四方宏明の“音楽世界旅行”〜Around the world

世界中のテクノポップ〜ニューウェイヴ系音楽を紹介。

タグ:TonyMansfield

ラトビアのBrainStormの続きです。ラトビア語でのバンド名は、Prāta Vētra。僕が男性だけのバンドについて書く事は珍しいのですが(笑)、やはりそれだけ内容もいいのだと解釈してください。前述のシングル『My Star』での成功に気を良くしたのか、トニー・マンスフィールド(Tony Mansfield)は、アルバム『Online』(2001年)もプロデュース! ちなみにラトビア語版として、『Kaķēns, kurš atteicās no jūras skolas 』(2001年)もリリースされています。
OnlineOnline
アーティスト:Brainstorm
販売元:EMI
(2005-08-30)
販売元:Amazon.co.jp
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このアルバムは、「My Star」の路線を受け継ぎ、それまでのBrainStormの素朴なサウンドから、トニーによる緻密なものへと変わっています。現在の活躍するその後のBrainStormの作品も聴きましたが、このアルバムはポップなんだけど異質な香りを放っています。トニーが得意とするアコギとエレクトロニクスのバランス感覚だと思います。ただ、素朴なBrainStormを求める人には必ずしもいいとは限らないですけど。シングルカットされた「Maybe」は、「My Star」と並ぶ甘く切ないキラーチューン。


実はこの曲以上にお薦めのなのが、アルバム・タイトルにもなっているネット時代のラヴソング「Online」。それ以上にお薦めなのが、2007年のリミックス「Online (Electricano Remix)」。ElectricanoことVladimir Ivanoffもラトビア出身で活動するDJ・リミキサーです。

久しぶりの更新です。しばらく海外に行っておりまして、ソウルでK-POPネタなんかも仕入れてきたので、また後日まとめて紹介します。

では、本題に戻ります。エストニアの次のバルト三国特集は、ラトビアです。ラトビアは地理的にはエストニアの南、1991年にソ連から独立しました。首都リガは、バルト海の真珠と呼ばれる港町です。ソ連時代に多くのロシア人が特にリガに移住したため、現在も無国籍となるロシア人への処遇が問題となっています。

今回紹介するBrainStormを知る事になったのは比較的早い時期。元New Musikのトニー・マンスフィールド(Tony Mansfield)が、彼らをプロデュースしたから、僕も自然とBrainStormに興味を持ちました。90年代以降プロデュース業をそれほどしていないトニーがBrainStormを手掛けたのか興味深いです。BrainStormが結成されたのはまだソ連時代の1989年。デビュー・アルバム『Vairāk nekā skaļi (More than loud)』はラトビアがまだ独立して間もない1993年。

彼らが少なくともヨーロッパで注目を浴びるきっかけとなったのが、トニーのプロデュースでシングルカットもされた「My Star」という曲。2000年にリリースされたアルバム『Among The Suns』にも収録されています。
Among the SunsAmong the Suns
アーティスト:Brainstorm
販売元:EMI Import
(2005-08-30)
販売元:Amazon.co.jp
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この「My Star」は、甘すぎる甘味料のような中毒性の高い曲。トニーは最初ラトビア語ヴァージョンのデモを聴いたらしいですが、意味が分からないながらも、彼のイマジネーションは広がっていったようです。


偶然スウェーデンのテレビでBrainStromをで見たボブ・ディラン(Bob Dylan)が称賛したという逸話もあります。この曲でエントリーしたBrainStormはユーロビジョン2000で3位となり、ラトビアの音楽史上記録的なヒットとなりました。

クリスマスソング定番の次は、定番じゃないけど、私的に最高のクリスマスソングを紹介します。

The Damnedというパンクバンドをご存知でしょうか? 1976年にデビューし、Sex Pistols、The Clashと並んでロンドン3大パンクバンドの一つとされています。ポップでありながらも、スピード感があり、ゴシック・テイストもある、その後のムーヴメントにも影響が大だったバンドです。The Damnedのオリジナル・メンバーでベーシスト(後、ギターリスト)だったCaptain Sensible(Raymond Burns)というとぼけたおっさんがいます。パンクバンドに居たくせにソロでは超ポップで、ある意味パンク的な退廃とは対照的なポジティヴなメッセージを感じます。トニマンことTony Mansfieldのプロデュース作品にその傾向が顕著に見られます。ちなみにトニマンは、The DamnedのEP『Friday 13th』(1981年)もプロデュースしています。トニマン=Captainの代表作は、全英1位となった「Happy Talk」(1982年)がありますが、同じコンビで作られたクリスマスソングが、「One Christmas Song」(1984年)。アレンジはトニマン節が炸裂。PVには反戦的なメッセージが込められています。



この曲はもともとシングルのみでリリースされましたが、復刻版CD『The Power Of Love』(1983年)にボーナス・トラックとして追加されています。

Power of LovePower of Love
アーティスト:Captain Sensible
販売元:Cherry Red UK
(2009-08-25)
販売元:Amazon.co.jp
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クリスマスソングではないですが、クリスマスコンピには収録されたりする他にトニマンのプロデュース作としてAztec Cameraのウィンターソング「Walk Out To Winter」(1983年)を紹介します。Aztec CameraはRoddy Frameを中心に結成されたスコットランド出身のネオアコ系バンド。イントロでキュンとします! ちなみにこの曲に関しては、『High Land, High Rain』に収録のアルバム・ヴァージョンよりもシングル・ヴァージョン(PVに収録分)がお勧めです。



ちなみに『High Land Hard Rain』(1983年)、『Knife』(1984年)、『Stray』(1990年)、『Dreamland』(1993年)、『Frestonia』(1995年)の5枚のアルバムを収録したボックスセットは、なんと2,433円! ちなみに彼らのアルバム『Dreamland』(1993年)のプロデュースは、坂本龍一。

5CD ORIGINAL ALBUM SERIES BOX SET5CD ORIGINAL ALBUM SERIES BOX SET
アーティスト:AZTEC CAMERA(アズテック・カメラ)
販売元:Warner Music
(2010-02-27)
販売元:Amazon.co.jp
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Tracy Ullmanと負けず劣らず、60'sリヴァイヴァル系歌姫の中で好きなのがMari Wilson。トレードマークは、ビーハイヴ(ハチの巣)。ビーハイヴは、アメリカのニューウェイヴ・バンド、The B-52'sのトレードマークでもありますが、このヘアスタイルがB-52ストラトフォートレス爆撃機のノーズの部分に似ているため、B-52という呼び方もされていました。ビーハイヴは、「ティファニーで朝食を」のAudrey Hepburn、60年代の歌姫Dusty Springfieldなど、60'sキッチュの象徴でした。Mari Wilsonのビーハイヴは本物で、The B-52'sのはかつららしいです。

Mari Wilsonは奇才Tot Taylor(正確には彼のお兄さん)が設立した60'sキッチュなCompact Organizationからデビュー。Pizzicato Fiveの小西康陽氏もCompactの会員でした。Compactからは、『A Young Person's Guide To Compact』(1982年)というレーベル・コンピレーションがリリースされています。元々のLPは2枚組ですが、後に1枚にまとめたCDも英国盤と日本盤(WAVE)がリリースされました。この2枚のCDは微妙に収録曲や曲順が違います。

青少年のためのコンパクト・オーガニゼーション入門 (輸入盤 帯・ライナー付)青少年のためのコンパクト・オーガニゼーション入門 (輸入盤 帯・ライナー付)
アーティスト:VARIOUS ARTISTS
販売元:LTM
発売日:2007-08-25
おすすめ度:5.0
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彼女が1982年にリリースした「Just What I Always Wanted(マリのピンクのラヴ・ソング)」は、英国で8位というスマッシュヒットとなりました。邦題は意味不明なほどにクリエイティヴ! この曲は、Teddy Johnsonが書いたものですが、プロデューサーはNew MusikのTony Mansfield。5分を超える12インチ・ヴァージョンもありますが、この時代のものは、インスト部分が長いエクステンド・ヴァージョンに過ぎません。まぁ、それはさておき、この曲は、Mariのソウルフルなヴォーカル、ベースとなったモータウンサウンド、Tonyの絶妙なテクノポップなアレンジが、三位一体となった名曲です。



Tony Mansfieldがメインのプロデューサーとなって製作された『Showpeople』(1983年)では、他にも「Wonderful To Be With You」「Are You There With Another Girl?」「Beware Boyfriend」など他にも泣きそうにいい60’sキッチュなテクノポップが揃っています。

ショウ・ピープルショウ・ピープル
アーティスト:マリ・ウィルソン
販売元:バウンディ
発売日:2010-09-08
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90年代に入ってアルバム『Rhythm Romance』(1991年)をリリースしましたが、残念なことにエレクトロから離れジャズ寄りのスタンダードなサウンドとなりました。その後長らく活動を休止していましたが、『Dolled Up』(2005年) 、『Emotional Glamour』(2008年)とゼロ年代に復活を遂げています。

Miguel Bose(ミゲル・ボセ)は、Ana Torrojaと同じく、トニマンがプロデュースしたスペインの歌手です。Anaとは違い、La Movidaではなく、スペイン芸能界の出身です。イタリアの女優を母親に、スペインの闘牛士を父親にもつセレブな家庭に育ちました。1971年に俳優を始め、1975年に歌手に転向します。日本でも、シングル『Give Me Your Love』というシングルを1980年に出しています。ちょうど同じ時期にスペインでヒットしたのが、「Morir de Amor」。さしずめ、スペインの王子様のようなアイドル的風格が漂います。



『XXX』(1987年)はトニマンがプロデュース、キーボード、ギター、プログラミングしています。元Naked EyesのRob Fisherもキーボード、プログラミングで参加。この時期になると、「The Eighth Wonder」のPVをみても、アイドルというよりもちょっとワイルドになってきています。トニマンによるスペイン歌手のプロデュースとしては、Ana Torrojaよりも10年くらい早いです。MiguelがAnaに、「トニマンいいよ」って紹介したんでしょうかね?



XXX (Spanish)XXX (Spanish)
アーティスト:Miguel Bose
Warner Music Latina(1989-07-20)
販売元:Amazon.co.jp
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2000年には、スペインのスーパースターの夢の共演と言ってもいい、コンサート・ライヴCD『Girados』をリリースしています。先に紹介した「The Eighth Wonder」のタイトルを変えた「Duende」などからは、スペインでの二人の人気が伺えます。



GiradosGirados
アーティスト:Miguel Bose
Warner Music Latina(2000-10-24)
販売元:Amazon.co.jp
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前回はMecanoについて書きましたが、Mecanoは1993年に停止します(正式な解散は1998年)。Cano兄弟はソロへと、Ana Torroja(アナ・トローヤ)は休養に入ります。休養を終えたAnaは、1997年にTony Mansfieldのプロデュースによりソロとしてのデビュー作『Puntos Cardinales』をリリース。Tony Mansfieldは日本ではトニマンの愛称で親しまれ、テクノポップを語る上では欠かせない人です。New Musikとして活動し、数々のプロデュースを行い(その中にはa-haの「Take On Me」の初期作も含まれる)、高橋幸宏などとも親交がありました。トニマンについてはまた別の機会にじっくり語りたいです。

このアルバムに収録され、シングルもリリースされた「A Contratiempo」は、スペインではシングルチャート1位となり、アルバムも1位になっています。これは、Bette Midlerの「Bottomless」のスペイン語カヴァー。テクノポップというよりもラテンポップのバラードと言った方がいい曲ですが、原曲と聴き比べてみると、やっぱりトニマン的アレンジが効いています。他、トニマンらしさが感じられる曲としては「Tal Para Cual」もお勧めです。



Puntos CardinalesPuntos Cardinales
アーティスト:Ana Torroja
RCA Intl(1997-08-12)
販売元:Amazon.co.jp
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この後、Andres LevinとArto Linsayがプロデュースに参加した2作目『Pasajes de un Sueno』(1999年)からは、「Ya No Te Quiero」もヒットしました。その後もコンスタントにリリースをし、現在まで活動を続けています。

Anaはもう50歳の大台に乗っていますが、老けませんね。そして、2010年9月21日には新作『Sonrisa』をリリース! 2作目と同じAndres Levinのプロデュースですが、タイトル曲の「Sonrisa」は軽快なアップテンポな曲に仕上がっています。



sonrisa

Sonrisa
アーティスト:Ana Torroja
(2010-09-21)
販売元:Amazon.co.jp
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8月7日、8日の両日は夏フェスが被りまくっていました。サマソニ2010、WORLD HAPPINESS 2010(8日のみ)、TOKYO IDOL FESTIVAL 2010 @Shinagawaと・・・そんな中、僕はサマソニ2010@舞洲(大阪)に行ってきました。

Aira Mitsukiちゃん、Uffieちゃん、Two Door Cinema Club、Surkin君などいろいろ楽しんでまいりましたが、ノスタルジックな気分でa-haについて書いておきます。

大阪では二日目のSONIC STAGEにa-haは登場。始まって中盤に来るまで、あまり知っている曲が無いので、a-haのベスト・アルバム『Headlines And Deadlines』くらいしか所有していない僕としてはそれほど感情移入が出来なかったのですが(「Cry Wolf」は知っていた)、最後の4曲で・・・来てよかった(涙)と。

「Hunting High And Low」はバラード曲ですが、「Here I am…」とモートン君が歌い始めると、なんかグッと来ました。モートン(Morten Harket)君は観客にサビの部分を歌うように指示したら、前列の人たちがちゃんと歌詞を覚えていて歌っているんですよね。女性の声が多かった気がします。

その後、007の主題歌にもなった「The Living Daylights」、そして「The Sun Always Shines On TV 」へと。a-haと言えば、「Take On Me」ですが、これは「Take On Me」に続く第2弾シングル。このPVは、「Take On Me」の続編になっており、後ほど触れる“彼女”が最初に登場します。



もちろん、トリは「Take On Me」。モートン君のファルセットも健在です。1985年にリリースされたこの曲は、アメリカ、イギリスを始めとして全世界的にヒット。しかし、ヒットへの道には紆余曲折がありました。

この曲は1984年に最初のヴァージョンがNew MusikのTony Mansfieldによるプロデュースでリリースされましたが、大ヒットしたのは、Alan Turneyがプロデュースし直した1985年のシングルです。Tonyにとっては残念な結果となり、確かにヒット性を考えると、リテイクは正解だったのですが、Tonyの1984年ヴァージョンは、Tonyが好きな人ならニヤッとしてしまう作品です。なお、この1984年ヴァージョンは、7月21日に発売されたa-haの2枚組再発アルバム『Hunting High And Low (Deluxe Edition)』に収録されています。出来れば、Tonyの過剰なアレンジの12インチ・ヴァージョンも収録してほしかったです。

ハンティング・ハイ・アンド・ロウ(デラックス・エディション)ハンティング・ハイ・アンド・ロウ(デラックス・エディション)
アーティスト:a-ha
販売元:ワーナーミュージック・ジャパン
発売日:2010-07-21
おすすめ度:5.0
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このPVは制作手法としても画期的で、何度見た事か!!  PVを見て、モートン君のコミックの世界に連れて行かれてしまった現在30代〜40代の女子も多い事でしょう。PVに出てくる女性が本当に可愛いのです。彼女は、イギリスのモデル・女優であるBunty Bailey(バンティ・ベイリー)です。当時、モートンとデートしていたとWikipediaに書いてあります。PVの中の出来事が現実になっていた胸キュンな話です。

a-haは、既に年内にライヴを終えたら、バンド活動を停止すると発表しています。最後のチャンスかもしれないa-haの生「Take On Me」が聴けて悔いはありません。

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