四方宏明の“音楽世界旅行”〜Around the world

世界中のテクノポップ〜ニューウェイヴ系音楽を紹介。

カテゴリ:共産テクノ > ハンガリー人民共和国

80年代からゲーム音楽とテクノポップは親密な関係にありました。古い記事ですが、YMOとゲーム音楽について書きました。

中田ヤスタカもゲーム音楽に関わったり影響されているふしがあります。

前置きが長くなりましたが、ハンガリーにもゲーム音楽とテクノポップの親密さが伺える曲があります。ハンガリーは内陸国なので、魚雷なんて関係ないはずですが、ハンガリーのテレビで「Torpedó Játék(魚雷ゲーム)」という番組がありました。日本では「海戦ゲーム」とか「軍艦ゲーム」と呼ばれているものです。マス目に複数の軍艦を配置して、二人で対戦するゲームです。昔、やった覚えがあります。それをテレビでやっていたのです。盛り上がったのだろうか、ちょっと心配です。



その番組から派生して、Kati Szabóというグループが1988年に出したシングル『Torpedó(魚雷)』です。思わせぶりにかっこいいイントロからユーロ歌謡みたいになる展開が微笑ましいです。

Torpedo




ハンガリー人に会ったら、魚雷ゲームについて訊いてみたい。

GM49は、ハンガリーで最初にスカ・レゲエ をやったバンドとされています。すでに知名度があったコメディアンのMiklós Gallaが中心となってブダペストで1981年に結成されました。デビューシングルの「Kötöde(編み物)」(1982年)は、当時のツートーン、特にMadnessの流れを組むスカとなっています。



1984年にGalla以外のメンバーは総替えとなり、ロンドンにシンセサイザーを買いに行って、テクノポップ・アルバム『Digitális Majális(デジタル・ピクニック)』を完成させます。その中の問題の1曲が「Kozmikus Alom(コズミック・ドリーム)」です。推測するに本人たちはテクノポップをやろうとしたのですが、余計な個性を強調することで、間違った感じのテクノポップに仕上がっています。メンバーのコスプレとチグハグ感がさらに輪をかけています。

GM49




脱退した元メンバー、Attila Borzaは取材で「大まかに言って、失敗作だった」との言葉を残していますが、その心意気には敬意を表します。

「Der Kommissar(秘密警察)」というニューウェイヴ的ラップ曲をご存知でしょうか? 1981年にオーストリアのFalcoがヨーロッパでヒットさせたのがオリジナル。歌詞で使われたスラングから警察を警戒するコカインについての歌とされていますが、同時に東ドイツのシュタージ(秘密警察)を隠喩しているという説もあります。でもこの時点での日本盤シングルの邦題は「デア・コミッサー」。

Falco




1982年には、英国のAfter The Fireの英語カヴァーは1982年に米国ビルボードチャートで5位にまで食い込み、彼らの最大のヒットとなります。こちらの日本盤シングルで邦題は「秘密警察」となりました。

After The Fire




上記二つほどヒットしなかったものの、それ以外にも「秘密警察」のカヴァーが量産されました。

フランス在住の米国人で俳優でもあるMatthew Gonderによる「Der Kommissar」(1982年)。

Matthew Gonder




ノイエ・ドイチェ・ヴェレ系の女性シンガー、Suzy Andrewsのデビューアルバムに収録された「Der Kommissar」(1982年)。

SuzyAndrews




「Self Control」で有名なLaura Braniganは、歌詞を書き換えて「Deep in the Dark」としてシングルおよびアルバムに収録(1981年)。

Laura Branigan




面白いのが、イタロディスコ系のPink Projectによる「Der Kommissar」とTrioの「Da Da Da」をマッシュアップした(早い!)「Der Da Da Da」(1982年)。

Pink Project




その後もカヴァーをする人たちはいますが、注目に値するのが、ハンガリーのLajos Turiによる「A Felugyelő (ハンガリー語で同じ意味)」(1983年)。「秘密警察」のカヴァーについて書かれた記事は結構ありますが、この曲についてはほとんど語られていません。共産主義国であったハンガリーで、コカインにせよ、秘密警察にせよ、そのような匂いがする歌がリリースできたのは、驚きです。ハンガリーのリベラルな側面が窺える貴重な楽曲とも言えましょう。

LajosTuri




1962年にデビューしたKati Kovacsは、ハンガリーのポップス界で最も有名な歌手と言っても過言でない存在。幅広いジャンルで活躍し、ハンガリーの老舗ロックバンド、Locomotiv GTとも3枚のアルバムを70年代に発表し、東ドイツでも人気がありました。

ソ連でも、アーラ・プガチョワ(Алла Пугачёва)は80年代にテクノ化をしていますが、彼女の場合も然り。日本にもテクノ歌謡というのがありましたが、1980年という早い時期に、10枚目となるテクノ歌謡的アルバム『Tiz (Ten)』を放っています。紹介する「Kerdes Onmagamhoz(A Question To Myself) 」は、Giorgio Moroderからの影響が顕著なかなり本格的なテクノポップとなっています。

Ten




74歳となる現在も健在で、現役として活動しておられます!

明日、9月5日(水)は、TOKYO FMの「TOKYO FM WORLD」(20:00〜21:30)という番組におじゃまして、共産テクノの話をする予定です。radikoでも聴けるみたいです。


今回の『共産テクノ 東欧編』のために色々と調査をした結果、東欧でのテクノポップ元祖と考えられるのは、Fonográfというバンドによる「Tanzmaschine(ダンスマシーン)」という曲です。ちなみに以前紹介した「Popcorn」のカヴァーなどはカウントしていません。ハンガリーのバンドなのに東ドイツで1975年にAmigaからリリースされたシングルです。「テクノポップ」と言いましたが、クラウトロックに多少なりとも影響を受けた電子音を駆使したサイケデリックロック風と言った方が適切かもしれません。ちょっと言い訳多くてすいません。でも、『Autobahn』(1974年)の翌年と考えると先進的と言えましょう。

tanzmaschine


Tanzmaschine (instrumental) [MP3 ダウンロード]



ちなみこのバンド、テクノポップと呼べそうなのはこの曲のみで、気まぐれのようです。カップリングの「Es Tut Mir Leid(ごめんなさい)」は、カントリーロックです。1980年には『Country & Eastern』というタイトルのアルバムをリリースしています。

『共産テクノ 東欧編』で扱った4ヶ国の中で最も開かれた共産主義国家は、ハンガリーでした。ニュートン・ファミリーという名前を聞いて、聞き覚えがあるそこそこの年配の人もいるのではないでしょうか? 本国ハンガリー以外で特に成功したのは日本と当時まだハンガリーとは国交がなかった韓国でした。 ニュートン・ファミリーについては課外活動の方が面白いのですが、メンバーのEva Csepregiはゴルバチョフを褒めまくる『O.K. Gorbacsov(Clap Your Hands For Michael Gorbatsjov)』を1988年に発表します。ちょっとThe Art Of Noiseっぽい。
O.K. Gorbacsov


O.K. Gorbacsov [MP3 ダウンロード]



彼女は、あのミュンヘンディスコのDschinghis Khanのメンバー、Leslie MandokiとEva And Leslieとしてコラボレーションを行いました。実は、Leslieは1975 年にミュンヘンに渡ったハンガリー人です。1988年のソウルオリンピック記念シングルとして『KOREA』(1987年)を発表しました。 韓国民謡の「アリラン」から始まるイタロディスコ的サウンドとなっています。
Korea


Korea (Hungarian Version) [feat. Leslie Mandoki] [Song for the Olympic Games '88 in Seoul] [MP3 ダウンロード]



この曲を知っている人、もしかすると、少女隊のファンもしくはかなりのアイドル通かもしれません。少女隊は「KOREA」のカヴァーを日本と韓国でリリースしています。「少女隊は韓国のテレビ放送で初めて日本の歌を歌った歌手であり、韓国でも人気があった」とのことです。
Korea


KOREA (日本語バージョン) [MP3 ダウンロード]


ハンガリーでPanta Rheiというバンドが1974年に結成されました。クラシック風味もあるプログレ系に分類できますが、ジャズロック的な要素も強く、シングルとしてリリースされた「Mandarin」という曲は、テクノ、ファンクそしてフュージョンが混ざったような初期のテクノポップ的な風合いが感じられます。こちらは、彼らの1979年にテレビでの演奏。



このPanta Rhei、1983年に突然、P.R. Computerと改名し、さらにテクノポップ化を推し進めます。デビュー作となった『P.R. Computer』は8万枚程度のヒット作となりました。

P.R.Computer



このアルバムは単なるリリースではなく、メンバーの一人、物理学者でもあるAndras Szalayが開発した「Muzix 81」をデモンストレーションするための広告塔でもありました。流石、理数系に強いハンガリーです。「Muzix 81」は、正確にはホームコンピュータ「Sinclair ZX81」に繋がれたシークエンサー、エフェクトプロセッサー、サンプラーを兼ね備えたシステムです。約300台が生産され、彼ら以外の楽曲制作にも使用された。Boney Mが使うという話もあったらしい。

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