Shock解散後の話をします。Shockの中心メンバーだったパントマイマーのTim DryとSean Crawfordは、Tik & Tokと名乗り、Survival Recordsから1stシングル『Summer In The City』をリリースします。こちらは、Tik & Tok名義で唯一の日本盤シングル。「Angel Face」と同様にこちらもカヴァー曲(オリジナルはThe Lovin' Spoonful)です。プロデューサーは、Peter Godwin。彼のバンド、Metroの「Criminal World」はDavid Bowieもカヴァーしました。

Tik & Tok - Summer In The City(1982年)
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2ndシングル『Cool Running』後にリリースされたのが、『Screen Me I'm Yours』。YouTubeではShock名義でShockのもう一人のパントマイマーだったBarbie Wildeがその動画をアップロードしていることから、Richard Burgessが書いたこの曲はShock時代からの持ち曲だったようです。作風もShockです。このシングルのアートワークは、日本盤の『Summer In The City』とほぼ同じなので、間違えないように。

Tik & Tok - Screen Me I'm Yours(1984年)
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この3rd、4th「Everything Will Change」、5th「Higher Ground」を収録したアルバムが『Intolerance』。ShockのメンバーだったBarbieもバックボーカルで参加しているので、仲違いをしたようではないみたいですね。特筆すべきは、Garyのツアーサポートもしていた縁で、Gary NumanがA3「Show Me Something Real」とB4「A Child With The Ghost」でシンセサイザーで参加し、B4はGaryの提供曲です。また、Garyと縁の深いRussell Bell(Dramatis)も参加しています。歌舞伎風のアートワークといい、B1「Intolerance」では薬師如来というクレジットの琴演奏者によるインストルメンタル曲といい、日本の影響が窺えます。

Tik & Tok - Intolerance(1984年)
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ちなみにRusselはXでのGaryたちが映ったツィート画像にコメントしています。

Carole Caplin, Gary, Jane Kahn and Sean from Tik & Tok (X)

TikことTim Dryは90年代終盤に僕のサイト、POP ACADEMYを見つけて、以下のメールをくれました。当時にBlitzシーンの様子、YMO、日本文化への興味などを語ってくれました。1982年は来日もしており、ニューロマンティックな装いの日本人が案内をしてくれたそうです。一体誰だったのか、とても気になります。

ロンドンでは1979年から1980年にかけてRusty Eganが始めたBlitzシーンがありました。彼は、初期のDavid BowieやRoxy Music、Kraftwerkなどを流すクラブを運営していました。徐々にこのクラブに訪れる人たちが増え始めました。なぜなら、そこで流れる音楽は、他の場所で流れるものとは全く異なっていたからです。Rustyは、Steve Strangeと名乗る若者をドアマンとして雇い、彼は珍しい格好や華やかな格好をした人々だけをクラブに入れるようにしていました。

約1年後、クラブの人気が高まったため、もっと大きなクラブを探さなければならなくなりました(人々は、たとえ一晩だけでも、退屈で平凡な日常から逃れる必要があるのです!)。新しいクラブは、コベント・ガーデンにあるワインバーで、Blitzと名付けられました。美しい女性のような見た目をした若者が、クローク係として働いていました。彼はBoy Georgeでした!

このシーンは小さく、この時点でロンドンにしかなかったので、みんながお互いを知っていました。ShockはBlitzで演奏し、UltravoxのMidge UreとBilly Currie、間もなくSpandau Balletとなる少年たちなど、多くの人々の前でパフォーマンスをしました。この時、Tik & TokはまだShockの一部で、Ultravoxのために1つのビデオを制作しました。また、Simon Le Bonの彼女だったJane Kahnが私たちの服を作っていたため、Duran Duranとも知り合いでした!

音楽を作る人々は、ヨーロッパの音楽に大きな影響を受けていました。なぜなら、それはより堕落してロマンチックな時代を反映しているように思えたからです。ShockはCabaret Voltaire、Fad Gadget、Talking Heads、自分たち独自のものと同様にYellow Magic Orchestraを自分たちの曲の一部に使っていました。

Shockが解散した後、Tik & Tokはますます日本の文化に興味を持ち始め、1982年には、東京で大規模なヘアエキシビションのパフォーマンスと振り付けを行うために来日しました。私たちは、古い文化、侍の伝統、そして同時に存在する非常にハイテクで未来的な社会という、興奮するような文化の混在を愛しました。私たちは、人々の礼儀正しさ、優雅さ、そしてエレガンスに感銘を受けました。それは、未来を訪れるようなものでした!

私たちは、衣装やステージショーに日本の影響を多く取り入れて帰国しました。私たちは、能や歌舞伎の要素を使用し、山海塾という素晴らしい舞踏団を見て感銘を受けました。また、私たちはオープニングのパフォーマンスをロボットのスタイルから忍者に変更しました。さらに、私たちは感激のローランドSH 101シンセも持ち帰りました。若い日本人が西洋のポップ音楽や文化を取り入れながら、自国の文化にも誇りを持ち、意識していることを見るのは非常に興味深いことでした。

Tik & Tokが東京にいた時、私たちを案内してくれる日本人の友人がいました。彼は、黒い1960年代のロンドンタクシーで私たちを運転し、Jane Kahnのニューロマンティックな服を着ていました!もちろんYMOが好きでしたが、何よりも坂本龍一のソロが気に入りました。そしてSandii & The Sansetzも! 彼女は非常にセクシーで魅力的でした!

そして、日本食や美しい女性たちも素晴らしかったです!


Tikが書いたオリジナルの英語の文章は、POP ACADEMYに掲載後、Tik & Tokの公式サイトに今も掲載されています。

The Blitz And Japan (Tik And Tok)

Discogsでも関連付けられていないのですが、TikはTony Lewis(Aphroditeというパンク・バンドにいたBeki Bondageをプロデュース)と組んで、The Wang Bros.名義でThe Beatlesの「While My Guitar Gently Weeps」をニューウェイヴ風カヴァーしています。残念ながら、プロモーションされずに鳴かず飛ばずだったと、YouTubeでTikはぼやいています。

The Wang Bros. - While My Guitar Gently Weeps(1985年)
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Tik & Tokのリリース元、Survival Recordsは他にもマイナー系エレクトロポップ・アーティストの宝庫となっているので、Rare Waveとしてさらに掘っていきます。