先生:ハルメンズ→8 1/2→野宮真貴と行きましたが、ここではハルメンズにも関連するゲルニカについて語り合いましょう。
ポール:とりあえずメンバー紹介させていただきます。まずヴォーカルの戸川純さん。当時は女優のタマゴで8 1/2のファン。自ら作った上野耕路氏のファンクラブのただひとりの会員でした。ハルメンズが解散し、予定していたPhewのプロデュースも坂本教授に奪われ、さてこれからどうしようと思っていた時、久保田慎吾氏に聞かされたテープに入っていた、戸川さんが歌う「蘇州夜曲」に衝撃を受け、戸川さんをこのユニットに誘った張本人、上野耕路氏。作曲とすべての演奏を担当。そして、作詞とアートワーク、あとコンセプトメーカー的な役割も担っていたと思われる太田螢一氏の3人。太田氏の名前で思い出すのは、坂本教授が「サウンドストリート」で「オオタキ・エイイチじゃないですよ、オオタ・ケイイチですからね」と言っていたことですね。妙に耳に残ってます。
先生:ポールさん、記憶めちゃくちゃいいですね! ゲルニカの動画を探してみたんですが、結構出てきます。高橋幸宏・細野晴臣両氏がゲルニカを紹介するという貴重な動画があります。これはゲルニカとして初TV出演だったようで、戸川純ちゃん以上に上野耕路氏がどう見ても挙動不審。「蘇州夜曲」をちょっとだけやって、「復興の唄」へと・・・いや、戦後を思い出します。
ポール:この番組、リアルタイムで見てましたよ。たしか同じ番組でホストが違う回もあったと思うんですが、そっちは盛り上がってるんですよ、普通にワーッて。でも細野さんと幸宏氏のときは、客席が妙に静かで、異様な雰囲気でした。正直、見ててつらかったような記憶があります。というか、どう受け止めていいかわからなかったのかもしれないですね。笑っていいのかいけないのか。ギャグっぽいことやっても、ドッとウケるわけでもないし、ドヨドヨ〜…と周りを気にしつつ笑う感じというか。誰かが「YMOのライヴは職員室に行く感じ」と言ってた人がいましたが、それに近いのかもしれない。上野氏のしゃべり方は、『音版ビックリハウス ウルトラサイケビックリパーティー』のときと一緒ですね。あれは作ったキャラじゃなかったんだな。
先生:現在、ゲルニカのカヴァーした「蘇州夜曲」は、CD Box『GUERNICA IN MEMORIA FUTURI 〜ゲルニカ20周年記念完全盤〜』(2002年)に収録されていますが、このBoxは家宝にしたいです。ゲルニカの3枚のアルバム『改造への躍動』(1982年、)『新世紀への運河』(1988年)、『電離層からの眼差し』(1989年)に未発表音源も含めたまさにゲルニカの集大成です。
GUERNICA IN MEMORIA FUTURI~ゲルニカ20周年記念盤~
アーティスト:ゲルニカ
販売元:インペリアルレコード
(2002-12-04)
販売元:Amazon.co.jp
クチコミを見る
ポール:僕の持ってるのは、もうプラケースになってる再プレス盤のやつでした。それでも入手困難でしたね。ライヴとかデモ音源とかリハーサル音源まで入ってて、素晴らしいですね。
先生:これが出る前、「蘇州夜曲」聴きたさにCRAGALE RECORDSからの『NEO POPS 1982』というCD(CD-R)を買いました。これは夢音で行われたライヴ録音テープをCD-R化したもので、トイレットペーパーのパッケージがジャケです(笑)。

ポール:あの三軒茶屋のインディーズ系レコード屋、FUJIYAMAのページに載ってますね。
先生:シングルになった『銀輪は唄う』はちゃんとPVもあるんですね。当時、見た覚えがないのですが、作詞作曲編曲、演奏、歌唱、映像、全てにおいて完璧と言える作品だと思います。ただ、懐メロっぽい曲を作ってみたとかいうレベルではなく、聴く者を時代に吸い込む力がありますね。

ポール:このシングル、最初に聞いたときは「あれ、シンセじゃないのか〜」と、ちょっとガッカリした覚えがありますね。でも、今でもデモテープをそのままレコード化してしまった『改造への躍動』(歌は録音し直してあるそうです)に対して、「やっぱり新録したかった」と言う上野氏が、本当にやりたかったことはこっちなんでしょうね。よく神保町に行く自分にとっては、B面「マロニエ読本」のほうが好きだったりします。歌詞がまたいいんですよ。
先生:この曲が使用された「スイートキッス」のCMは見覚えがあります。ゲルニカのようなマニアックな志向のユニットがCMに使われたのは画期的です。この時代、セブンアップ飲料という会社名ですね。
ポール:これ、リアルタイムでは見た覚えがないんです。ただ、¥ENレーベルのファンクラブ「¥EN友会」に入ってまして、そのファンクラブのイベントで¥ENひるがた会(¥ENゆうがた会に当選しなかった人たちのための追加公演)ていうのがあったんですよ。そこでビデオ上映会があって、そのとき初めて見たような記憶がありますね。上野氏のアップのとき、客席で笑いが起こってました。
先生:ゲルニカの3枚のアルバム、やはり、¥ENからリリースされた1st『改造への躍動』が時代的にもテクノ度一番高いですね。2nd以降のオーケストラ・アレンジも好きですが・・・
改造への躍動(紙ジャケット仕様)
アーティスト:ゲルニカ
販売元:Sony Music Direct
(2006-02-22)
販売元:Amazon.co.jp
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ポール:『改造への躍動』は、リアルタイムで買いましたよ。でも当時小学5年生ぐらいで、何だかよくわからなかったんです。前例がなかったですし。でも抵抗もなかったですけどね。「カフェ・ド・サヰコ」はテクノっぽくてすぐ好きになりましたね。しかし、1stをリリースした1982年当時の3人の年齢、戸川さんが21歳、上野氏が22歳、太田氏が25歳、ってなんなんでしょう。上野氏はもっと年上かと思ってたんですけど、戸川さんのひとつ上だったんですね。22歳であんなものすごい曲書いてたなんて、とんでもないっスねぇ。2ndと3rdも濃くて好きですけど、思い入れも含めて1stがいちばん好きですね。
先生:ゲルニカって、大好きなんですけど、同時に聴き過ぎると、精神的にふっと落ち込んでしまいそうな魔力がありますね。「潜水艦」とか(笑)。当然、それも含めてゲルニカの良さだと思うんですけど。
ポール:2ndと3rdは特に、鑑賞するような感じでかしこまって聴いちゃうような、堅苦しさがありますね。1stとの違いはなんなんでしょうね。戸川さんがうまくなりすぎたからかな?
先生:最後に、ゲルニカの公式サイトを紹介しておきます。太田螢一氏のアートワークも含め、カッコいいサイトです。
ポール:おぉ。「サウンドール」に載ってた太田氏の連載漫画を思い出しますね。いやー、好きですね、太田氏の気持ち悪良いイラストは。ヒカシューの『うわさの人類』とか、少年ホームランズ『少年ホームランズ』、やぎ『IL NEIGE』それぞれのジャケ、みんな好きです。一度見たら頭から離れないインパクト。戸川さんがゲルニカに対して「まったく後継者がいない」と言ってましたけど、太田さんの画風もそうですよね。まったく独特。
ポール:とりあえずメンバー紹介させていただきます。まずヴォーカルの戸川純さん。当時は女優のタマゴで8 1/2のファン。自ら作った上野耕路氏のファンクラブのただひとりの会員でした。ハルメンズが解散し、予定していたPhewのプロデュースも坂本教授に奪われ、さてこれからどうしようと思っていた時、久保田慎吾氏に聞かされたテープに入っていた、戸川さんが歌う「蘇州夜曲」に衝撃を受け、戸川さんをこのユニットに誘った張本人、上野耕路氏。作曲とすべての演奏を担当。そして、作詞とアートワーク、あとコンセプトメーカー的な役割も担っていたと思われる太田螢一氏の3人。太田氏の名前で思い出すのは、坂本教授が「サウンドストリート」で「オオタキ・エイイチじゃないですよ、オオタ・ケイイチですからね」と言っていたことですね。妙に耳に残ってます。
先生:ポールさん、記憶めちゃくちゃいいですね! ゲルニカの動画を探してみたんですが、結構出てきます。高橋幸宏・細野晴臣両氏がゲルニカを紹介するという貴重な動画があります。これはゲルニカとして初TV出演だったようで、戸川純ちゃん以上に上野耕路氏がどう見ても挙動不審。「蘇州夜曲」をちょっとだけやって、「復興の唄」へと・・・いや、戦後を思い出します。
ポール:この番組、リアルタイムで見てましたよ。たしか同じ番組でホストが違う回もあったと思うんですが、そっちは盛り上がってるんですよ、普通にワーッて。でも細野さんと幸宏氏のときは、客席が妙に静かで、異様な雰囲気でした。正直、見ててつらかったような記憶があります。というか、どう受け止めていいかわからなかったのかもしれないですね。笑っていいのかいけないのか。ギャグっぽいことやっても、ドッとウケるわけでもないし、ドヨドヨ〜…と周りを気にしつつ笑う感じというか。誰かが「YMOのライヴは職員室に行く感じ」と言ってた人がいましたが、それに近いのかもしれない。上野氏のしゃべり方は、『音版ビックリハウス ウルトラサイケビックリパーティー』のときと一緒ですね。あれは作ったキャラじゃなかったんだな。
先生:現在、ゲルニカのカヴァーした「蘇州夜曲」は、CD Box『GUERNICA IN MEMORIA FUTURI 〜ゲルニカ20周年記念完全盤〜』(2002年)に収録されていますが、このBoxは家宝にしたいです。ゲルニカの3枚のアルバム『改造への躍動』(1982年、)『新世紀への運河』(1988年)、『電離層からの眼差し』(1989年)に未発表音源も含めたまさにゲルニカの集大成です。

アーティスト:ゲルニカ
販売元:インペリアルレコード
(2002-12-04)
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ポール:僕の持ってるのは、もうプラケースになってる再プレス盤のやつでした。それでも入手困難でしたね。ライヴとかデモ音源とかリハーサル音源まで入ってて、素晴らしいですね。
先生:これが出る前、「蘇州夜曲」聴きたさにCRAGALE RECORDSからの『NEO POPS 1982』というCD(CD-R)を買いました。これは夢音で行われたライヴ録音テープをCD-R化したもので、トイレットペーパーのパッケージがジャケです(笑)。

ポール:あの三軒茶屋のインディーズ系レコード屋、FUJIYAMAのページに載ってますね。
先生:シングルになった『銀輪は唄う』はちゃんとPVもあるんですね。当時、見た覚えがないのですが、作詞作曲編曲、演奏、歌唱、映像、全てにおいて完璧と言える作品だと思います。ただ、懐メロっぽい曲を作ってみたとかいうレベルではなく、聴く者を時代に吸い込む力がありますね。

ポール:このシングル、最初に聞いたときは「あれ、シンセじゃないのか〜」と、ちょっとガッカリした覚えがありますね。でも、今でもデモテープをそのままレコード化してしまった『改造への躍動』(歌は録音し直してあるそうです)に対して、「やっぱり新録したかった」と言う上野氏が、本当にやりたかったことはこっちなんでしょうね。よく神保町に行く自分にとっては、B面「マロニエ読本」のほうが好きだったりします。歌詞がまたいいんですよ。
先生:この曲が使用された「スイートキッス」のCMは見覚えがあります。ゲルニカのようなマニアックな志向のユニットがCMに使われたのは画期的です。この時代、セブンアップ飲料という会社名ですね。
ポール:これ、リアルタイムでは見た覚えがないんです。ただ、¥ENレーベルのファンクラブ「¥EN友会」に入ってまして、そのファンクラブのイベントで¥ENひるがた会(¥ENゆうがた会に当選しなかった人たちのための追加公演)ていうのがあったんですよ。そこでビデオ上映会があって、そのとき初めて見たような記憶がありますね。上野氏のアップのとき、客席で笑いが起こってました。
先生:ゲルニカの3枚のアルバム、やはり、¥ENからリリースされた1st『改造への躍動』が時代的にもテクノ度一番高いですね。2nd以降のオーケストラ・アレンジも好きですが・・・

アーティスト:ゲルニカ
販売元:Sony Music Direct
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ポール:『改造への躍動』は、リアルタイムで買いましたよ。でも当時小学5年生ぐらいで、何だかよくわからなかったんです。前例がなかったですし。でも抵抗もなかったですけどね。「カフェ・ド・サヰコ」はテクノっぽくてすぐ好きになりましたね。しかし、1stをリリースした1982年当時の3人の年齢、戸川さんが21歳、上野氏が22歳、太田氏が25歳、ってなんなんでしょう。上野氏はもっと年上かと思ってたんですけど、戸川さんのひとつ上だったんですね。22歳であんなものすごい曲書いてたなんて、とんでもないっスねぇ。2ndと3rdも濃くて好きですけど、思い入れも含めて1stがいちばん好きですね。
先生:ゲルニカって、大好きなんですけど、同時に聴き過ぎると、精神的にふっと落ち込んでしまいそうな魔力がありますね。「潜水艦」とか(笑)。当然、それも含めてゲルニカの良さだと思うんですけど。
ポール:2ndと3rdは特に、鑑賞するような感じでかしこまって聴いちゃうような、堅苦しさがありますね。1stとの違いはなんなんでしょうね。戸川さんがうまくなりすぎたからかな?
先生:最後に、ゲルニカの公式サイトを紹介しておきます。太田螢一氏のアートワークも含め、カッコいいサイトです。
ポール:おぉ。「サウンドール」に載ってた太田氏の連載漫画を思い出しますね。いやー、好きですね、太田氏の気持ち悪良いイラストは。ヒカシューの『うわさの人類』とか、少年ホームランズ『少年ホームランズ』、やぎ『IL NEIGE』それぞれのジャケ、みんな好きです。一度見たら頭から離れないインパクト。戸川さんがゲルニカに対して「まったく後継者がいない」と言ってましたけど、太田さんの画風もそうですよね。まったく独特。