四方宏明の“音楽世界旅行”〜Around the world

世界中のテクノポップ〜ニューウェイヴ系音楽を紹介。

カテゴリ: 共産テクノ

増根正悟さん著、パブリブからの新刊『チェコじゃないスロヴァキア』を読了したので、書かせていただきます。『ウクライナ・ファンブック』『トルクメニスタン・ファンブック』に続く「ニッチジャーニー」シリーズのVol. 3、「連邦制マニアックス」として出版された『タタールスタン・ファンブック』も含めると、これで4冊目のガイドブック的な書籍となります。
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チェコじゃないスロヴァキア: 中欧の中央 (ニッチジャーニー)

2017年7月に僕はスロヴァキアの首都ブラチスラヴァを訪れました。小さな街でしたが、十分に楽しめました。そして、この本があったら、もっと楽しめたのに…少し悔しい思い。タイトル通り、スロヴァキアを中心に書かれていますが、対比される部分に関してはチェコについても相当詳しく書かれています。

意外と知られていないブラチスラヴァがウィーンに近いことについてもちゃんと書かれています。僕も旅程を考える前は知らなかったのですが、試行錯誤の結果、ブラチスラヴァからウィーンへのバス移動が大正解という答えに行きつきました。

多角的にスロヴァキアについてアプローチされており、「文化」の章ではスロヴァキア音楽についても書かれています。拙著『共産テクノ 東欧編』にも収録したMiro Žbirka、Marika Gombitova(共にModusというバンドに在籍)、Peter Nagyなどのミュージシャンについての解説もあります。

Miro Žbirkaの1984年のアルバム『Nemoderny Chalan』に収録の「22 dni」は、ネオアコとエレクトロポップを折衷したような佳曲です。


スロヴァキアの音楽についてはこちらでも書きました。
英国の香りがするスロバックポップ

この本のおかげで、自宅から割と近くにスロバキア・レストランがあるということを知りました。神戸の王子公園にあるFATRA cafe。今度ぜひ行ってみたいと思います。

パブリブからの新刊本、衣笠太朗さんが書かれた『旧ドイツ領全史』を紹介します。音楽系のテーマが多いパブリブですが、このような研究者によるアカデミックなテーマも得意分野です。あとがきを読んでみると、パブリブの編集者の濱崎さんからの依頼はもともと、「旧ドイツ領ガイドブック」だったらしい。出だしの「歴史観光ガイド」からガイドブック的な要素ももちろんあるのですが、帯にあるように「そこはなぜドイツになり、そしてドイツでなくなったのか?」を解き明かしている歴史本です。

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旧ドイツ領全史: 「国民史」において分断されてきた「境界地域」を読み解く (旧領土スタディーズ)

資料としても大変価値がある内容ですが、これは個人的にも興味深いテーマです。僕の娘はここ数年ベルリンに在住しており、『共産テクノ 東欧編』の執筆の際は、ドイツおよび東欧諸国を訪れる機会が幾度がありました。例えば、歴史観光ガイドでも紹介されているポーランドのポズナニを訪れた際、ここは昔ドイツ帝国の一部だったとかを知るわけですが、この本でそのぼんやりとしたものがはっきりしてくるのです。同じく造船業で栄えたグダニスクもかってはドイツ領であった。この地は、ワレサ率いる連帯の運動が始まった地としても有名です。

陸続きの国境がない日本人にとってはなかなか実感が湧かないのですが、国境特に飛び地は好奇心がそそられます。バルト三国が独立した結果、ロシアの飛地となったカリーニングラード州。ここもかってドイツ領だったわけです。多くの領土は国家の都合のいい解釈で成り立っていることが見えてきます。ちなみにプーチン大統領の元妻のリミュドラは、ここの出身です。余談ですが、カリーニングラード州には、Комитет охраны тепла(熱のための委員会)というUB40のような共産レゲエ・バンドがいます。



しばらくの間は難しいですが、この本で予習した後、バルト三国経由でカリーニングラード州を訪れたいもんです。

2018年11月4日、オリャことオリガ・ヴァスカニヤーン(Ольга Восконьян)について書きました。「新譜をリリースしたよ!」とオリャからVKを通じて連絡があり、彼女にショート・インタビューをしました。

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デビュー時のオリャ

—オリャ、お久しぶりです。お元気ですか?

オリャ:とても元気です。前回(2018年)お話をしてから、多くの変化がありました。

—この2、3ヶ月コロナウィルスは全世界に拡散されました。ロシアでは1日1万人を超える感染者が出た日もあったと聞いています。ロシアの現在の状況はどうですか? どのように日々過ごしているのですか?

オリャ:はい、ウィルスは、他の地域を同様にロシアでも猛威を奮っています。現在は、減少傾向が見えてきており、日々の感染者は1万人を割っています。ロシアではとても厳しい規制があります。外出は生活物資を買うためだけに限られ、マスクと手袋を着用しなくてはいけません。1週間に2回だけ外出できるパスがもらえます。違反した場合、7000円程度の罰金が課されます。オフィス、保育園、食料品店とレストラン以外のショップは休業しており、全てのコンサートやイベントは中止となりました。基本的にみんな、家にいるか、ダーチャのような郊外にいます。

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完全武装のオリャ

—日本もまだ緊急事態宣言が本格的に解除されていませんが、ロシアの状況も良くなることを祈ります。話は変わりますが、新譜『Color Dreams』のリリースおめでとうございます! ここには、新曲、最近リリースしたシングル曲、それらの新しいリミックスなどが収録されていますね。長い沈黙の後、この2、3年、あなたはとてもアクティブに活動をしているようですが、何がその変化をもたらしたのですか?

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Color Dreams

Apple Musicでも聴けます!
Color Dreams

オリャ:はい、新譜は私にとって素晴らしい長く待ち望んだ喜びです。きっかけは、ビオ(Био)で活動することに再度誘われて、ちょうど時間があったので、了承したからです。まずは、アルバム『Automobiles (Автомобили)』を出すことをオファーしてくれました。現在は、私自身も曲を作り、アレキサンドル・ヤコフレフがアレンジをしてくれています。その結果が今回のアルバムです。

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最近のライヴ

—アルバムの中で最も気に入ったのが、「動物の魂(Звериная душа)」。とってもキュートです。歌詞の意味は分かりませんが、タイトルがとても興味深いです。何について歌ったのですか?

オリャ:その曲は、完璧なチョイスです! 気に入ってくれて嬉しいです。現在、この曲のリミックスを制作しており、まもなく、次のシングルとして「動物の魂」をリリースする予定です。この曲は、動物と植物の世界について、地球上の美しい自然のすべてについて、どれほどそれらを愛し、慈しみ、学ぶべきかついて歌いました。銀の時代(19世紀最後から20世紀初期にかけてのロシアにおける詩の黄金時代)の二つの古典的な詩から、一節を取り出し、ミックスしました。オシップ・マンデリシュターム(Осип Мандельштам)とコンスタンチン・バリモント(Константин Бальмонт)からの引用です。これらは同じテーマを持ち、うまく組み合わせられました。

—アルバムとは別に新しいミュージックビデオ「Автомобили System Eta Future Bass Remix」もリリースされていますね。あなたのデビュー曲はFuture Bassサウンドに変身し、アニメーションとしてビジュアライズされています。ロシアでは日本のアニメも人気があると聞きます。ソ連時代に日本のアニメを見るチャンスはあったのですか? 好きな日本のアニメはありますか?

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Автомобили System Eta Future Bass Remix



オリャ:ロシアに「愛好者の狭い輪ですごく知られた」という慣用句があります。広くは知られていないけど、とても独占的な物に対して使います。多分、アニメにはこの表現が当てはまります。日本のアニメはちょうど私にとってこの状態です! 漫画、アニメ、コスプレなどこういう世界を作っていることに感銘を受けました! 人々はこう言った若者文化を気に入っているのでしょう。でも、ロシアのテレビではほとんど放映されません。素晴らしい漫画もありましたが、ごくわずかです。多くのものは完全に子供向けです。これはおかしいと思います。ホラー映画や血に飢えたファイターの支配よりもキュートな漫画やアニメを見る方がいいです。アニメはもっと幅広く受け入れられるべきです。このような状況が是正されて、System Etaのミュージックビデオの制作者がこのアニメの方向でやっていくことを真摯に望んでいます。ソ連時代、日本の漫画やアニメが紹介されることはほとんどありませんでした。唯一覚えているのは、とっても怖かった怪物の映画です。

—オリャ、ありがとう。これからの活動も楽しみにしています。あなた自身をモチーフにしたアニメを是非作ってください。

共産主義陣営からの亡命者または移住したアーティストは数多くいますが、その中でも一番成功したのは、パンクの女王、Nina Hagenでしょう。彼女は1976 年に西側(最初はイギリス)に母と共に亡命しました。

彼女の東ドイツでの足跡を辿ります。彼女の最初のレコーディング音源と思われるのは、1973年の『Solidaritat Geht Weiter(連帯は続く)』と国家主義的なタイトルのアルバムに収録されています。と言っても、Reinhard Lakomy Chor Und Orchesterの「Terra Humanitas」と曲でコーラスとして参加しているだけで、彼女の声がどれかの判別はつきません。

Solidaritat




Michael Heubachが結成したAutomobilはNina Hagen を見出し、1974 年にNina Hagen & Automobilという名義でシングル『Du Hast Den Farbfilm Vergessen(カラーフィルムを忘れたのね)』でデビューしました。いきなり東ドイツのチャート1 位となりました。2003年度の調査では、約4割の東ドイツ人がこの歌を歌えるほど国民に浸透しました。

サイケデリック風のジャケですが、軽快なポップロック。動画では、当時のあどけなさが残るNina Hagenと亡命後のパンクなNina Hagenがミックスされており、パンクの威力を感じます。個人的には前者のNina Hagenの方が好きと呟いておきます。

duhast



どこの国もニューウェイヴ歌姫のようなポジションの人がいます。ソ連の場合、自称火星人ことジャンナ・アグザラワ (Жанна Агузарова)、チェコスロバキアで言えば、Jana Kratochvílováです。日本の戸川純的ポジションと言った方がわかりやすいかもしれません。

Jana


デビューシングルは結構早い1977年の『Song』。バックビートが効いた前衛的な歌謡曲といった感じ。



1980年のシングル『Dlouhá Bílá Žhoucí Kometa(長く白い萌える彗星)』は、モーグサウンド的キラキラディスコ歌謡。



翌年にはThe Policeのカヴァー『Tvou Spásou Já Chci Být(高校教師)』をシングル・リリースしています。



Janaは1983年にはチェコスロバキアに帰国できなくなり、英国に残り、Jana Pope、Z Goddess名義でリリースをしましたが、残念ながらそれほど注目されることはありませんでした。最近もチェコスロバキアのメディアにも登場していますが、エキセントリック街道まっしぐらという感じです。


80年代からゲーム音楽とテクノポップは親密な関係にありました。古い記事ですが、YMOとゲーム音楽について書きました。

中田ヤスタカもゲーム音楽に関わったり影響されているふしがあります。

前置きが長くなりましたが、ハンガリーにもゲーム音楽とテクノポップの親密さが伺える曲があります。ハンガリーは内陸国なので、魚雷なんて関係ないはずですが、ハンガリーのテレビで「Torpedó Játék(魚雷ゲーム)」という番組がありました。日本では「海戦ゲーム」とか「軍艦ゲーム」と呼ばれているものです。マス目に複数の軍艦を配置して、二人で対戦するゲームです。昔、やった覚えがあります。それをテレビでやっていたのです。盛り上がったのだろうか、ちょっと心配です。



その番組から派生して、Kati Szabóというグループが1988年に出したシングル『Torpedó(魚雷)』です。思わせぶりにかっこいいイントロからユーロ歌謡みたいになる展開が微笑ましいです。

Torpedo




ハンガリー人に会ったら、魚雷ゲームについて訊いてみたい。

Marek i Vacek(Marek & Vacek)はMarek TomaszewskiとWacław Kisielewskiの二人のピアニストからなるデュオであります。1966年には「Tandem」というタイトルの 27分近くに及ぶ先駆的とも言えるミュージックビデオを発表していますが、こちらはそこからのベートベンの「アレグレット」の動画です。



80年代に彼らは、独自の解釈でクラシックのテクノポップ化を測ります。その代表曲とも言えるのが、「Melodia dla Zuzi(ズジのためのメロディ)」。二人とも真面目にやっていますが、どこかユーモラス。

Marek i Vacek




残念なことに1986年にKisielewskiは交通事故で他界し、デュオは活動中止となってしまいました。

本日は、『共産テクノ 東欧編』ではなく『共産テクノ ソ連編』のお話をします。




ロシア語のFacebookとも言える通称、VK(ヴェーカー)と言われるフ コンタクテ(ВКонтакте)を共産テクノの情報収集のために数年使っています。1ヶ月ほど前、オリガ・ヴァスカニヤーン(Ольга Восконьян)から友達申請がありました。最初は誰か分からなかったのですが、写真を見ると、見覚えがあります。ソ連版Depeche Modeとロシアン・ウィスパーの記事でも書いたアンニュイな女子(当時)です。


もう一度、彼女の名曲「Автомобили (自動車)」を貼っておきます。



すっかり忘れていたのですが、僕はVKで彼女に関するグループ(コミュニティみたいなファンの集まり)に加入していて、彼女は「私のファンなら歓迎よ」という感じで、そのグループに入っている人に申請をしていたのです。彼女に「君のことを書籍でも本ブログでも書いたよ!」と情報を送ってみると、とても喜んでくれました。

オリガは現在も活動中! 現在もお綺麗です。こちらは新しいバージョンの「自動車」のライヴです。



色々やり取りをしていると、ちょうど彼女はアルバム『Автомобили (Expanded Edition)』をリリースしたとのこと。VKでMaschina Recordsのマクシム・コンドラシオフという人にコンタクトし、PayPalで€24(送料・手数料込み)を払って、手に入れたのがこれです!

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当時のオリジナル曲が5曲にリミックス曲、彼女が活動したБиоの曲を加えて、全部で18曲。オリガ・ヴァスカニヤーンのファンにとって待望かつマスト・アイテムです(笑)。

ちょっと曲が少ないですが、Bandcampでもデジタルアルバムが買えます。「ディスコ狂のソヴィエト女王(The soviet queen of disco-frenzy)」と紹介されています。

CD共にポストカードも送られてきました。『ソ連編』でも書いたオーガニック・レディこと、アルガニーチスカヤ・リェヂ(Органическая Леди)と90年代に活動したらしいディー・ブロンクスとナタリ(Ди БРОНКС и НАТАЛИ)の二組です。両者とも強力なルックスです。また、ブログでも書いてみます。

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共産テクノ認定をしたポーランドの作品の中で、飛び抜けてクオリティーが高いのがARP-Lifeによる『Jumbo Jet』です。リリースは1977年と、全く出遅れていません。ポーランドの国営ラジオとテレビのスタジオ機材をフルに活用するためのプロジェクトだが、3人のメンバーのうちの一人は、Franek Kimonoの黒幕でもあったAndrzej Korzyński。

ジャケットも秀逸! はい、これは現地で買い付けしました。ファンクをベースにMoogなどの電子機材を駆使しており、ちょっとモンド的イージーリスニング感もあります。スペースファンクと呼んでいる人もいます。

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続編となる『Z Bezpieczną SzybkoŚcią(安全速度)』は1978年にカセットテープのみで発売されました。こちらは2015年の再発盤ですが、「安全速度」だから、 飛行機の代わりにカタツムリというシュールなジャケットになっています。

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CCM(コンテンポラリー・クリスチャン・ミュージック)というジャンルがあります。ナッシュビルやテネシーを発祥とし、米国の保守層を担うキリスト教徒が主体となり、多くはキリスト教信仰をテーマに歌うポピュラー音楽です。どこからどこまでがCCMかというのは意見が分かれるところですが、クリスチャン・メタル、クリスチャン・パンク、ホーリー・ヒップホップなどと言ったジャンルも存在します。日本では、久保田早紀として「異邦人」で一斉を風靡した久米小百合はCCMに入れてもいいでしょう。

現在でもアメリカを中心にJoy Electric、Brave New World、Sovietなどのクリスチャン・シンセポップ(エレクトロポップというよりもシンセポップと呼ばれる傾向がある)系バンドがいますが、80年代の東ドイツにもクリスチャン・シンセポップ・デュオがいました。「Church in a new light - Church in the new sound」をモットーに活動したクリスチャン共産テクノが、Serviです。彼らは80年代に2枚のアルバム『Ruckkehr Aus Ithaka(イサカからの復帰)』『Pas De Deux In H』をAmigaからリリースしているが、1枚目に収録された「Laistrygonen(ライストリューゴーン族)」は後のエレクトロニカサウンドを予見させる独創性を感じさせます。

Servi




東ドイツの唯一の国営レコード会社、Amigaは「Kleeblatt」というシリーズをリリースしていました。シリーズ14枚目となる『Kleeblatt No.14 - Electronic-Pop』(1985年)は、文字通り国産のエレクトロポップをテーマに、4組のアーティストを収録しています。全ての楽曲はインストルメンタルですが、歌詞の検閲を受けないでもリリースできるというメリットもあったと思われます。

Electronic-pop


『共産テクノ 東欧編』でも、このオムニバス盤に参加したKeyのFrank Fehseにインタビューする機会に恵まれました。Fehse曰く、「当時買った 2 台のシンセサイザーで家が 1 軒買えた……」とのこと。彼らの唯一のアルバム『Key』(1989年)では、オリジナル曲に混じって、Jan Hammerの「Crockett's Theme」と Harold Faltermeyerの「Axel F」のカヴァーを収録しています。前者は、「Miami Vice」の挿入歌、後者は映画 『Beverly Hills Cop』のテーマ曲です。近年のシンセウェイヴまたはレトロウェイヴにも影響を与えた80年代を代表するエレクトロポップ・インストルメンタルです。

Key




「Crockett's Theme」は、エレクトロクラッシュ全盛期にカナダのFPUもカヴァーしており、僕のお気に入りの一つです。

FPU



1938年にプラハに生まれたPetr Skoumalは、元々子供向けを中心としたサントラを主に手がけていた音楽家ですが、80年代終盤、つまり50代でテクノポップに目覚めました。ソロ名義で『…Se Nezblázni(発狂して ……)』(1989年)と『Poločas Rozpadu(ハーフ・ライフ)』(1990年)を立て続けに発表します。この2枚は、彼が亡くなる2014年の前年に2枚組CDとして再発されてました。

Petr Skoumal


しかし、本日紹介したいのは、ポーランドの民主化以降となる1994年の作品「I Am A Japanese Synthersizer」です。56歳となったSkoumalは、突如動画のみでこの曲を発表します。当時チェコではそこそこ放映されていたらしいです。今回も”間違った感”に溢れています。テクノポップ的には間違えていないのですが、間違った日本(笑)! Skoumalも歌舞伎メークで登場。後半なぜか、イチャイチャし始めるサムライとゲイシャ。ご覧ください!

GM49は、ハンガリーで最初にスカ・レゲエ をやったバンドとされています。すでに知名度があったコメディアンのMiklós Gallaが中心となってブダペストで1981年に結成されました。デビューシングルの「Kötöde(編み物)」(1982年)は、当時のツートーン、特にMadnessの流れを組むスカとなっています。



1984年にGalla以外のメンバーは総替えとなり、ロンドンにシンセサイザーを買いに行って、テクノポップ・アルバム『Digitális Majális(デジタル・ピクニック)』を完成させます。その中の問題の1曲が「Kozmikus Alom(コズミック・ドリーム)」です。推測するに本人たちはテクノポップをやろうとしたのですが、余計な個性を強調することで、間違った感じのテクノポップに仕上がっています。メンバーのコスプレとチグハグ感がさらに輪をかけています。

GM49




脱退した元メンバー、Attila Borzaは取材で「大まかに言って、失敗作だった」との言葉を残していますが、その心意気には敬意を表します。

こちらでテクノポップ度が高いディスコポロ、名付けて「テクノディスコポロ」を紹介しましたが、今回は正統派のディスコポロを紹介します。正統派になればなるほど、下世話でダサさが強調されるのがディスコポロの特徴です。

DOMMUNEで『ヒップホップ東欧』のナタリアさんとディスコポロ対決をしたのですが、ナタリアさんはいきなりの豪速球! 彼女がセレクトしたのは、ディスコポロのアンセムソングとも言えるMarlena Drozdowska & Marek Kondratによる「Mydełko Fa(ソープFa)」(1991年)。「Fa」はヘンケル社の石鹸ブランド名です。この曲をプロデュースした黒幕とも言えるのが、Franek KimonoのメンバーでもあるAndrzej Korzyński。彼の本流というよりも、かなり狙って作ったようです。ディスコポロのリリースのほとんどはカセットテープですが、複数のジャケットが存在します。どれも大胆というか露出度が高いのですが、比較的穏健なものを載せておきます。ちなみにお姉さんと歌い手の間には何の関係もありません。ジャケットに負けず、動画もB級エロ感に溢れています。

Mydełko Fa




対する僕のセレクトは、Toy Boysの「Jelcyn, Jelcyn(エリツィン、エリツィン)」(1993年)。別名「エリツィン・ダンス」。ロシア民謡 meets ディスコポロであります! 「エリツィ ン、エリツィン、あなたはヒーロー」と歌うエリツィン賛歌。ハンガリーには「OK ゴルバチョフ」という曲もありましたが、結果的に東欧をソ連から解放してくれたゴルバチョフとエリツィンは人気者のようです。

Jelcyn Dance




チェコスロバキアにノヴァーヴルナ(=ニューウェイヴ)系バンドにOK Bandというのがいます。OK Bandのシンセサイザー奏者、Vladimír Kočandrleが別ユニットしてやっていたのが、Mýdlo(意味は「石鹸」)。こいつらが変なんです。脱力系のノイエ・ドイチェ・ヴェレのような作風で攻めています。

脱力系のノイエ・ドイチェ・ヴェレの代表格と言えば、Trioですが、デビュー・シングル『Da Da Da, Nechci Tě Vic(ダ・ダ・ダ、あなたを望んではいない)』(1982年)では、Trioのカヴァーもしています。

Da Da Da


カップリングの「Po Nočni(夜の後)」の動画では、子供バンドをバックにボーカルのおっさんはベッドで寝ながら歌っています。ずっと寝ています。



続くシングルは『Dieta(ダイエット)』(1984年)、同じおっさんが出ていた、レストランでただ食事をしています。適当に連れてきたような、踊るキッチンのおばさんたちがかわいらしい。

Dieta



DOMMUNE「共産テクノ 東欧編」実写版を観ていた方々、ありがとうございます。しばらくDOMMUNEでも紹介したアーティストを中心に書いていきます。

英国生まれのRobert Palmerはスーツが似合う男性シンガーの象徴的存在です。2003年に54歳という若さでパリで心臓発作によって亡くなってしまいましたが、80年代にDuran DuranやChicのメンバーとのThe Power Station、ソロとして隆盛を極めました。当時会社員だった僕は、仲間内で「歌うサラリーマン」と勝手に呼んでいました。70年代のソウルフルでファンキーな時代も、味があります。1975年の『Pressure Drop』は捻りが効いたセクシージャケ。

Pressure Drop


そんな彼だからこそ、無表情なモデル系美女を従えて、伊達なスーツで歌う「Addicted To Love(恋におぼれて)」のPVは様になっていました。



東ドイツのRobert Palmerと呼んでいるのが、Arnulf Wenning。ニューウェイヴ・レゲエ系のバンド、Reggae Playのボーカリスト・フルート奏者として活動し、1987年にデビュー・アルバム『Arnulf Wenning』をリリースしました。まだベルリンの壁が崩壊する前ですが、攻めているセクシージャケです。

Arnulf Wenning


PVでも攻めています。「Addicted To Love」を意識したような「Scharf drauf (Stop! Rock)」は、さらに裸体主義へと。一つ注文するとすれば、ちゃんとスーツを着て欲しかった。

現在も、チェコは東欧のハリウッドと呼ばれるほど映画産業が盛んな国です。チェコスロバキアであった1960年代にはチェコ・ヌーヴェルヴァーグが興り、人形劇をもとにしたアニメの分野でも質の高い作品を輩出してきました。そんなチェコスロバキアですから、サントラ分野においても注目すべきアーティストがいます。彼の名は、Karel Svoboda。

1980 年にスウェーデンの作家、Selma Lagerlöf の小説がベースとなった『ニルスのふしぎな旅 (Nils Holgersson)』 というテレビアニメが NHK でも放映されていました。日本ではタケカワユキヒデとチト河内が音楽を担当しましたが、1983年にヨーロッパで放映された際には、Karel Svobodaがサントラを手がけました。



彼はKarel Gott、Helena Vondráčková、Petra Janů、Marcela Březinová (OK Band)、Anna Rusticanoなどのチェコスロバキアの歌手に楽曲提供をしましたが、同時に数多くのサントラも手がけています。その中でも注目すべきは、1983年から放映されたチェコスロバキアの近未来テレビドラマ「Návštěvníci (訪問者)」です。SFものだけあって、テクノポップ的世界観にあふれています。このドラマはフランス、西ドイツなどの西側でも放映されました。

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最後に宣伝です!
10月11日(木)19時〜21時、『ヒップホップ東欧』の著者、平井ナタリア恵美さんと共にDOMMUNEに登場します。

昨日は、安井麻人さんが運営するフォノテーク(神戸 元町)で『共産テクノ 東欧編』の出版記念イベントをさせていただきました。

ウォークマンの前に発明されたステレオベルトの科学的解説
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ポーランドのスター、Franek Kimono
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イベント用に「スポーツテクノ」「共産テクノクラート」「共産エロス」「共産クラブミュージック」「共産カヴァー」の5つのテーマで約90分のトークを交えたPV紹介をしました。まだ紹介していない、イベントでも反応がよかったものを復習も兼ねて、ブログでも書いてみます。

「共産エロスって何だ?」と気になった方もおられるかと思いますので、ちょっと解説します。共産エロスとは「ペレストロイカ、ベルリンの壁崩壊…の中、徐々にエロスのタガが外れてくる社会的現象」を指します。

まずは、チェコスロバキアの少女ハイジ(Heidi Janků)です。Heidi & Supernovaとして二十歳でデビューした「Ja Jsem Ja(私は私)」(1982年)は、エレクトロポップ仕様となっています。アルバム『Heidi』のジャケもやんわりセクシーですが、あどけなさが残ります。

Heidi




チェコスロバキアとしての最後の年、10年後となる1992年、ハイジはセクシー路線にまっしぐらとなります。タイトルからしても確信犯的な「Skandal(スキャンダル)」のPVを放ちます。出だしから自分のヌードポスターを貼っています。動画では憧れの裸エプロンです。でも料理なんかしていません。洗車です! でも、洗車の仕方がイマイチ雑なのが気になります。

Heidi




ハイジは現在も歌手、そして芸能界で活躍しています。だてに裸エプロンをしていたわけではありません!2012年には「Intim Night(親密な夜)」という番組の美魔女系司会者をやっていました。人間、時には振り切ることも大事なんですね。


こちらの記事で、ポーランドの電子音楽、エル・ムージカ(El-Muzyka)について書きました。2016年、もう一人の重要なエル・ムージカの先駆者、Władysław Komendarekに会うためにワルシャワ中心部から車で約 1 時間かかるジェラゾヴァ・ヴォラを訪問しました。 この地は、Fryderyk Chopinの生誕地としても知られる聖地で、ショパンの博物館もあります。日本からやってきた見知らぬ男のために、彼と彼の友人たちは最大級の歓迎をしてくれました。ディスコポロについて尋ねた際、みんな口ずさんでくれました(笑)。

Komendarek, Friends


彼はもともとプログレ色が強いExodusというバンドで活動していましたが、1985年にソロの電子音楽家としてデビューします。2枚目のアルバム『Dotyk Chumu (雲のタッチ)』(1987年)からの「Halo Komputer」は、タイトルからもエル・ムージカ的世界観にあふれています。

Dotyk Chumur




ショパンの生誕地に住んでいるだけあって、2011年には『Fryderyk Chopin』というショパンに捧げるアルバムをリリースしています。クラシック、電子音楽にアートロックが融合した独自のショパンの解釈がなされています。また、彼らに会うためにジェラゾヴァ・ヴォラに行きたいです。

Fryderyk Chopin


昨日の「Der Kommissar(秘密警察)」に続いて、80年代懐かしのエレクトロポップとして「Bette Davis Eyes(ベティ・デイビスの瞳)」です。Kim Carnesが歌った作品は、1981年の年間ビルボードチャートで最もヒットした曲とされています。

Kim Carnes




Carnesのはカヴァーで、原曲はJackie DeShannonのアルバム『New Arrangement』(1976年)に収録されています。ハリウッド女優のBette Davisに捧げられたこの曲はシングルカットもされず、この時点ではあまり知られぬこともないアルバムの1曲でした。原曲はR&Bが混じったようなカントリー系ポップソング。これがあの印象的なシンセリフで大ヒットとなるのです。Carnesのヒットを受けて、Bette DavisはCarnes、作者のWeiss & DeShannonに感謝の手紙を書いたという逸話もあります。

Jackie DeShannon




このシンセリフは、スコットランドのエレクトロ系、MYLOの「Into My Arms」(2004年)でもサンプリングされています。なかなか秀逸なサンプリングをする人で、当時、かなりハマりました。

MYLO




割と最近でもKylie Minogueがカヴァーしています。



当時のカヴァーを探ってみましょう。ブラジルのMarta Coracaoによるポルトガル語版「Olhos de Mulher」(1982年)。タイトルは「女の瞳」となり、Bette Davisがただの女になっています。MBPっぽくなっていますね〜。

Marta Coracao




西ドイツのシュラガー系歌手のUte Berlingは「Als Ob Sie Bette Davis War(まるでベティ・デイビスの瞳のように)」としてドイツ語カヴァー。ドイツ語の響きでイメージが変わりますね。

Ute Berling




東ドイツにもあります。オストロックの一角となるSillyによるカヴァー(1982年)。Carnes版に割と忠実です。ちなみにSillyというバンド名にいちゃもんをつけれられて、Familie Sillyと名乗っていた最後のリリース。ハチマキ姿が80年代!

Silly




チェコスロバキアのMarie Rottrovaも「Divka, ktera spi jen tak(そんなに寝る女の子)」(1984年)という全く違うタイトルで歌っています。

Maria Rottrova




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