年にBruce Leeをこよなく愛する彼は、中華テクノディスコ「King Bruce Lee Karate Mistrz(ブルース・リーは空手マスター)」で注目を浴びました(どのくらいかは知らないけど)。



そして翌年の1984年に放ったエアロビクス曲は、「Gimnastyka Aerobic(エアロビクス体操)」。意外と、オッサンは、スポーツテクノを極める肉体派なんです。しかも、オッサンはダンディズムがわかる男。



鉄のカーテンの向こう側にこんなオッサンがいたとは、驚きです!

来週から『共産テクノ』の続編のため、取材と称して、ドイツ(気分的には東ドイツ)とポーランドに行ってきます。このオッサンにもなんとか会いたったのですが、公式サイトらしきところからの情報でも、コンタクトするのは難しい模様・・・残念! ポーランドに行ったら、ポーランド人にFranek Kimonoについて尋ねてみよう。

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