では、次のヒント。
ジャマイカでレゲエヒットを飛ばした最初の白人アーティスト。


最後のヒントはこれ。
最も多くの放送禁止処分(合計11回)をBBCにくらったギネス記録保持者。例えが古くてわからない人もいるかもしれませんが、英国のつボイノリオ(代表作「金太の大冒険」)のような立ち位置です。

答えは、Judge Dreadです。「え、それ、誰?」という人もいるかと思います。諸説あるのは事実ですが、彼が1998年に亡くなった際、「Rolling Stone」誌は以下のように報じました。
Judge Dreadは25年以上のキャリアを通じて数百万枚のアルバムを売り上げ、1970年代の英国におけるレゲエの売り上げではBob Marleyに次いで2位であった。


彼の本名はAlexander Hughes。1945年に生まれの彼は10代の頃、ジャマイカからの移民も多い南ロンドンに位置するブリクストンで育ち、スカ・ロックステディの洗礼を受けました。巨漢の彼は、プロレスラー、ボディーガード、The Rolling Stonesのローディーとしても働いていました。

Judge Dreadという名前は、「ブルービートの王」の異名を持つPrince Busterの曲名から取られています。ちなみにMadnessのバンド名もPrince Buster由来で、Prince Busterの「One Step Beyond」はMadnessの代表曲にもなっています。ジャマイカ音楽の先駆者であるPrince Buster、Laurel Aitken、Derrick MorganなどはBlue Beat Recordsからリリースをした背景から、スカと呼ばれる前から、60年代初頭のジャマイカ音楽は英国でブルービートと呼ばれていました。Prince Busterは1970年に英国で「Big Five」(ジャケ写は1971年発売のアルバム『Big Five』)という際どい下ネタ歌詞のロックステディ曲をリリースします(ジャマイカでは1969年の可能性あり)。
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Prince Buster - Big Five (YouTube)


1972年にJudge Dreadはその続編と言わんばかりのシングル『Big Six』(ジャケ写は顔写真があるベルギー盤)でデビューを果たし、英国シングルチャート11位に食い込みました。その後、「Big Seven」「Big Eight」…と「Big Five」譲りの下ネタ路線で突っ走ります。結果、70年代に11枚のチャートヒットを送り込んだのです。
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Judge Dread - Big Six (YouTube) ※年齢制限あり


「Big」シリーズ以外にも合計で19枚のシングルをリリースしており、中にはかなり酷い歌詞であることが推測できるタイトルもあったりしますが、1979年にリリースした2トーンなジャケのシングル『Ska Fever / Lover's Rock』(順序が逆の表記のものある)では、両面とも「Ska fever……..」「Lover’s rock……」とヤケクソ気味にただ連呼する、でもなんか癖になるナンセンス・ソングになっています。
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Judge Dread - Ska Fever / Lover's Rock (YouTube)


また横道に逸れたスカ〜ロック・ステディ〜レゲエ記事となりましたが、Judge Dreadはレゲエ史、英国音楽史に3つの爪痕を残しました。6月4日(火)の川崎レジデンツさん主催の『Reggae & SKA MUSIC TIME』@頭バーでも、Judge Dreadを回したいと思います。