四方宏明の“音楽世界旅行”〜Around the world

世界中のテクノポップ〜ニューウェイヴ系音楽を紹介。

タグ:スカ歌謡

スカ歌謡の続きです。スカ歌謡の定義は、ジャマイカ産のスカを取り込んだ日本の歌謡曲です。歌謡曲の定義が厄介です。広義では全ての日本の大衆音楽となりますが、今回は芸能界的なシステムのアイドル歌謡に絞ります。また、以前All Aboutで行った山本ニューさんとのレゲエ歌謡対談では、スカ歌謡も含めたレゲエ歌謡について語り合いましたが、今回はスカに絞ります。スカの方がテンポが速く(BPM120を超えるものが多い)、リズムはタイトで(対してレゲエはリラックスした感じで残響感がある)、ホーンセクションが多用される傾向がありますが、あくまでも傾向で、判別が微妙な曲もあり、中間体的なロックステディまで入れるとグレーゾーンの世界です。この辺りを判断基準にスカ歌謡を選びましたが、スカが歌謡曲に移植され、ニューウェイヴ的文脈でツイスト、サーフ、ロカビリーなどとも合体する場合もあり、かなり感覚的な判断になってしまうことをご了承ください。

前回、本場のジャマイカでスカが流行っていた60年代におけるスカ歌謡を紹介しました。その後スカは下火となり、70年代終盤にスカはジャマイカ移民も多い英国でパンク〜ニューウェイヴ的視点で再発見され、The Specialsなどのレーベル名でもある2トーンと呼ばれるムーブメントとなります。また、共産圏も含めて英国以外でも、スカを取り入れたニューウェイヴ的な楽曲がこの時期に生まれました。こんな流れの中、80年代スカ歌謡は復興しました。では、具体的にアイドルが歌った80年代スカ歌謡を紹介します。

比較的時期的に早いものとしては、1982年にリリースされたこの2曲です。速水陽子の「やっぱり」です。速水陽子は7代目パンチガールといく記述があり、調べてみました。「平凡パンチ」がスポンサーだった「ザ・パンチ・パンチ・パンチ」というニッポン放送のラジオ番組があり、そのパーソナリティだったということ。初代には「夢で逢えたら」のシリア・ポール、同じ7代目には松田聖子もいました。当時は本名の初田順子で活動をしていましたが、池田満寿夫の命名により速水陽子となり、歌手・女優デビューを果たします。キャラとしては本人もファンだった「女ジュリー」と呼ばれていました。『やっぱり』は初シングル『い・か・が』(後藤次利がアレンジしたニューウェイヴなロカビリー歌謡)に続き、Moonridersの白井良明がアレンジしたニューウェイヴなスカ歌謡となっています。キャラとの相性もいい隠れた名曲です。ちなみに白井良明は、1990年発売のスカ歌謡、Cottonの「ラビットの玉子たち」も編曲しています。
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速水陽子 - やっぱり (YouTube)


もう一つは嵯峨聖子の2枚目のシングル『シーサイド慕情』のB面となる「恋めぐり」。両面とも後藤次利がいいアレンジ仕事をしており、「シーサイド慕情」はサーフ系(ちなみに作詞作曲は庄野真代・小泉まさみ夫妻)、わかりやすく言うと遅れてきたベンチャーズ歌謡、「恋めぐり」はサーフ風味もあるスカ歌謡となっています。残念ながら「恋めぐり」の動画音源はなく、聴く方法は彼女の7インチ・シングルまたはCD『アイドル・ミラクルバイブルシリーズ 808182 Girls』だけです。「シーサイド慕情」のテレビ収録の動画から、嵯峨聖子はぎりぎりアイドル枠と思われます。日本テレビ音楽院のザ・バーズの出身で、ソロとして2枚のシングルを出した後、1983年にシルヴィアに代わりロス・インディオスにフローレスとして加入し、1986年まで活動しました。
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嵯峨聖子 - シーサイド慕情 (YouTube)


多少間が開きますが、1986年には早見優が「キッスは殺しのサイン」でスカ歌謡に挑みます。脱歌謡曲的作家陣を迎えた全曲新曲からなるアルバム『Shadows Of The Knight』の収録曲ですが、なぜ知っていたかというとCD『テクノ歌謡 ポリドール編』に収録されていたからです。「キッスは殺しのサイン」は、作詞・小西康陽、作曲・高浪慶太郎、アレンジ・鴨宮諒と完全に裏Pizzicato V作品となっています。テクノ歌謡、スパイ歌謡、ピチカート歌謡とも言えますが、これはスカ歌謡認定したいです。
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早見優 - キッスは殺しのサイン (YouTube)


翌年の1987年にはおニャン子クラブにいたゆうゆ(岩井由紀子) が3枚目のシングルとして『25セントの満月』をリリースします。チェッカーズの鶴久政治が作曲し、Exoticsで沢田研二のニューウェイヴ化を支えた西平彰が編曲した、スカ純度が高いスカ歌謡です。オリコン6位まで行っているので、今回紹介した中では一番売れたスカ歌謡と言えるでしょう。
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ゆうゆ(岩井由紀子) - 25セントの満月 (YouTube)


80年代スカ歌謡アイドル編のラストを締めくくるのは、1988年にリリースされた本田理沙の「Lesson 2」です。作曲・編曲をしたのは、元TPOの岩崎工・福永柏コンビです。岩崎工はTPOの前は日本のBugglesと言われたFilmsのメンバー、TAKUMI名義でのソロ活動もしています。Aメロはツイスト調で、Bメロでスカ調になるランデブー型構成です。
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本田理沙 - Lesson 2 (YouTube)


アイドル歌謡のアルバムなんかにまだスカ歌謡が隠れている可能性がありますが、ニューウェイヴ系などを除いてアイドル歌謡と呼べそうな80年代スカ歌謡、知っている限り紹介しました。

最後にまたイベントの宣伝です。6月4日(火)の川崎レジデンツさん主催の『Reggae & SKA MUSIC TIME』@頭バーに参加します。ルーツ・ロック・レゲエから2トーン、レゲエ歌謡まで、幅広くスカ〜レゲエを網羅しています。僕はニューウェイヴ・レゲエとレゲエ・スカ歌謡担当します。
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今日は6月4日にイベントを控えていることもあり、スカ歌謡について書きます。歌謡スカ、和モノスカと呼ぶ人もいますが、どれも浸透しているジャンル名とは言い難いです。レゲエ歌謡の兄とも言えますが、レゲエ歌謡以上にその希少性は高いです。

小国ながらジャマイカは、スカ、ロックステディ、レゲエといったジャンルを産み出してきました。大体ですが、スカは60年代前半、ロックステディは60年代後半に流行期を迎え、60年代終盤以降はレゲエが主流となります。スカはレゲエのルーツと言えますが、両者の共通点はオフビート、裏打ちビートです。一般的にレゲエの方がテンポは遅くオフビートがより強調され、スカの方がよりストレートなリズムです。また、スカではトランペット、トロンボーン、サクソフォンなどの金管楽器が使われ、レゲエではメロディカ(鍵盤ハーモニカ)が使われる傾向があります。

Bob Marleyの自伝的映画『ONE LOVE』でもThe Wailersが「Simmer Down」を演奏するシーンがありますが、これは1964年にリリースされたスカ曲です。また、映画のタイトルとなった「One Love」も元々はスカでした。
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Bob Marley & The Wailers - Simmer Down (YouTube)


スカを世界に知らしめた曲として有名なのが、1964年のMillie Smallの「My Boy Lollipop」です。原曲はドゥーワップ系のThe CadillacsのRobert Spencerが書き、1956年に米国のBarbie Gayeが「My Boy Lollypop」としてリリースしましたが、Millieのカヴァーは米国・英国で2位など世界中でヒットとなりました。
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Millie Small - My Boy Lollipop (YouTube)


僕はまだ小さすぎたので当時聴いた覚えはありませんが、海外の流行ジャンルを歌謡曲に取り込むという、リズム歌謡の流れにあった日本でも、同年、伊東ゆかり、中尾ミエ、梅木マリがカヴァーしています。伊東ゆかり版は「ロリポップ」ではなく、「ラリポップ」と書かれています。彼女は1958年に「Lollipop」を「ラリパップ(誰かと誰かが)」という邦題でカヴァーしたので、その流れで少しだけ修正してラリポップで押し切ったのだと思います。
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伊東ゆかり - マイ・ボーイ・ラリポップ (YouTube)


同じ年にリリースされたのは、寺内タケシとブルー・ジーンズの『レッツ・ゴー・クリスマス』に収録の「ブルー・クリスマス(スカ)」。ご丁寧にも「スカ」であると表示されていますが、よーく聴かないとわからない微妙なスカ・アレンジで、エレキなラウンジ曲に聴こえます。
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寺内タケシとブルージーンズ - ブルー・クリスマス (YouTube)


オリジナルのスカ歌謡として孤高の存在感を誇るのが、中川ゆきの「東京スカ娘」です。カップリングは、黒田ゆかりの「スカで踊ろう」でスカ推しが激しいです。
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中川ゆき – 東京スカ娘 / 黒田ゆかり - スカで踊ろう (YouTube)


中川ゆきは社交ダンスの父と呼ばれる中川三郎の三女です。中川三郎は、タップダンス界の祖、日本のディスコの産みの親とも表され、1965年には日本初のディスコとされる「中川三郎ディスコティック」を恵比寿に開業させました。ディスコのオーナーでもあったのは中川ゆきで、彼女もタップダンサーであり、女優・歌手として活躍をしました。朝ドラ『ブギウギ』に出演していたタップダンサー役の中山史郎のモデルは中川三郎です。

また、中川三郎ダンス・オーケストラとしてリリースした『さあ踊りましょう<第三集> 青春のステップ -ラテン・アメリカン特集』(1965年)は、当時流行のダンスナンバー集となっており、「マイ・ボーイ・ロリポップ」も収録されています。残念ながら、チャチャのアレンジのようです。ジャケットに写っているのは、中川三郎と中川ゆきでしょう。
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ここまでが60年代のスカ歌謡の動向となります。70年代になり、ジャマイカではレゲエに移行し、1979年に2トーンのムーヴメントが起こるまでスカ自体は盛り上がることもなく、70年代において日本でもスカを取り入れた楽曲はほぼありません(レゲエはそこそこありました)。ということで、続編は80年代となります。

最後にイベントの宣伝です。6月4日(火)の川崎レジデンツさん主催の『Reggae & SKA MUSIC TIME』@頭バーに参加します。ルーツ・ロック・レゲエから2トーン、レゲエ歌謡まで、幅広くスカ〜レゲエを網羅しています。僕はニューウェイヴ・レゲエとレゲエ・スカ歌謡担当します。
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