四方宏明の“音楽世界旅行”〜Around the world

世界中のテクノポップ〜ニューウェイヴ系音楽を紹介。

カテゴリ: Rare Wave

2023年11月にロス近郊のハンティントン・ビーチで開催されたDarker Wave Festivalに行った際、最後に現れたのは、Roland OrzabalとCurt SmithからなるTears For Fearsでした。彼らの代表曲「Everybody Wants to Rule the World」「Shout」を含んだ2ndアルバム『Songs From The Big Chair』(1985年)は、全世界でヒットし、米国1位、英国1位、日本でさえ13位にまでチャートインしました。また、当時はRoland、CurtにIan Stanley、Manny Eliasが加わった4人組でした。ニューウェイヴというよりも内省的だけどメインストリームなエレクトロポップというのが、当時のイメージでした。

RolandとCurtは1978年にGraduateというモッズ系バンドを彼らの地元バースで結成します。バンド名の由来は、デビュー前に映画『卒業(The Graduate)』で使われたSimon and Garfunkelの「Mrs. Robinson」のカヴァーでライヴを始めていたことからです。ジャケ写を見ていただくと納得がいくと思いますが、髪型も服装もモッズでキメています。見た目はThe Jamに近いですが、Rolandが楽曲を手掛けていることから、パワーポップ的なモッズです。こちらは彼らの唯一のアルバムのタイトルにもなっている「Acting My Age」です。
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Graduate - Acting My Age


Graduateは2トーンでもスカ系バンドでもありませんが、この「Elvis Should Play Ska」はタイトルが示すようにスカです。モッズ+パワーポップ+スカ的要素が見事に調和しており、彼らにとっては最大のヒット曲(英国82位、スペイン10位)となりました。Elvis Costello好きにもうけそうです。他にもスカ要素がある「Dancing Night」など、1980年は、The Specialsなどの2トーンにまだ勢いもあり、その影響もあったのでしょう。
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Graduate - Elvis Should Play Ska


Apple MusicでGraduateの全楽曲を収録した『Acting My Age』が聴けます。


Graduateを抜けたRolandとCurtは、Pete ByrneとRob FIsherが結成した同郷のバンド、Neonに加入します。1980年にシングル『Making Waves』、1981年に『Communication Without Sound』をリリースしましたが、その後RolandとCurtとTears For Fears、PeteとRobはNaked Eyesとしてそれぞれ大成功を収めました。Neon時代のシングル曲は、Naked Eyesのレアトラックを集めたCD『Everything And More』に後に収録されています。ジャケ写は『Making Waves』ですが、4曲の中では『Communication Without Sound』のB面「Remote Control」がお勧めです。また、ここではTony Mansfieldのミックスの「Always Something There To Remind Me」「Promises, Promises」も収録されています。Apple Musicでも聴けます。
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Neon - Remote Control (YouTube)


川崎レジデンツさんが主催する2月8日のStrange Lounge〈エレポップ特集〉で2曲目にかけたのが、JULLANの12インチ・シングル『Rouge Train Express』(1985年)に収録された「Rouge Train Express」。僕の選曲はイギリス勢中心でしたが、和製エレポップの代表としてJULLANをかけました。Kraftwerkの「Autobahn」ネタをぶっ込んでいる9分を超える超大作です。幸い、小暮秀夫さんが「これは気分が上がった!」「自分もイベントでしつこくJULLANをかけてきた」「JULLANはエレポップだよね〜」と言ってくれて、JULLANのおかげで意気投合しました。

JULLAN - Rouge Train Express (1985年)


そんなJULLANですが、Wikipediaにもちゃんとしたページはなく、ネット上にも限られた情報しか存在せず、この場でできる限り、JULLANの謎を解き明かしたいと思います(人物名については敬称略)。
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JULLANとはいったい誰なのか?
アルバムや雑誌でも全て大文字になっており、Jullanではなく、JULLANと表記します。僕の世代だと、「ウルトラQ」に出てきた吸血巨大植物ジュラン(ジュラン属という植物の属名があります)を思い浮かべますが、こちらの英語のスペルは「Juran」なので、ちょっと違いますね。雑誌の取材記事から察するに、聴きやすく、覚えやすいグループを選んだだけで、深い意味はないそうです。

メンバーは当時はまだ大学生だったHiroshi(1960年生まれ)とAtsushi(1962年生まれ)。二人は一橋大学軽音楽部で出会い、JULLANを結成。POP ACADEMYをやっていた頃に、メンバーの一人と同級生だったという人からメールをもらい、「一橋大学に進学して、在学中にユニットを組んで、コーセーのCMでJULLANの曲が流れたので同級生の間でも話題になった」との情報をいただきました。取材でもAtsushiは「ミュージシャンやりながらも僕達は大学だけは出ておきたい」と答えています。

彼らについてはデモテープに纏わる逸話があります。一つは、メロディーメーカー誌にデモテープを送ったところ、いい反応を得たということ。彼らの1stアルバムの『Imaginary Doll』(1984年)の帯にも「英国の音楽誌“メロディーメーカー”も絶賛」と書かれています。また、彼らが英国を訪れたとき会ったBoy Georgeが「JULLANこそが日本から世界に飛び立つグループだ」と賛辞を送ったという話もあります。

もう一つは、1983年11月8日の坂本龍一の「サウンドストリート」内のデモテープ特集で、「Electric Day」のデモ版が紹介され、「Rolandの機材を完璧に使いこなしているって感じで、それなりにアレンジもできていますしね。コーラスでサビで厚みをつけるとことか…多重録音もSN比がなかなか良くて。機材を与えれば、LPなんか作れちゃうわけで。レコード会社がトレードしたらいいじゃないですか」と、高評価を得ました。また、この時点ではバンド形態するためメンバー募集をしていました。

JULLAN - Electric Day〈サウンドストリートDemo Version〉 (1983年)


メロディーメーカー誌へのデモテープの反響が実際にどの程度であったかは推測の域を超えませんが、JULLANはBlush Recordsという英国のインディー・レーベルのニューウェイヴ系コンピレーション『Blush On Black』に収録され、海外での爪痕を残しています。ほとんどはマイナーなアーティストですが、高橋幸宏とも親交があったニュージーランド出身のZaine Griffやオーストラリア出身のDuffoも参加しています。Soundcloudに日本で発表されたアレンジとは違う「Imaginary Doll」の音源があります。
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Imaginary Doll (Soundcloud)

二人の多重録音から始まったユニットということから、スタジオ中心の活動でしたが、1984年9月から全国5ヶ所初ライブを行っています。一風堂で活動してきた見岳章(Key.)、藤井章司(Dr.)に加えて小池ヒロミチ(Bass)となかなか豪華なミュージシャンのサポートでした。ちなみに初めの二人は2ndアルバム『Electromance』からサポートをしています。このライブを観た人はいるのかなと思ったら、YouTubeにライブ音源が上がっていました。1984年9月26日に九段会館で行われたライブと推測されます。

JULLAN - Imaginary Doll〈Live〉 (1984年)


JULLANはエレポップなのか?
取材記事における彼らの発言からも、彼らがエレクトロポップ指向であったことが窺えます。「“テクノ”というよりも“エレクトロサウンド”の方ではないかな(Hiroshi)」「テクノっていうと音楽的には機械的な音を中心にもってきたという感じがしますよね。…それよりも、メロディ中心の曲を今風の音で包み込んだという感じですね(Atsushi)」とテクノポップとは一定の距離をとっています。また、多くの楽曲は英語で歌われており、「日本的とか、東洋的なということではなくて海外のバンドと同次元での評価が得られたことで、やっていけるという自信ができたというか。まあ、Depeche Modeなんかにも負けていないじゃなだろうかみたいな(笑)(Hiroshi)」といった海外、特に英国指向と取れる発言もあります。こちらは2ndアルバム『Electromance』のB1の収録の「To Be Or Not To Be」ですが、明らかにFrankie Goes To Holllywoodの「Relax」を意識したサウンドとなっています。

JULLAN - To Be Or Not To Be (1984年)


JULLANの幻のシングル
しかしながら、3rdシングル『Rouge Train』(1985年)のリリース時には、Atsushiは学業に専念するために脱退し、代わりにTadashiが加わります。クレジットがないのですが、7インチシングルのジャケに写っているのは、Tadashi(左)とHiroshi(右)だと思われます。これは2ndシングル『Because Of Love』に続く、コーセー化粧品のCMタイアップ曲で、春のキャンペーンなので発売は1985年の春と考えられ、その後、3rdアルバム『Pulse』(1985年)が最後の作品となりました。サンプラーを多用し、哀愁のエレクトロポップ路線からThe Art Of Noiseの影響も窺えるリズム重視の意欲作となっています。和製Art Of Noiseと呼ぶ人もいる3dl (San-Decilitre)が登場するのが1987年ですから、JULLANは2年早かったのです。きっと「Pulse(衝撃波)」という名前にもこのサウンドの進化に対する意味が込められているのでしょう。

冒頭で書いた12インチの『Rouge Train Express』のB面、アルバム『Pulse』にも収録されている「Love Somebody」という曲がありますが、当時のリリース情報としてシングル『Love Somebody』のリリースの告知もあったようです。しかし、実物を持っている人、見たことがある人はおらず、実際にリリースされたかは怪しいです。また、すでに12インチとアルバムに収録されていることからも、その価値も微妙です。

解散後のJULLAN
宗次郎によるNHK特集「大黄河」のサントラ・アルバム『大黄河』(1986年)の共同作編曲にHiroshiと思われる人がクレジットされています。リリース元はJULLANと同じSound Design Recordsなのでほぼ間違いないでしょう。しかしながら、それ以上の情報は見つかりませんでした。ちなみにSound Design Recordsからは、他にも元Filmsの岩崎工(Takumi名義)や喜多郎がリリースされていました。

Hiroshiのその後については情報がありませんが、Atsushiは、国際政治学者の道を歩み、現在は某大学の大学副学長として活躍されています。音楽とアカデミアでの両方の才能を持たれていたんですね。

謎の『The Very Best of JULLAN』
鳴り物入りでデビューし、CMタイアップ曲も発表したJULLANですが、シングルはオリコンで100位以内に入らない結果となってしまいました。チャートインできなかったものの、JULLANの果敢なチャレンジには敬意を払いたいと思います。JULLANのディスコグラフィは以下となります。

Albums:
Imaginary Doll (1984年)
Electromance (1984年)
Pulse (1985年)

Singles:
Imaginary Doll (1984年)
Because Of Love (1984年) オリコン143位、コーセー秋のキャンペーン・BE・イメージソング
Because Of Love (Long & English Version-Because Mix!) (1984年) 12”シングル、50000枚限定
Rouge Train (1985年) オリコン147位、コーセー化粧品春のキャンペーン・BE紅・イメージソング
Rouge Train Express (Long & English Version Of Rouge Train) (1985年) 12"シングル
Love Somebody (1985年) 告知後、未発売になったと推測

Jullanの再発は今までされたことがないと思っていました。しかしながら、Discogsでチェックしてみると、2018年と2022年に『The Very Best of JULLAN』というCDが香港のAvex Asiaから何とリリースされているではないですか!?所有している人はいるようですが、「このリリースはDiscogsでの販売がブロックされています。マーケットプレイスでの販売は禁止されています」という注意書きがあります。なぜ香港でリリースがされて、Discogsで販売が禁止されているのか、謎です。Avex Asiaという会社は確かに存在しますが、実際の発売元かも怪しく、ブートレグの疑惑もあります。配信音源もない中、CD化自体はいいのですが、「The Very Best」という割には3rdアルバム『Pulse』の曲と「Because Of Love」「Rouge Train」といったシングル収録曲は含まれておらず、やっつけ仕事的な選曲をしており、「僕に選曲させてよ」と言いたくなる内容ではあります。中途半端なCDはいいから、配信して欲しいです。もし中古レコード屋でJULLANを見つけたら、この記事を思い出して、手に取って下さい。

JULLAN - The Very Best of JULLAN (Discogs)

Shock解散後の話をします。Shockの中心メンバーだったパントマイマーのTim DryとSean Crawfordは、Tik & Tokと名乗り、Survival Recordsから1stシングル『Summer In The City』をリリースします。こちらは、Tik & Tok名義で唯一の日本盤シングル。「Angel Face」と同様にこちらもカヴァー曲(オリジナルはThe Lovin' Spoonful)です。プロデューサーは、Peter Godwin。彼のバンド、Metroの「Criminal World」はDavid Bowieもカヴァーしました。

Tik & Tok - Summer In The City(1982年)
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2ndシングル『Cool Running』後にリリースされたのが、『Screen Me I'm Yours』。YouTubeではShock名義でShockのもう一人のパントマイマーだったBarbie Wildeがその動画をアップロードしていることから、Richard Burgessが書いたこの曲はShock時代からの持ち曲だったようです。作風もShockです。このシングルのアートワークは、日本盤の『Summer In The City』とほぼ同じなので、間違えないように。

Tik & Tok - Screen Me I'm Yours(1984年)
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この3rd、4th「Everything Will Change」、5th「Higher Ground」を収録したアルバムが『Intolerance』。ShockのメンバーだったBarbieもバックボーカルで参加しているので、仲違いをしたようではないみたいですね。特筆すべきは、Garyのツアーサポートもしていた縁で、Gary NumanがA3「Show Me Something Real」とB4「A Child With The Ghost」でシンセサイザーで参加し、B4はGaryの提供曲です。また、Garyと縁の深いRussell Bell(Dramatis)も参加しています。歌舞伎風のアートワークといい、B1「Intolerance」では薬師如来というクレジットの琴演奏者によるインストルメンタル曲といい、日本の影響が窺えます。

Tik & Tok - Intolerance(1984年)
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ちなみにRusselはXでのGaryたちが映ったツィート画像にコメントしています。

Carole Caplin, Gary, Jane Kahn and Sean from Tik & Tok (X)

TikことTim Dryは90年代終盤に僕のサイト、POP ACADEMYを見つけて、以下のメールをくれました。当時にBlitzシーンの様子、YMO、日本文化への興味などを語ってくれました。1982年は来日もしており、ニューロマンティックな装いの日本人が案内をしてくれたそうです。一体誰だったのか、とても気になります。

ロンドンでは1979年から1980年にかけてRusty Eganが始めたBlitzシーンがありました。彼は、初期のDavid BowieやRoxy Music、Kraftwerkなどを流すクラブを運営していました。徐々にこのクラブに訪れる人たちが増え始めました。なぜなら、そこで流れる音楽は、他の場所で流れるものとは全く異なっていたからです。Rustyは、Steve Strangeと名乗る若者をドアマンとして雇い、彼は珍しい格好や華やかな格好をした人々だけをクラブに入れるようにしていました。

約1年後、クラブの人気が高まったため、もっと大きなクラブを探さなければならなくなりました(人々は、たとえ一晩だけでも、退屈で平凡な日常から逃れる必要があるのです!)。新しいクラブは、コベント・ガーデンにあるワインバーで、Blitzと名付けられました。美しい女性のような見た目をした若者が、クローク係として働いていました。彼はBoy Georgeでした!

このシーンは小さく、この時点でロンドンにしかなかったので、みんながお互いを知っていました。ShockはBlitzで演奏し、UltravoxのMidge UreとBilly Currie、間もなくSpandau Balletとなる少年たちなど、多くの人々の前でパフォーマンスをしました。この時、Tik & TokはまだShockの一部で、Ultravoxのために1つのビデオを制作しました。また、Simon Le Bonの彼女だったJane Kahnが私たちの服を作っていたため、Duran Duranとも知り合いでした!

音楽を作る人々は、ヨーロッパの音楽に大きな影響を受けていました。なぜなら、それはより堕落してロマンチックな時代を反映しているように思えたからです。ShockはCabaret Voltaire、Fad Gadget、Talking Heads、自分たち独自のものと同様にYellow Magic Orchestraを自分たちの曲の一部に使っていました。

Shockが解散した後、Tik & Tokはますます日本の文化に興味を持ち始め、1982年には、東京で大規模なヘアエキシビションのパフォーマンスと振り付けを行うために来日しました。私たちは、古い文化、侍の伝統、そして同時に存在する非常にハイテクで未来的な社会という、興奮するような文化の混在を愛しました。私たちは、人々の礼儀正しさ、優雅さ、そしてエレガンスに感銘を受けました。それは、未来を訪れるようなものでした!

私たちは、衣装やステージショーに日本の影響を多く取り入れて帰国しました。私たちは、能や歌舞伎の要素を使用し、山海塾という素晴らしい舞踏団を見て感銘を受けました。また、私たちはオープニングのパフォーマンスをロボットのスタイルから忍者に変更しました。さらに、私たちは感激のローランドSH 101シンセも持ち帰りました。若い日本人が西洋のポップ音楽や文化を取り入れながら、自国の文化にも誇りを持ち、意識していることを見るのは非常に興味深いことでした。

Tik & Tokが東京にいた時、私たちを案内してくれる日本人の友人がいました。彼は、黒い1960年代のロンドンタクシーで私たちを運転し、Jane Kahnのニューロマンティックな服を着ていました!もちろんYMOが好きでしたが、何よりも坂本龍一のソロが気に入りました。そしてSandii & The Sansetzも! 彼女は非常にセクシーで魅力的でした!

そして、日本食や美しい女性たちも素晴らしかったです!


Tikが書いたオリジナルの英語の文章は、POP ACADEMYに掲載後、Tik & Tokの公式サイトに今も掲載されています。

The Blitz And Japan (Tik And Tok)

Discogsでも関連付けられていないのですが、TikはTony Lewis(Aphroditeというパンク・バンドにいたBeki Bondageをプロデュース)と組んで、The Wang Bros.名義でThe Beatlesの「While My Guitar Gently Weeps」をニューウェイヴ風カヴァーしています。残念ながら、プロモーションされずに鳴かず飛ばずだったと、YouTubeでTikはぼやいています。

The Wang Bros. - While My Guitar Gently Weeps(1985年)
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Tik & Tokのリリース元、Survival Recordsは他にもマイナー系エレクトロポップ・アーティストの宝庫となっているので、Rare Waveとしてさらに掘っていきます。

昨年から長らく放置状態だったアナログ盤を聴き直したり、新たに買い集めたりしています。色々調べ直してみると面白い発見もあったりするので、ここで比較的レアなアーティストや楽曲を中心に順次紹介していきます。第1回はShock。アルバムも出さず、日本盤も出ないままに、消滅したので、日本での知名度は低いですが、ニューロマンティックのエッセンスが詰まったパフォーマンス集団です。

こちら、彼らの1stシングル『Angel Face』のジャケです(所有しているのはアートワークなしの12"シングルで、こちらは7"シングル)。

Shock - Angel Face (1980年)
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左から、LA Richards、Robert Pereno、Tim Dry(ピエロみたいな人)、Barbie Wilde、Sean Crawford、Karen Sparksです。PVを見るとわかってもらえると思いますが、男女ともいい意味でケバい。彼らの衣装はDuran Duranなどの衣装を手掛けたKahn & Bellによるもの。3人のパントマイマーと3人のディスコダンス・チャンピオンがやっているのでビジュアル的にも映えます。サウンドは、ニューロマンティックの仕掛け人的存在のRichard Burgess(Landscape)とRusty Egan(Rich Kids、Visage)が手掛けているだけあって、スピード感にあふれています。



これがカヴァーだと気づく人は相当のグラムロック・マニア。「Angel Face」のオリジナルは、Gary GlitterのバックバンドだったThe Glitter Band。70年代サウンドが80年代サウンドになるとどう変わるかが感じ取れます。

The Glitter Band - Angel Face(1974年)
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カップリングの「R.E.R.B.」はかっこいいインストルメンタルですが、タイトルは曲を書いたRusty EaganとRichard Burgessの頭文字。Shockの作品というよりも二人の作品ですね。

最後の作品となった2ndシングル『Dynamo Beat』では、RobertとKarenが抜け、Carole Caplinが加わって、ドラキュラ伯爵とロボット男、中世風ゴシック嬢が入り乱れるホラー映画の様相となっています。ちなみにAdam Antとも浮名を流したCaroleは、後にTony Blair首相のフィットネス・アドバイザー、Cherie Blair夫人のスタイル・アドバイザーとなります。

Shock - Dynamo Beat(1981年)
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デジタル音源があるかと探してみると、Rusty Eganが手掛けた『Blitzed』というニューロマンティックの舞台となったクラブ、Blitzを描いたSky Artsのドキュメンタリー用に作られたコンピレーションにShockの「Angel Face」「R.E.R.B.」「Dream Games」(「Dynamo Beat」のB面)が収録されています。Apple MusicやSpotify、Amazon Musicでも聴けます。

Rusty Egan Presents; Blitzed(2022年)
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ドキュメンタリーのトレイラーは見れますが、日本でフルで見ることはできないのが、残念です。

Blitzed Trailer


RUSTY EGAN: The Blitzed Interview (ELECTRICITY CLUB)

Shock解散後のメンバーの動向については続編で!

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