四方宏明の“音楽世界旅行”〜Around the world

世界中のテクノポップ〜ニューウェイヴ系音楽を紹介。

カテゴリ: イギリス

2023年11月にロス近郊のハンティントン・ビーチで開催されたDarker Wave Festivalに行った際、最後に現れたのは、Roland OrzabalとCurt SmithからなるTears For Fearsでした。彼らの代表曲「Everybody Wants to Rule the World」「Shout」を含んだ2ndアルバム『Songs From The Big Chair』(1985年)は、全世界でヒットし、米国1位、英国1位、日本でさえ13位にまでチャートインしました。また、当時はRoland、CurtにIan Stanley、Manny Eliasが加わった4人組でした。ニューウェイヴというよりも内省的だけどメインストリームなエレクトロポップというのが、当時のイメージでした。

RolandとCurtは1978年にGraduateというモッズ系バンドを彼らの地元バースで結成します。バンド名の由来は、デビュー前に映画『卒業(The Graduate)』で使われたSimon and Garfunkelの「Mrs. Robinson」のカヴァーでライヴを始めていたことからです。ジャケ写を見ていただくと納得がいくと思いますが、髪型も服装もモッズでキメています。見た目はThe Jamに近いですが、Rolandが楽曲を手掛けていることから、パワーポップ的なモッズです。こちらは彼らの唯一のアルバムのタイトルにもなっている「Acting My Age」です。
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Graduate - Acting My Age


Graduateは2トーンでもスカ系バンドでもありませんが、この「Elvis Should Play Ska」はタイトルが示すようにスカです。モッズ+パワーポップ+スカ的要素が見事に調和しており、彼らにとっては最大のヒット曲(英国82位、スペイン10位)となりました。Elvis Costello好きにもうけそうです。他にもスカ要素がある「Dancing Night」など、1980年は、The Specialsなどの2トーンにまだ勢いもあり、その影響もあったのでしょう。
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Graduate - Elvis Should Play Ska


Apple MusicでGraduateの全楽曲を収録した『Acting My Age』が聴けます。


Graduateを抜けたRolandとCurtは、Pete ByrneとRob FIsherが結成した同郷のバンド、Neonに加入します。1980年にシングル『Making Waves』、1981年に『Communication Without Sound』をリリースしましたが、その後RolandとCurtとTears For Fears、PeteとRobはNaked Eyesとしてそれぞれ大成功を収めました。Neon時代のシングル曲は、Naked Eyesのレアトラックを集めたCD『Everything And More』に後に収録されています。ジャケ写は『Making Waves』ですが、4曲の中では『Communication Without Sound』のB面「Remote Control」がお勧めです。また、ここではTony Mansfieldのミックスの「Always Something There To Remind Me」「Promises, Promises」も収録されています。Apple Musicでも聴けます。
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Neon - Remote Control (YouTube)


では、次のヒント。
ジャマイカでレゲエヒットを飛ばした最初の白人アーティスト。


最後のヒントはこれ。
最も多くの放送禁止処分(合計11回)をBBCにくらったギネス記録保持者。例えが古くてわからない人もいるかもしれませんが、英国のつボイノリオ(代表作「金太の大冒険」)のような立ち位置です。

答えは、Judge Dreadです。「え、それ、誰?」という人もいるかと思います。諸説あるのは事実ですが、彼が1998年に亡くなった際、「Rolling Stone」誌は以下のように報じました。
Judge Dreadは25年以上のキャリアを通じて数百万枚のアルバムを売り上げ、1970年代の英国におけるレゲエの売り上げではBob Marleyに次いで2位であった。


彼の本名はAlexander Hughes。1945年に生まれの彼は10代の頃、ジャマイカからの移民も多い南ロンドンに位置するブリクストンで育ち、スカ・ロックステディの洗礼を受けました。巨漢の彼は、プロレスラー、ボディーガード、The Rolling Stonesのローディーとしても働いていました。

Judge Dreadという名前は、「ブルービートの王」の異名を持つPrince Busterの曲名から取られています。ちなみにMadnessのバンド名もPrince Buster由来で、Prince Busterの「One Step Beyond」はMadnessの代表曲にもなっています。ジャマイカ音楽の先駆者であるPrince Buster、Laurel Aitken、Derrick MorganなどはBlue Beat Recordsからリリースをした背景から、スカと呼ばれる前から、60年代初頭のジャマイカ音楽は英国でブルービートと呼ばれていました。Prince Busterは1970年に英国で「Big Five」(ジャケ写は1971年発売のアルバム『Big Five』)という際どい下ネタ歌詞のロックステディ曲をリリースします(ジャマイカでは1969年の可能性あり)。
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Prince Buster - Big Five (YouTube)


1972年にJudge Dreadはその続編と言わんばかりのシングル『Big Six』(ジャケ写は顔写真があるベルギー盤)でデビューを果たし、英国シングルチャート11位に食い込みました。その後、「Big Seven」「Big Eight」…と「Big Five」譲りの下ネタ路線で突っ走ります。結果、70年代に11枚のチャートヒットを送り込んだのです。
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Judge Dread - Big Six (YouTube) ※年齢制限あり


「Big」シリーズ以外にも合計で19枚のシングルをリリースしており、中にはかなり酷い歌詞であることが推測できるタイトルもあったりしますが、1979年にリリースした2トーンなジャケのシングル『Ska Fever / Lover's Rock』(順序が逆の表記のものある)では、両面とも「Ska fever……..」「Lover’s rock……」とヤケクソ気味にただ連呼する、でもなんか癖になるナンセンス・ソングになっています。
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Judge Dread - Ska Fever / Lover's Rock (YouTube)


また横道に逸れたスカ〜ロック・ステディ〜レゲエ記事となりましたが、Judge Dreadはレゲエ史、英国音楽史に3つの爪痕を残しました。6月4日(火)の川崎レジデンツさん主催の『Reggae & SKA MUSIC TIME』@頭バーでも、Judge Dreadを回したいと思います。

Shock解散後の話をします。Shockの中心メンバーだったパントマイマーのTim DryとSean Crawfordは、Tik & Tokと名乗り、Survival Recordsから1stシングル『Summer In The City』をリリースします。こちらは、Tik & Tok名義で唯一の日本盤シングル。「Angel Face」と同様にこちらもカヴァー曲(オリジナルはThe Lovin' Spoonful)です。プロデューサーは、Peter Godwin。彼のバンド、Metroの「Criminal World」はDavid Bowieもカヴァーしました。

Tik & Tok - Summer In The City(1982年)
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2ndシングル『Cool Running』後にリリースされたのが、『Screen Me I'm Yours』。YouTubeではShock名義でShockのもう一人のパントマイマーだったBarbie Wildeがその動画をアップロードしていることから、Richard Burgessが書いたこの曲はShock時代からの持ち曲だったようです。作風もShockです。このシングルのアートワークは、日本盤の『Summer In The City』とほぼ同じなので、間違えないように。

Tik & Tok - Screen Me I'm Yours(1984年)
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この3rd、4th「Everything Will Change」、5th「Higher Ground」を収録したアルバムが『Intolerance』。ShockのメンバーだったBarbieもバックボーカルで参加しているので、仲違いをしたようではないみたいですね。特筆すべきは、Garyのツアーサポートもしていた縁で、Gary NumanがA3「Show Me Something Real」とB4「A Child With The Ghost」でシンセサイザーで参加し、B4はGaryの提供曲です。また、Garyと縁の深いRussell Bell(Dramatis)も参加しています。歌舞伎風のアートワークといい、B1「Intolerance」では薬師如来というクレジットの琴演奏者によるインストルメンタル曲といい、日本の影響が窺えます。

Tik & Tok - Intolerance(1984年)
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ちなみにRusselはXでのGaryたちが映ったツィート画像にコメントしています。

Carole Caplin, Gary, Jane Kahn and Sean from Tik & Tok (X)

TikことTim Dryは90年代終盤に僕のサイト、POP ACADEMYを見つけて、以下のメールをくれました。当時にBlitzシーンの様子、YMO、日本文化への興味などを語ってくれました。1982年は来日もしており、ニューロマンティックな装いの日本人が案内をしてくれたそうです。一体誰だったのか、とても気になります。

ロンドンでは1979年から1980年にかけてRusty Eganが始めたBlitzシーンがありました。彼は、初期のDavid BowieやRoxy Music、Kraftwerkなどを流すクラブを運営していました。徐々にこのクラブに訪れる人たちが増え始めました。なぜなら、そこで流れる音楽は、他の場所で流れるものとは全く異なっていたからです。Rustyは、Steve Strangeと名乗る若者をドアマンとして雇い、彼は珍しい格好や華やかな格好をした人々だけをクラブに入れるようにしていました。

約1年後、クラブの人気が高まったため、もっと大きなクラブを探さなければならなくなりました(人々は、たとえ一晩だけでも、退屈で平凡な日常から逃れる必要があるのです!)。新しいクラブは、コベント・ガーデンにあるワインバーで、Blitzと名付けられました。美しい女性のような見た目をした若者が、クローク係として働いていました。彼はBoy Georgeでした!

このシーンは小さく、この時点でロンドンにしかなかったので、みんながお互いを知っていました。ShockはBlitzで演奏し、UltravoxのMidge UreとBilly Currie、間もなくSpandau Balletとなる少年たちなど、多くの人々の前でパフォーマンスをしました。この時、Tik & TokはまだShockの一部で、Ultravoxのために1つのビデオを制作しました。また、Simon Le Bonの彼女だったJane Kahnが私たちの服を作っていたため、Duran Duranとも知り合いでした!

音楽を作る人々は、ヨーロッパの音楽に大きな影響を受けていました。なぜなら、それはより堕落してロマンチックな時代を反映しているように思えたからです。ShockはCabaret Voltaire、Fad Gadget、Talking Heads、自分たち独自のものと同様にYellow Magic Orchestraを自分たちの曲の一部に使っていました。

Shockが解散した後、Tik & Tokはますます日本の文化に興味を持ち始め、1982年には、東京で大規模なヘアエキシビションのパフォーマンスと振り付けを行うために来日しました。私たちは、古い文化、侍の伝統、そして同時に存在する非常にハイテクで未来的な社会という、興奮するような文化の混在を愛しました。私たちは、人々の礼儀正しさ、優雅さ、そしてエレガンスに感銘を受けました。それは、未来を訪れるようなものでした!

私たちは、衣装やステージショーに日本の影響を多く取り入れて帰国しました。私たちは、能や歌舞伎の要素を使用し、山海塾という素晴らしい舞踏団を見て感銘を受けました。また、私たちはオープニングのパフォーマンスをロボットのスタイルから忍者に変更しました。さらに、私たちは感激のローランドSH 101シンセも持ち帰りました。若い日本人が西洋のポップ音楽や文化を取り入れながら、自国の文化にも誇りを持ち、意識していることを見るのは非常に興味深いことでした。

Tik & Tokが東京にいた時、私たちを案内してくれる日本人の友人がいました。彼は、黒い1960年代のロンドンタクシーで私たちを運転し、Jane Kahnのニューロマンティックな服を着ていました!もちろんYMOが好きでしたが、何よりも坂本龍一のソロが気に入りました。そしてSandii & The Sansetzも! 彼女は非常にセクシーで魅力的でした!

そして、日本食や美しい女性たちも素晴らしかったです!


Tikが書いたオリジナルの英語の文章は、POP ACADEMYに掲載後、Tik & Tokの公式サイトに今も掲載されています。

The Blitz And Japan (Tik And Tok)

Discogsでも関連付けられていないのですが、TikはTony Lewis(Aphroditeというパンク・バンドにいたBeki Bondageをプロデュース)と組んで、The Wang Bros.名義でThe Beatlesの「While My Guitar Gently Weeps」をニューウェイヴ風カヴァーしています。残念ながら、プロモーションされずに鳴かず飛ばずだったと、YouTubeでTikはぼやいています。

The Wang Bros. - While My Guitar Gently Weeps(1985年)
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Tik & Tokのリリース元、Survival Recordsは他にもマイナー系エレクトロポップ・アーティストの宝庫となっているので、Rare Waveとしてさらに掘っていきます。

昨年から長らく放置状態だったアナログ盤を聴き直したり、新たに買い集めたりしています。色々調べ直してみると面白い発見もあったりするので、ここで比較的レアなアーティストや楽曲を中心に順次紹介していきます。第1回はShock。アルバムも出さず、日本盤も出ないままに、消滅したので、日本での知名度は低いですが、ニューロマンティックのエッセンスが詰まったパフォーマンス集団です。

こちら、彼らの1stシングル『Angel Face』のジャケです(所有しているのはアートワークなしの12"シングルで、こちらは7"シングル)。

Shock - Angel Face (1980年)
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左から、LA Richards、Robert Pereno、Tim Dry(ピエロみたいな人)、Barbie Wilde、Sean Crawford、Karen Sparksです。PVを見るとわかってもらえると思いますが、男女ともいい意味でケバい。彼らの衣装はDuran Duranなどの衣装を手掛けたKahn & Bellによるもの。3人のパントマイマーと3人のディスコダンス・チャンピオンがやっているのでビジュアル的にも映えます。サウンドは、ニューロマンティックの仕掛け人的存在のRichard Burgess(Landscape)とRusty Egan(Rich Kids、Visage)が手掛けているだけあって、スピード感にあふれています。



これがカヴァーだと気づく人は相当のグラムロック・マニア。「Angel Face」のオリジナルは、グラムロックのあだ花的存在のThe Glitter Band。70年代サウンドが80年代サウンドになるとどう変わるかが感じ取れます。現在79歳のGary Glitterは性犯罪者指定刑務所にて8年間の服役を経て、昨年仮釈放となりましたが、制約を守らなかったため今も服役中。

The Glitter Band - Angel Face(1974年)
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カップリングの「R.E.R.B.」はかっこいいインストルメンタルですが、タイトルは曲を書いたRusty EaganとRichard Burgessの頭文字。Shockの作品というよりも二人の作品ですね。

最後の作品となった2ndシングル『Dynamo Beat』では、RobertとKarenが抜け、Carole Caplinが加わって、ドラキュラ伯爵とロボット男、中世風ゴシック嬢が入り乱れるホラー映画の様相となっています。ちなみにAdam Antとも浮名を流したCaroleは、後にTony Blair首相のフィットネス・アドバイザー、Cherie Blair夫人のスタイル・アドバイザーとなります。

Shock - Dynamo Beat(1981年)
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デジタル音源があるかと探してみると、Rusty Eganが手掛けた『Blitzed』というニューロマンティックの舞台となったクラブ、Blitzを描いたSky Artsのドキュメンタリー用に作られたコンピレーションにShockの「Angel Face」「R.E.R.B.」「Dream Games」(「Dynamo Beat」のB面)が収録されています。Apple MusicやSpotify、Amazon Musicでも聴けます。

Rusty Egan Presents; Blitzed(2022年)
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ドキュメンタリーのトレイラーは見れますが、日本でフルで見ることはできないのが、残念です。

Blitzed Trailer


RUSTY EGAN: The Blitzed Interview (ELECTRICITY CLUB)

Shock解散後のメンバーの動向については続編で!

The Cureというイギリスのバンドをご存知でしょうか? ご存知でない人でも、彼らの「Close To Me」(1985年)を知っている人は多いでしょう。ゴスっぽい外見ですが、この曲なんかはとってもポップで一度聴いたら耳から離れません。



イギリスの曲ですが、ウクライナ人に「このクリップ知っている?」って教えてもらったのが、Lady Sovereignの「So Human」(2009年)。



聴いてもらえればわかりますが、これがもうほぼ「Close To Me」。Lady Sovereignは、所謂グライム(Grime)系。いや、解ったような事を書いていますが、実はあまり知りません。調べてみると、イーストロンドンで始まったUKガラージにヒップホップ、レゲエ、ドラムンベースの要素が加わったミクスチャーサウンドと言った感じの解説が普通なされています。

『DIVA』という雑誌で、「Her first gay interview」とか受けていますので、彼女はレズビアンみたい。確かにトムボーイっぽい。

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ジグソージグソー
アーティスト:レディー・ソヴァリン
販売元:BMG JAPAN Inc.
(2009-08-26)
販売元:Amazon.co.jp

次は、リェーナの方を紹介します。

リェーナ・カーチナ(Лена Катина)の方は、Clark Owenとのコラボ曲「Melody」をリリース。Clark Owenって知らなかったので、調べてみるとイギリスのトランス系アーティスト。もともとはエレクトロだったようですが、この曲からもトランス色が強いです。

melodyMelody
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美メロ・トランスになっており、このあたりで路線変更かと思わせる内容です。前回紹介したユーリャと今回のリェーナの作品を比べる限りにおいては、僕の趣向から言えば、ユーリャです。

同時に同じコラボ作品でも、こちらのメキシコのエレクトロポップ・バンド、Belanovaとの作品の方に、可能性を感じます。ぜひ、次回は彼らのバックの全面的にリェーナのヴォーカルでのヴァージョンが聞きたいです。

Sueno Electro IISueno Electro II
アーティスト:Belanova
販売元:Universal Latino
(2011-09-06)
販売元:Amazon.co.jp
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リェーナの動向はこちらで詳しくレポートされていますので、ぜひ読んでください。
Lena Katina Japan 公式ファンサイト 

『MUSIC MAGAZINE』を読んでいて、偶然見つけたライヴ・・・あのTrevor Horn先生が来日! 元10ccのLol CremeなどとProducersとして(これは後で誤解だと分かる)!

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The Bugglesに始まるTrevor Horn信者としてはいてもたってもいられません。会場はBillboard Live Tokyo!お、偶然、その日まで別件で東京いるぞ、俺と、喜び勇んで、Billboardに電話すると8月6日のチケットがまだある! The Bugglesの再結成ライヴ的なものは今までロンドンで確か2回ほどあって、マジで渡英を考えたこともありますが、こんなチャンスは二度ないかも。期待に胸は膨らみます。

僕が観たのは、8月6日の1stステージ(8月5日、6日で一日2公演)。電話予約の際、ステージに近い所で観たいと行ったら、自由席に。結果、テーブル席のステージのほぼ中央、前から2列目を確保。あまり、前で見ることに執着しない人なのですが、この日は別。

メンバーからしてProducersの曲を中心に一部TrevorやLolの曲をやるのかという予想を嬉しく裏切り、The Bugglesを核に出血大サーヴィスなセットリスト。最初、Trevorが出てきて、水色の当時のウェリントン型メガネ(実際、33年前のメガネだと言っていました・・・欲しい)をしているのを見て、予感はしたのですが、1曲目から「ラジオスターの悲劇」ですもん。もちろん、お姉ちゃん(KirstenとKate)がちゃんと「アーアーアッ」とバックコーラス(この二人は後にも大活躍)。

2曲目は、何故か「Two Tribes」のインスト。4曲目の10ccの「Rubber Bullets」の後にTrevorが「Russian girls」とか前振りを。そう、t.A.T.u.の「All The Things She Said」を二人のお姉ちゃんが歌います。そこまでやるか!

8曲目の「Living In The Plastic Age」はもう嬉しすぎて涙目。



ちなみにアンコール前のラストも、The Bugglesの「Johnny On The Monorail」。

TrevorがYesをやる時に、「Yes時代は僕の人生で一番無惨だった頃」と言ったのは感慨深い。僕は、Trevor時代(メンバー及びプロデューサー)のYesが一番好きですよという少数派。そして、Lolが歌った訳ではないけど、10ccの「I’m Not In Love」もとサーヴィス攻撃は続きました。

割とすぐに戻ってきたアンコールでやったのは、Will.i.am & Nicki Minajによる「ラジオスターの悲劇」の歌詞を変えた「Check It Out」というサーヴィスぶり。Trevor先生、このカヴァーは好きみたい。



そして、最後の最後はTears For Fearsの「Everybody Wants To Rule The World」。これはギターのPhil Palmerが関わっていたことからという薄いつながり。結果、Producersの曲は最後までなし。まぁ、いいか。サーヴィスし過ぎの内容とも言えますが、素直に嬉しい。これは人生における記憶に残り続けるライヴです。

唯一、悔しかったのは、ステージ後サイン・写真大会になった 2ndステージは見れなかったこと!

Made in Basing StreetMade in Basing Street
アーティスト:Producers
販売元:Pid
(2012-07-03)
販売元:Amazon.co.jp
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Jet Age(ジェット機時代)は、ジェットエンジンによってもたらされた空のトラベルの革命で始まりました。今では、飛行機はジェット機なので、あまりジェット機とは言いませんが、Jet Set、Jet Age、どれも夢のある良い響きです。その時代は1958年頃から始まりました。

イギリスのエレクトロポップ・バンド、Ladytronが、その名も「Jet Age」という曲を歌っています。Ladytronという名前は、わかる人にはわかる、Roxy Musicの曲名から。結成は1999年で、エレクトロクラッシュ〜エレクトロが流行る前から、活動していた男女混成の4人組。彼らがまださほど注目されていなった2001年、デビュー・アルバム『604』に収録されていたのが、「Jet Age」。その後も現在まで活動しリリースを続けていますが、一番ポップで好きなアルバムです。このPVはNeumuという制作チームによる作られた公式にはカウントされていなPVですが、A Fine Piece of Workです。



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アーティスト:Ladytron
販売元:Cobraside
(2009-09-15)
販売元:Amazon.co.jp
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今回は60年代ではなく、50年代がゼロ年代にリヴァイヴァルするパータンです。先ずはオリジナルから。映画ファンでなくても、George Clooney(ジョージ・クルーニー)はご存知でしょう。アメリカ人的な目線では男前の典型。彼のおばさんがRosemary Clooney。1928年に生まれ、2002年に亡くなっています。

彼女が1954年(さすがに僕も生まれていない!)にリリースし、全米10位、翌年英国では1位になったのが、「Mambo Italiano」。よくこんな時代の動画が残っているなと感心しますが、若き日のRosemary、美人。Georgeも彼女にどことなく似ていますね。そして、今のアメリカにはないおしゃれさを感じます。



Playlist: the Very Best of Rosemary ClooneyPlaylist: the Very Best of Rosemary Clooney
アーティスト:Rosemary Clooney
販売元:Playlist
(2011-10-18)
販売元:Amazon.co.jp
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この曲は、ラテンハウス系のミュージシャンに好まれています。ここでは紹介できませんが、Basement Jaxxもカヴァーし、Shaft(共に英国)のカヴァーは、イギリスのチャートで12位まで行きました。



Mambo ItalianoMambo Italiano
アーティスト:Shaft
販売元:Wonderboy
(2000-03-13)
販売元:Amazon.co.jp
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1981年、Dave Stewart & Barbara Gaskinによる「It’s My Party」は、全英1位に輝きます。これまでも同傾向の曲を紹介しましたが、これは典型的なエレクトロポップ化した60年代ガールポップ! この二人、芸歴は長く、DaveはEurythmicsのDaveとは同名別人で、Eggなどのプログレ系バンドで活動してきたキーボーディスト。BarbaraもSpirogyraやDaveと同じHatfield And The Northで活動してきたヴォーカリスト。PVも見応えがあり、蝶ネクタイをしたThomas Dolbyが登場します。



Broken Records - The Singles [Special Edition] (ザ・シングルズ・スペシャル・エディション)Broken Records - The Singles [Special Edition] (ザ・シングルズ・スペシャル・エディション)
アーティスト:Dave Stewart & Barbara Gaskin(デイヴ・スチュワート & バーバラ・ガスキン)
販売元:Arcangelo
(2010-12-15)
販売元:Amazon.co.jp
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60年代、この曲は複数の人に歌われました。60年代のオールディーズものを聴いてみれば、色々な歌手が歌っています。アメリカ人、Lesley Goreによる1963年のヴァージョンが、全米1位となり一番有名です。最近まで知らなかったのですが、これをプロデュースしたのは、Quincy Jones。日本では、邦題「涙のバースディパーティー」で園まりなども当時カヴァーしていました。



涙のバースデイ・パーティ~レスリー・ゴーア・ベスト・セレクション涙のバースデイ・パーティ~レスリー・ゴーア・ベスト・セレクション
アーティスト:レスリー・ゴーア
販売元:USMジャパン
(2009-06-03)
販売元:Amazon.co.jp
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ゴールデン☆ベストゴールデン☆ベスト
アーティスト:園まり
販売元:ユニバーサル インターナショナル
(2004-02-25)
販売元:Amazon.co.jp
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Naked Eyes・・・覚えておられるでしょうか? Pete Byrne(ヴォーカル)とRob Fisher(キーボード)からなるイギリスのエレクトロポップ・ユニット。 シンセドラムが印象的なこの曲「Always Something There to Remind Me」(邦題は「僕はこんなに」)は、1982年にリリースされました。プロデュースは、New MusikのリーダーでもあったTony Mansfield。意外なことに、この曲は本国英国(59位)よりもアメリカ(8位)で受けいられました。残念なことに、後にClimie Fisherとしても活躍したRob Fisherは、42歳の若さで1999年に死去。



The Best of Naked EyesThe Best of Naked Eyes
アーティスト:Naked Eyes
販売元:Capitol
(1991-04-30)
販売元:Amazon.co.jp
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レアトラック満載のこちらもお勧め。
Everything and More - Naked Eyes

これは、Burt BacharachとHal Davidによる所謂バカラック・ナンバーのひとつ。Bacharach自身もこのNaked Eyesのヴァージョンを彼の一番のお気に入りとしています。60年代にこの曲は、最初にDionne Warwickが歌うデモ曲が作られ、Lou Johnsonがアメリカで最初にリリースしますが、それほどヒットしませんでした(全米49位)。しかしながら、同年、英国のSandie Shawがカヴァーし、全英1位となっています。

The Knocksの回に、彼らのマッシュアップとして紹介したエリー・ゴールディング(Ellie Goulding)について書きましょう。エリーは、Skrillex君の「Summit」のゲストボーカルにも起用されている、25歳のイギリス人。また、Frankmusikのサポートで「Wish I Stayed」も歌っています。

彼女のデビューアルバム『Lights』(2010年)は、本国イギリスで見事に1位に輝きます。エレクトロ系のStarsmithが主たるプロデュースをやっている割には、外見的には、エレクトロディーヴァ的ではなく、楽曲もエレクトロ(ちょっとエレクトニカより)とアコースティックが折衷しています。美形だと思いますが、都会のクラブよりもイギリスの田園風景の方が似合う感じ。

こちらは『Lights』に曲を追加した強化盤『Bright Lights』。

Bright LightsBright Lights
アーティスト:Ellie Goulding
販売元:Polydor UK
(2010-11-30)
販売元:Amazon.co.jp
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この手が好きな僕の趣味もあるでしょうが、おしなべてアルバムの曲は粒ぞろい。「Lights」や「Starry Eyed」もいいのですが、「Under The Sheets」を紹介しておきます。



エレクトロではないですが、とにかく英国的で良いのが、エルトン・ジョンの「Your Song」のカヴァー。この曲、僕がまだ10代だった頃シングルを買った覚えがあります(涙)。

デビュー時は、モヒカンでアートパンクスのようなルックスのFrankmusik君でしたが、セカンド・アルバム『Do It in the AM』(2011年)では、まるで『グリース』のジョン・トラヴォルタのようにイメチェン。
Do It in the AmDo It in the Am
アーティスト:Frankmusik
販売元:Interscope Records
(2011-09-27)
販売元:Amazon.co.jp
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イギリス受けしない内容か、アルバムのセールス自体はふるわなかったのですが、僕は好きです。特にコレット・カー(Colette Carr)とコラボした「No I.D.」。デヴィッド・ゲッタ(David Guetta)のブレイク以降、エレクトロ系とちょっとジャンル違いの人とのコラボというのが流行っているのでしょうが、これはなかなかよろしい。


タイトルでビッチとか失礼な事を言っていますが、「Bitch Like Me」という曲でコレットちゃんは自称ビッチをアピールしています。
bitchlikeme


ヒップホップ系ですが、西海岸のアフィー(Uffie)って感じ。

Frankmusik君の続きです。
彼のデビュー・アルバムは『Complete Me』(2009年)。
Complete Me-Deluxe EditionComplete Me-Deluxe Edition
アーティスト:Frankmusik
販売元:Island UK
(2009-08-04)
販売元:Amazon.co.jp
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イギリスではチャート13位まで行き、新人としてはそこそこの成果。シングルカットもされた「Confusion Girl」のPVには、オーストラリア出身のセクシー・アイコン、ホリー・ヴァランス(Holly Valance)が登場。そして、役得というか確信犯というか、Frankmusik君はHollyと熱いキスをかわしています。


ホリーを知らない人は、 彼女がタルカンのカヴァーで一世を風靡した(僕の中では)「Kiss Kiss」のPVを見て勉強してください。


最近はシンガーとしての活動はなく、女優に専念しているホリーですが、こんなセクシーでユーモアたっぷりのクリップもあります。これは必見!


Frankmusikと言いながら、ホリー特集になってしまいました。

Daft Punkの曲の多くは元ネタがあって、それらの多くは古いソウルものですが、カヴァーではなく、Daft Punkをネタにした曲もありますね。

有名なところでは、LCD Soundsystemの「Daft Punk Is Playing At My House」。


オリジナルよりもSoulwaxのリミックスの方が僕は好きですけど。

イギリスのエレクトロポップ系アーティスト、Frankmusik君(Vincent James Turner)が、なかなか手の込んだトリビュート・ソング「Our Discovery」を作っています。歌詞もサウンドも「One More Time」「Aerodynamic」「Technologic」などのDaft Punk曲がちりばめられています。偶然、発見したのですが、WhoSampledというどの曲がどの曲をサンプリングしたかをデータベース化したサイトで、この曲のことも書いてあります。


longlivefrankmusik尚、これは通常リリースではなく『Long Live Frankmusik』という無料配信EPに収録されています。Lady Gagaの「"Eh Eh (Nothing Else I Can Say)」やCSSの「Move」などのリミックス仕事、最近ではErasureのアルバム『Tomorrow's World』のプロデューサーとしても活躍しています。

80'sリヴァイヴァル集団のVALERIEについて以前、All Aboutで2回特集しました。
VALERIE〜フレンチエレクトロ集団
VALERIE〜THE NEW 80'S

『VALERIE AND FRIENDS』(2009年)というValerieのコンピレーションに「Eyes Like The Ocean」という曲で参加していたのが、今回紹介するFuturecop!。彼らはValerieに所属している訳ではなく、80’sリヴァイヴァルを志す同志(Friends)という扱いだったのでしょう。出身もフランスではなく、イギリスのマンチェスター。

VALERIE AND FRIENDSVALERIE AND FRIENDS
アーティスト:オムニバス
販売元:NURBS/THISTIME
(2009-08-19)
販売元:Amazon.co.jp
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ジャパニーズエレクトロ、80kidzのリミックス集『THIS IS MY WORKS』(2009年)においてもFuturecop!の「Class Of 1984 (80kidz)」が収録されています。

THIS IS MY WORKSTHIS IS MY WORKS
アーティスト:エイティーキッズ
販売元:ケイエスアール
(2009-12-16)
販売元:Amazon.co.jp
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Futurepop!のデビュー・フルアルバム『It's Forever, Kids』(2010年)は、表ジャケだけでなく、裏ジャケ、中ジャケでアニメ的なモチーフを使用しています。ニート(Manzur Iqbal)とクラブDJ(Peter Carrol)から成る凸凹ユニットなどと呼ばれています。

It's Forever,KidsIt's Forever,Kids
アーティスト:フューチャーコップ!
販売元:CLUSTER SOUNDS
(2010-11-03)
販売元:Amazon.co.jp
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オープニングを飾るのが、80年代ティーンエイジャー映画的PVが製作された近未来型インスト曲「Transformers」。日本人リミキサーのKiyoshi Sugoによるリミックスも収録されています。



「1988 Girls」などはValerieのテイストにも通じる80年代映画のクリップを集めて作った動画が、YouTubeで公開されています。これは、TNUCというカリフォルニアの職人が作ったものです。80年代、音楽はイギリスのニューウェイヴとアメリカの映画がシンクロしていたんだなぁと・・・感慨深いですね。

80年代OMDの話の後は、14年ぶりの新作『The History Of Modern』(2010年)について書きます。OMDは1996年にほぼ活動停止。その後、Andy McCluskeyはAtomic Kittenなどに曲を提供し、裏方に専念していました。

しかし、2006年にはOMDとしての活動を再開し、2007年よりツアーを開始し、『OMD Live: Architecture & Morality & More』(2008年)というライヴ・アルバムもリリースしました。

LiveLive
アーティスト:Orchestral Manoeuvres In The Dark
販売元:Eagle
(2008-12-24)
販売元:Amazon.co.jp
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僕にとって最近の一大ニュースだったBugglesの再結成ライヴ(2010年9月28日)のスペシャル・ゲストにOMDが出演。他にも、Alison Moyet(Yazoo)、Claudia Brucken(Propaganda)が登場しました。あ〜、行きたかった!!!

さて、OMDの新作の出来は? 正直なところ、80年代が全盛だったアーティストが復活して、当時を知るリスナーが納得できる作品をリリースする事は少ないです。そんな中、彼らの新作は変に時代に媚びることなく、OMD節を貫いている良作だと思います。メランコリーなテクノポップを作らせたら、俺達にはかなわないとの意気込みが伝わるのが、「Sister Marie Says」。どことなくメロディーは「エノラ・ゲイの悲劇」。PVでは、イギリス人然とした少女の不遇な日常が歌われています。なお、このアルバムは全英チャートで28位まで行きました。



ジャケは、過去のOMDやNew Orderの作品を手掛けてきたPeter Savilleによる幾何学模様!

History of ModernHistory of Modern
アーティスト:Omd
販売元:Bright Antenna
(2010-09-28)
販売元:Amazon.co.jp
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OMDの14年ぶりの新作『The History Of Modern』がリリースされました。80年代の代表的な英国のエレポップ・バンドですが、当時、Orchestral Manoeuvres in the Darkって長ったらしい名前だなと思いつつ、3文字アクロニムにELOやYMOを投影していました。先ずは、80年代のOMDについて語ります。メンバー移動がありましたが、濃い眉毛が特徴のAndy McCluskeyとPaul Humphreysが中心メンバー。

彼らの代表曲と言えば、“悲劇”の名曲「エノラ・ゲイの悲劇(Enora Gay)」(1980年)。この曲で、広島に原爆を投下したのは爆撃機の名前(同時に機長のお母さんの名前)は「エノラ・ゲイ」だと知りました。「エノラ・ゲイ、昨日は家に居るべきだったんだよ」「エノラ・ゲイ、こんな風に終わらせるべきじゃなかっただよ」と・・・心痛な歌詞です。人類史上の悲しい出来事をテーマにしながら、メランコリーだけど、こんなにポップな曲を作ってしまうところにイギリス人らしさと感じます。



1998年には、『The OMD Singles』様にSasha Remixも制作されました。こちらのPVはよりメッセージ性が強まっています。



他にもヒット曲や好きな曲がいっぱいあるOMDですが、個人的に好きなのが「Telsa Girls」(1984年)。過剰な音作りが80年代を極めています。



OMDのベストアルバムは複数出ていますが、お勧めなのはDVDもついた『Messages』(2008年)。

Messages: Greatest Hits (Bonus Dvd)Messages: Greatest Hits (Bonus Dvd)
アーティスト:OMD
販売元:Emd Int'l
(2008-08-21)
販売元:Amazon.co.jp
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The Maisonettesというグループをご存知でしょうか? エレクトロポップと言っていいでしょうが、The Buggles、New Musik等にも通じる、The Beatlesを継承するモダンポップと60年代キッチュを兼ね備えています。Rah Bandが好きな人にもお勧めです。と言っても、女性が主役ではなく、女性はバックボーカルだけなので、ガールポップの系譜からは外れてしまいますけど。そんなことはどうでもいいほど、The Maisonettesはノスタルジックに素晴らしい。

彼らの代表曲は、モータウンmeetsテクノポップな「The Heartache Avenue」(1983年)。英国では7位というスマッシュヒットとなりましたが、同時に一発屋的な認識もされています。でも、他の曲の出来が悪い訳では決してなく、ただヒットしなかっただけです。でも、この時代、英国のシングルチャートというのは、素晴らしい曲がいっぱいだったと・・・ バックコーラスとしてPVにも登場する二人のおねえちゃん(ジャケにもちゃんと写っています)もメンバーなのですが、彼女達は歌に問題があったため、実際のスタジオレコーディングでは別の女性が歌いました。ここはやはり、ルックス重視ですかね。



リードヴォーカルのLol Masonは元City Boyという英国モダンポップ系のバンド出身。「10ccを凌ぐとさえいわれる都会派ロック」が日本での売り出し文句でした。City Boyもコーラス重視だったので、その部分はThe Maisonettesにも引き継がれたようです。

「The Heartache Avenue」は後にUKのヒップホップ系のグループ、Roll Deepによって「The Avenue」というタイトルで2005年にサンプリングされています。サンプリングと言っても、The Maisonettesの「The Heartache Avenue」の上にラップを被せただけに聴こえます。名曲再発掘としては評価しますが、これで、英国11位っていうのは、如何なものかと・・・



彼らの集大成とも言える『Heartache Avenue: The Very Best of the Maisonettes』(2004年)には、他にもBeatlesっぽい「Lessons In Love」、60’sな「Where I Stand」、泣かせるバラード「Roni Come Home」など一発屋なんて呼ばせたくない名曲を残しています。

The Heartache Avenue: The Very Best of the MaisonettesThe Heartache Avenue: The Very Best of the Maisonettes
アーティスト:Maisonettes
販売元:Cherry Red UK
(2004-05-11)
販売元:Amazon.co.jp
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Tracy Ullmanと負けず劣らず、60'sリヴァイヴァル系歌姫の中で好きなのがMari Wilson。トレードマークは、ビーハイヴ(ハチの巣)。ビーハイヴは、アメリカのニューウェイヴ・バンド、The B-52'sのトレードマークでもありますが、このヘアスタイルがB-52ストラトフォートレス爆撃機のノーズの部分に似ているため、B-52という呼び方もされていました。ビーハイヴは、「ティファニーで朝食を」のAudrey Hepburn、60年代の歌姫Dusty Springfieldなど、60'sキッチュの象徴でした。Mari Wilsonのビーハイヴは本物で、The B-52'sのはかつららしいです。

Mari Wilsonは奇才Tot Taylor(正確には彼のお兄さん)が設立した60'sキッチュなCompact Organizationからデビュー。Pizzicato Fiveの小西康陽氏もCompactの会員でした。Compactからは、『A Young Person's Guide To Compact』(1982年)というレーベル・コンピレーションがリリースされています。元々のLPは2枚組ですが、後に1枚にまとめたCDも英国盤と日本盤(WAVE)がリリースされました。この2枚のCDは微妙に収録曲や曲順が違います。

青少年のためのコンパクト・オーガニゼーション入門 (輸入盤 帯・ライナー付)青少年のためのコンパクト・オーガニゼーション入門 (輸入盤 帯・ライナー付)
アーティスト:VARIOUS ARTISTS
販売元:LTM
発売日:2007-08-25
おすすめ度:5.0
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彼女が1982年にリリースした「Just What I Always Wanted(マリのピンクのラヴ・ソング)」は、英国で8位というスマッシュヒットとなりました。邦題は意味不明なほどにクリエイティヴ! この曲は、Teddy Johnsonが書いたものですが、プロデューサーはNew MusikのTony Mansfield。5分を超える12インチ・ヴァージョンもありますが、この時代のものは、インスト部分が長いエクステンド・ヴァージョンに過ぎません。まぁ、それはさておき、この曲は、Mariのソウルフルなヴォーカル、ベースとなったモータウンサウンド、Tonyの絶妙なテクノポップなアレンジが、三位一体となった名曲です。



Tony Mansfieldがメインのプロデューサーとなって製作された『Showpeople』(1983年)では、他にも「Wonderful To Be With You」「Are You There With Another Girl?」「Beware Boyfriend」など他にも泣きそうにいい60’sキッチュなテクノポップが揃っています。

ショウ・ピープルショウ・ピープル
アーティスト:マリ・ウィルソン
販売元:バウンディ
発売日:2010-09-08
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90年代に入ってアルバム『Rhythm Romance』(1991年)をリリースしましたが、残念なことにエレクトロから離れジャズ寄りのスタンダードなサウンドとなりました。その後長らく活動を休止していましたが、『Dolled Up』(2005年) 、『Emotional Glamour』(2008年)とゼロ年代に復活を遂げています。

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