四方宏明の“音楽世界旅行”〜Around the world

世界中のテクノポップ〜ニューウェイヴ系音楽を紹介。

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もう活動していないミン・ニェットですが、これで最終回。

調べてみると、ミン・ニェットの最後のリリースは、『Eto prosto Sex(これは単なるSEX)』(2007年)。これは、単独ではなく、エレーナ・ベルコワ&ミン・ニェット(Elena Berkova & Min-Net)という名義になっています。こちらはユニットとしてステージの映像ですが、ステージの飾り付けにロシアを感じます。



エレーナ・ベルコワについて調べてみると面白い事が分かりました。1985年生まれのロシアの元モデル、テレビキャスター、そしてポルノ女優とあります。とにかく人目を引くという戦略でやってきたミン・ニェットにとっては、戦略に沿ったコラボだったのでしょう。

こちらは、TNTの「クイズ$ミリオネア」のようなクイズ番組に出演しているエレーナちゃん。ちなみのこの番組の本家は、イギリスの「Who Wants to Be a Millionaire?」で日本、ロシアを含めて世界各国に輸出されました。



ミン・ニェットは他にもコラボをしていたようです。Erikaという女の子とのコラボ曲「I Don't Know」。詳細分からず。

orangealbumミン・ニェットについて続けます。彼女たちの3rdアルバム『Oranzhevyj Singl (Оранжевый Сингл)』(2005年)は、日本語に訳すと、「オレンジ・アルバム」。このオレンジが曲者なのです。ジャケには、青と黄色のウクライナの国旗のようなデザインがあります。

既発の曲に追加されたのが、「Оранжевая песня」。「オレンジ・ソング」という意味です。これは元ネタがあって、元々の「オレンジ・ソング」はどこかで聞いたような、懐かしさがあります。



Min Netのカヴァー曲を最近知り合ったウクライナ人のMarkさんに聞いてもらったところ、「この曲はソ連の曲のパロディーで、オレンジ革命で騒がれたユーリヤ・ティモシェンコへの嫌がらせの曲ですね。」との指摘がありました。

オレンジ革命とは、2004年のウクライナ大統領選で、親欧米派のユシチェンコ氏が、日本でも“美女すぎる首相”としても有名なティモシェンコ氏(のちユシチェンコ氏とは対立)と共に、大統領の座をつかんだ混乱・政変です。こちらは美女すぎるティモシェンコ氏のスライドショー。



ユシチェンコ大統領は反ロシア的立場をとってきたので、ロシアのユニットであるミン・ニェットがこの曲をカヴァーしていると言う事は・・・Markさんの指摘通り皮肉としか思えません。ロシアのサイトでしかMin NetのPV(イカレタ内容なので閲覧注意)は見つけられませんでしたが、いかにもウクライナを揶揄するような内容。金髪の三つ編みがトレードマークのティモシェンコ元首相に似た女性(ティモシェンコ氏ほどの美貌ではないですが・・・)が露わな姿に・・・ ロシアとウクライナの関係のややこしさが垣間見られる歌です。

ubitdetslaロシアのミン・ニェットの続きです。2枚目としてリリースされたのが、『Ubit Detsla (УБИТЬ ДЕЦЛА)』(2005年)。「おバカをやっちまえ」と言う意味らしいです。ジャケは、「あんたKILL BILLか?」と突っ込みたくなります。3人組のはずなのに、センターと思われるパッツンのガルダだけしか映っていません。ロシアの場合よくあるのですが、これらは新曲を追加して、既発曲、リミックス曲を混ぜて、新しいアルバムとしてリリースしています。

『Ubit Detsla』に収録の「Ne Plach」にはPVもあります。背の高いパッツンの子が手話を交えつつラップし、何故か中国語の漢字が表示されます。さらに不思議なのは、他の二人は上半身服を着ないで胸を隠しつつ映っています。



さて、ミン・ニェットのCDを購入するのはなかなか大変です。また、ロシア・ウクライナのCD購入体験をレポートする予定ですが、ミン・ニェットの場合は公式サイトでほとんどタウンロードできてしまいます。ロシアや周辺諸国は著作権的に緩いから、公式で配布しちゃったのでしょうかね。このいい加減さいや大らかさがロシアらしい。

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2004年に「ロシアの美少女戦士ミン・ニェット」という記事をAll Aboutで書きました。Мин Нет(Min Net)というこの3人組ユニット、まるでt.A.T.u.のプロデューサー兼広報担当、イワン・ シャポヴァーロフ(Ivan Shapovalov)の手法を参考にしたようなセンセーショナルな話題を提供する事で注目を集めようとしていました。ミン・ニェットの場合、アレキサンダー・ヴァロフ(Alexander Valov)がそのプロデューサー名義の首謀者でした。

そう言っちゃうと内容がないようなのですが、僕はこのクラシックをモチーフにしたロシア語エレクトロラップが好きでした。極寒のモスクワからやってきた白いヒップホップ。では、PVを紹介しつつ、ミン・ニェットのおさらいをしましょう。

peace-daデビュー・アルバム『Peace-Да (Peace – Da)』(2004年)のジャケはとってもセンセーショナル。左から、のっち、かしゆか、あ〜ちゃん・・・嘘です。アンフィサ(Anfisa)、ガルダ(Gerda)、アリサ(Alisa)です。パッツンなので言ってみたかっただけです。美少女と書きましたが、どちらかというとロシアに普通にいそうな女子みたいな。

これがたぶん、一番知名度がある「Никто не знает (No One Knows)」。学園もので、ミン・ニェットの割には、政治的要素があまりありません。



ユニット名と同じ曲「Min Net(地雷反対)」。これはリミックスの方ですが、アメリカのイラク侵攻をネタにしていると思われます。怒れる3人のティーンエイジャーだー!



ベートーヴェンの「交響曲第9番 喜びの歌」を使ったチェチェン戦争への反戦ラップ「Peace - Da!(平和、賛成)」。PVはグリュコーザ(Glukoza)的。こちらについてはまた後日書きます。CDにはラテン・リミックスなどもあります。



アメリカだけではなく、自国の戦争問題もテーマにしています。このような政治的な歌が歌えるということは、ソ連時代を考えると進歩と捉えるべきなのでしょう。では、その後のミン・ニェットについてさらに調べてみたいと思います。

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