今日は6月4日にイベントを控えていることもあり、スカ歌謡について書きます。歌謡スカ、和モノスカと呼ぶ人もいますが、どれも浸透しているジャンル名とは言い難いです。レゲエ歌謡の兄とも言えますが、レゲエ歌謡以上にその希少性は高いです。
小国ながらジャマイカは、スカ、ロックステディ、レゲエといったジャンルを産み出してきました。大体ですが、スカは60年代前半、ロックステディは60年代後半に流行期を迎え、60年代終盤以降はレゲエが主流となります。スカはレゲエのルーツと言えますが、両者の共通点はオフビート、裏打ちビートです。一般的にレゲエの方がテンポは遅くオフビートがより強調され、スカの方がよりストレートなリズムです。また、スカではトランペット、トロンボーン、サクソフォンなどの金管楽器が使われ、レゲエではメロディカ(鍵盤ハーモニカ)が使われる傾向があります。
Bob Marleyの自伝的映画『ONE LOVE』でもThe Wailersが「Simmer Down」を演奏するシーンがありますが、これは1964年にリリースされたスカ曲です。また、映画のタイトルとなった「One Love」も元々はスカでした。
Bob Marley & The Wailers - Simmer Down (YouTube)
スカを世界に知らしめた曲として有名なのが、1964年のMillie Smallの「My Boy Lollipop」です。原曲はドゥーワップ系のThe CadillacsのRobert Spencerが書き、1956年に米国のBarbie Gayeが「My Boy Lollypop」としてリリースしましたが、Millieのカヴァーは米国・英国で2位など世界中でヒットとなりました。
Millie Small - My Boy Lollipop (YouTube)
僕はまだ小さすぎたので当時聴いた覚えはありませんが、海外の流行ジャンルを歌謡曲に取り込むという、リズム歌謡の流れにあった日本でも、同年、伊東ゆかり、中尾ミエ、梅木マリがカヴァーしています。伊東ゆかり版は「ロリポップ」ではなく、「ラリポップ」と書かれています。彼女は1958年に「Lollipop」を「ラリパップ(誰かと誰かが)」という邦題でカヴァーしたので、その流れで少しだけ修正してラリポップで押し切ったのだと思います。
伊東ゆかり - マイ・ボーイ・ラリポップ (YouTube)
同じ年にリリースされたのは、寺内タケシとブルー・ジーンズの『レッツ・ゴー・クリスマス』に収録の「ブルー・クリスマス(スカ)」。ご丁寧にも「スカ」であると表示されていますが、よーく聴かないとわからない微妙なスカ・アレンジで、エレキなラウンジ曲に聴こえます。
寺内タケシとブルージーンズ - ブルー・クリスマス (YouTube)
オリジナルのスカ歌謡として孤高の存在感を誇るのが、中川ゆきの「東京スカ娘」です。カップリングは、黒田ゆかりの「スカで踊ろう」でスカ推しが激しいです。
中川ゆき – 東京スカ娘 / 黒田ゆかり - スカで踊ろう (YouTube)
中川ゆきは社交ダンスの父と呼ばれる中川三郎の三女です。中川三郎は、タップダンス界の祖、日本のディスコの産みの親とも表され、1965年には日本初のディスコとされる「中川三郎ディスコティック」を恵比寿に開業させました。ディスコのオーナーでもあったのは中川ゆきで、彼女もタップダンサーであり、女優・歌手として活躍をしました。朝ドラ『ブギウギ』に出演していたタップダンサー役の中山史郎のモデルは中川三郎です。
また、中川三郎ダンス・オーケストラとしてリリースした『さあ踊りましょう<第三集> 青春のステップ -ラテン・アメリカン特集』(1965年)は、当時流行のダンスナンバー集となっており、「マイ・ボーイ・ロリポップ」も収録されています。残念ながら、チャチャのアレンジのようです。ジャケットに写っているのは、中川三郎と中川ゆきでしょう。
ここまでが60年代のスカ歌謡の動向となります。70年代になり、ジャマイカではレゲエに移行し、1979年に2トーンのムーヴメントが起こるまでスカ自体は盛り上がることもなく、70年代において日本でもスカを取り入れた楽曲はほぼありません(レゲエはそこそこありました)。ということで、続編は80年代となります。
最後にイベントの宣伝です。6月4日(火)の川崎レジデンツさん主催の『Reggae & SKA MUSIC TIME』@頭バーに参加します。ルーツ・ロック・レゲエから2トーン、レゲエ歌謡まで、幅広くスカ〜レゲエを網羅しています。僕はニューウェイヴ・レゲエとレゲエ・スカ歌謡担当します。
小国ながらジャマイカは、スカ、ロックステディ、レゲエといったジャンルを産み出してきました。大体ですが、スカは60年代前半、ロックステディは60年代後半に流行期を迎え、60年代終盤以降はレゲエが主流となります。スカはレゲエのルーツと言えますが、両者の共通点はオフビート、裏打ちビートです。一般的にレゲエの方がテンポは遅くオフビートがより強調され、スカの方がよりストレートなリズムです。また、スカではトランペット、トロンボーン、サクソフォンなどの金管楽器が使われ、レゲエではメロディカ(鍵盤ハーモニカ)が使われる傾向があります。
Bob Marleyの自伝的映画『ONE LOVE』でもThe Wailersが「Simmer Down」を演奏するシーンがありますが、これは1964年にリリースされたスカ曲です。また、映画のタイトルとなった「One Love」も元々はスカでした。
Bob Marley & The Wailers - Simmer Down (YouTube)
スカを世界に知らしめた曲として有名なのが、1964年のMillie Smallの「My Boy Lollipop」です。原曲はドゥーワップ系のThe CadillacsのRobert Spencerが書き、1956年に米国のBarbie Gayeが「My Boy Lollypop」としてリリースしましたが、Millieのカヴァーは米国・英国で2位など世界中でヒットとなりました。
Millie Small - My Boy Lollipop (YouTube)
僕はまだ小さすぎたので当時聴いた覚えはありませんが、海外の流行ジャンルを歌謡曲に取り込むという、リズム歌謡の流れにあった日本でも、同年、伊東ゆかり、中尾ミエ、梅木マリがカヴァーしています。伊東ゆかり版は「ロリポップ」ではなく、「ラリポップ」と書かれています。彼女は1958年に「Lollipop」を「ラリパップ(誰かと誰かが)」という邦題でカヴァーしたので、その流れで少しだけ修正してラリポップで押し切ったのだと思います。
伊東ゆかり - マイ・ボーイ・ラリポップ (YouTube)
同じ年にリリースされたのは、寺内タケシとブルー・ジーンズの『レッツ・ゴー・クリスマス』に収録の「ブルー・クリスマス(スカ)」。ご丁寧にも「スカ」であると表示されていますが、よーく聴かないとわからない微妙なスカ・アレンジで、エレキなラウンジ曲に聴こえます。
寺内タケシとブルージーンズ - ブルー・クリスマス (YouTube)
オリジナルのスカ歌謡として孤高の存在感を誇るのが、中川ゆきの「東京スカ娘」です。カップリングは、黒田ゆかりの「スカで踊ろう」でスカ推しが激しいです。
中川ゆき – 東京スカ娘 / 黒田ゆかり - スカで踊ろう (YouTube)
中川ゆきは社交ダンスの父と呼ばれる中川三郎の三女です。中川三郎は、タップダンス界の祖、日本のディスコの産みの親とも表され、1965年には日本初のディスコとされる「中川三郎ディスコティック」を恵比寿に開業させました。ディスコのオーナーでもあったのは中川ゆきで、彼女もタップダンサーであり、女優・歌手として活躍をしました。朝ドラ『ブギウギ』に出演していたタップダンサー役の中山史郎のモデルは中川三郎です。
また、中川三郎ダンス・オーケストラとしてリリースした『さあ踊りましょう<第三集> 青春のステップ -ラテン・アメリカン特集』(1965年)は、当時流行のダンスナンバー集となっており、「マイ・ボーイ・ロリポップ」も収録されています。残念ながら、チャチャのアレンジのようです。ジャケットに写っているのは、中川三郎と中川ゆきでしょう。
ここまでが60年代のスカ歌謡の動向となります。70年代になり、ジャマイカではレゲエに移行し、1979年に2トーンのムーヴメントが起こるまでスカ自体は盛り上がることもなく、70年代において日本でもスカを取り入れた楽曲はほぼありません(レゲエはそこそこありました)。ということで、続編は80年代となります。
最後にイベントの宣伝です。6月4日(火)の川崎レジデンツさん主催の『Reggae & SKA MUSIC TIME』@頭バーに参加します。ルーツ・ロック・レゲエから2トーン、レゲエ歌謡まで、幅広くスカ〜レゲエを網羅しています。僕はニューウェイヴ・レゲエとレゲエ・スカ歌謡担当します。