四方宏明の“音楽世界旅行”〜Around the world

世界中のテクノポップ〜ニューウェイヴ系音楽を紹介。

2018年11月

共産主義陣営からの亡命者または移住したアーティストは数多くいますが、その中でも一番成功したのは、パンクの女王、Nina Hagenでしょう。彼女は1976 年に西側(最初はイギリス)に母と共に亡命しました。

彼女の東ドイツでの足跡を辿ります。彼女の最初のレコーディング音源と思われるのは、1973年の『Solidaritat Geht Weiter(連帯は続く)』と国家主義的なタイトルのアルバムに収録されています。と言っても、Reinhard Lakomy Chor Und Orchesterの「Terra Humanitas」と曲でコーラスとして参加しているだけで、彼女の声がどれかの判別はつきません。

Solidaritat




Michael Heubachが結成したAutomobilはNina Hagen を見出し、1974 年にNina Hagen & Automobilという名義でシングル『Du Hast Den Farbfilm Vergessen(カラーフィルムを忘れたのね)』でデビューしました。いきなり東ドイツのチャート1 位となりました。2003年度の調査では、約4割の東ドイツ人がこの歌を歌えるほど国民に浸透しました。

サイケデリック風のジャケですが、軽快なポップロック。動画では、当時のあどけなさが残るNina Hagenと亡命後のパンクなNina Hagenがミックスされており、パンクの威力を感じます。個人的には前者のNina Hagenの方が好きと呟いておきます。

duhast



どこの国もニューウェイヴ歌姫のようなポジションの人がいます。ソ連の場合、自称火星人ことジャンナ・アグザラワ (Жанна Агузарова)、チェコスロバキアで言えば、Jana Kratochvílováです。日本の戸川純的ポジションと言った方がわかりやすいかもしれません。

Jana


デビューシングルは結構早い1977年の『Song』。バックビートが効いた前衛的な歌謡曲といった感じ。



1980年のシングル『Dlouhá Bílá Žhoucí Kometa(長く白い萌える彗星)』は、モーグサウンド的キラキラディスコ歌謡。



翌年にはThe Policeのカヴァー『Tvou Spásou Já Chci Být(高校教師)』をシングル・リリースしています。



Janaは1983年にはチェコスロバキアに帰国できなくなり、英国に残り、Jana Pope、Z Goddess名義でリリースをしましたが、残念ながらそれほど注目されることはありませんでした。最近もチェコスロバキアのメディアにも登場していますが、エキセントリック街道まっしぐらという感じです。


80年代からゲーム音楽とテクノポップは親密な関係にありました。古い記事ですが、YMOとゲーム音楽について書きました。

中田ヤスタカもゲーム音楽に関わったり影響されているふしがあります。

前置きが長くなりましたが、ハンガリーにもゲーム音楽とテクノポップの親密さが伺える曲があります。ハンガリーは内陸国なので、魚雷なんて関係ないはずですが、ハンガリーのテレビで「Torpedó Játék(魚雷ゲーム)」という番組がありました。日本では「海戦ゲーム」とか「軍艦ゲーム」と呼ばれているものです。マス目に複数の軍艦を配置して、二人で対戦するゲームです。昔、やった覚えがあります。それをテレビでやっていたのです。盛り上がったのだろうか、ちょっと心配です。



その番組から派生して、Kati Szabóというグループが1988年に出したシングル『Torpedó(魚雷)』です。思わせぶりにかっこいいイントロからユーロ歌謡みたいになる展開が微笑ましいです。

Torpedo




ハンガリー人に会ったら、魚雷ゲームについて訊いてみたい。

Marek i Vacek(Marek & Vacek)はMarek TomaszewskiとWacław Kisielewskiの二人のピアニストからなるデュオであります。1966年には「Tandem」というタイトルの 27分近くに及ぶ先駆的とも言えるミュージックビデオを発表していますが、こちらはそこからのベートベンの「アレグレット」の動画です。



80年代に彼らは、独自の解釈でクラシックのテクノポップ化を測ります。その代表曲とも言えるのが、「Melodia dla Zuzi(ズジのためのメロディ)」。二人とも真面目にやっていますが、どこかユーモラス。

Marek i Vacek




残念なことに1986年にKisielewskiは交通事故で他界し、デュオは活動中止となってしまいました。

本日は、『共産テクノ 東欧編』ではなく『共産テクノ ソ連編』のお話をします。




ロシア語のFacebookとも言える通称、VK(ヴェーカー)と言われるフ コンタクテ(ВКонтакте)を共産テクノの情報収集のために数年使っています。1ヶ月ほど前、オリガ・ヴァスカニヤーン(Ольга Восконьян)から友達申請がありました。最初は誰か分からなかったのですが、写真を見ると、見覚えがあります。ソ連版Depeche Modeとロシアン・ウィスパーの記事でも書いたアンニュイな女子(当時)です。


もう一度、彼女の名曲「Автомобили (自動車)」を貼っておきます。



すっかり忘れていたのですが、僕はVKで彼女に関するグループ(コミュニティみたいなファンの集まり)に加入していて、彼女は「私のファンなら歓迎よ」という感じで、そのグループに入っている人に申請をしていたのです。彼女に「君のことを書籍でも本ブログでも書いたよ!」と情報を送ってみると、とても喜んでくれました。

オリガは現在も活動中! 現在もお綺麗です。こちらは新しいバージョンの「自動車」のライヴです。



色々やり取りをしていると、ちょうど彼女はアルバム『Автомобили (Expanded Edition)』をリリースしたとのこと。VKでMaschina Recordsのマクシム・コンドラシオフという人にコンタクトし、PayPalで€24(送料・手数料込み)を払って、手に入れたのがこれです!

automobile


当時のオリジナル曲が5曲にリミックス曲、彼女が活動したБиоの曲を加えて、全部で18曲。オリガ・ヴァスカニヤーンのファンにとって待望かつマスト・アイテムです(笑)。

ちょっと曲が少ないですが、Bandcampでもデジタルアルバムが買えます。「ディスコ狂のソヴィエト女王(The soviet queen of disco-frenzy)」と紹介されています。

CD共にポストカードも送られてきました。『ソ連編』でも書いたオーガニック・レディこと、アルガニーチスカヤ・リェヂ(Органическая Леди)と90年代に活動したらしいディー・ブロンクスとナタリ(Ди БРОНКС и НАТАЛИ)の二組です。両者とも強力なルックスです。また、ブログでも書いてみます。

organiclady

共産テクノ認定をしたポーランドの作品の中で、飛び抜けてクオリティーが高いのがARP-Lifeによる『Jumbo Jet』です。リリースは1977年と、全く出遅れていません。ポーランドの国営ラジオとテレビのスタジオ機材をフルに活用するためのプロジェクトだが、3人のメンバーのうちの一人は、Franek Kimonoの黒幕でもあったAndrzej Korzyński。

ジャケットも秀逸! はい、これは現地で買い付けしました。ファンクをベースにMoogなどの電子機材を駆使しており、ちょっとモンド的イージーリスニング感もあります。スペースファンクと呼んでいる人もいます。

arp-life




続編となる『Z Bezpieczną SzybkoŚcią(安全速度)』は1978年にカセットテープのみで発売されました。こちらは2015年の再発盤ですが、「安全速度」だから、 飛行機の代わりにカタツムリというシュールなジャケットになっています。

arp-life2

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